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1999年9月19日 日曜礼拝メッセージ



 旧約聖書 創世記1章26〜28節より
 メッセンジャー
   (財)ライフ・プランニングセンター
   丸屋真也師

孤独とは

「孤独は人類の苦悩の最も不変的な原因の一つである」と、ある方が言われました。
この事をもう少し簡単に言うならば、この『孤独』というものは、結してお年寄りとか、あるいは一人暮らしとか、失恋した人達だけのものではなく、人間であるなら誰もが直面する私達一人一人の問題だと言っていると思います。『孤独』というと、私達は直ぐにダンボールを上手に使ってその中に住んでいる人達の姿や、一人寂しく年を取られて生活をしている人達を思いおこし、なんとなく分かったような気がするが、あの人だけは孤独な生活には程遠いと思われているような方々が、『孤独』に悩んでいる事も有りうるのではないでしょうか。では一体『孤独』とは何かを皆様にお話したいと思います。 ある方は『孤独』というのは、「他人との有意義な接触に欠けている状態」これを『孤独』の状態と言っています。特に大事なのは「有意義な接触」という事ではないでしょうか。多くの人との接触があっても、「有意義」な人格的なつながりというものがなければ、例えどんなに権力、富、名誉があっても『孤独』におちいってしまうのだと言う事です。どんなに沢山の友人がいても深い所でつながりが持てなければ『孤独感』におそわれ、そして『孤独』におちいっている人々は「むなしさ」或いは「落胆」「孤立感」「悲しみ」等の感情がともなうというのであります。しかし、多くの場合にこういった人達は自分が『孤独』であると言う事を認めたく無い為に一人でいることを避けどこか賑やかな所を求め歩いたり、忙しくしたり、酒に逃げることがあるのです。 現代の若者は非常な『孤独感』に悩んでいると統計が出ています。若い人達が『孤独』だろうとは感じられないと思うのですが、彼らは『孤独』な故に一人でいることが怖くて人々の集まる所に寄って来るのであります。そんな中で多くの人は心の深い所で、「人との有意義な接触」というものなしに、ただ表面的な関わりだけで生活しているのではないでしょうか。

孤独にはどのようなものがあるか

心理学者のエリソン博士は人類のおちいる『孤独』を三つに分類しています。

[1]『感情的な孤独』

これはどういった『孤独』かというと、「他人との親密な人間関係に欠けている事からくる『孤独』」と言われています。ロンドンで自殺をした老女の日記には毎日判で押したように365日『今日も誰も訪ねて来なかった』と記してありました。彼女は正に親密な人間関係が1年間全く無かったわけです。最終的には寂しく自らの命を絶ってしまったのです。これは正しく第1の『孤独』の典型的な例ではないでしょうか。人間は他の動物と違い、自立するのに20年前後かかるのです。それはその間に深い人間関係を築くということを学習する時期であるからなのです。その時期に親が子供に人と関わることの出来るように学習させていくのです。

[2]『社会的孤独』

自分が一つのグループ或いは社会と言う物の中の一員である、その中で自分が必要とされている、又はサポートされているという確信のない場合に生じる『孤独』であります。
現代社会はあまりにも急激に変化して、そしてそれについていくのが精一杯で、社会の一員であるという意識を持つ事が困難な時代であります。 終身雇用が崩れ、少子化傾向がすすみ、社会の一員、家族の一員という意識を持つ事が困難になっている現代は「社会的孤独」におちいりやすいのでないでしょうか。

[3]『実存的孤独』
少し難しい言葉ですが、自分が生きている目的、生きている意味というものが感じられない所からくる『孤独』です。 エリソン博士は『実存的孤独』の究極的な原因は人間が造り主である創造主から離れているからだと言っています。 「そして神は、『われわれに似るように、われわれのかたちに、ひとを造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のはうすべてのものを支配させよう。』と仰せられた。」 (創世記1章26節)

人はなぜ孤独に陥るのか

何故創造主なる神から離れて『実存的孤独』に陥ってしまうかの原因はここに二つの理由があるとおもいます。第1に神は人間を神の形に似せて造られたということ。これは人間が人格のある存在、神と交わりや関わる事のできる存在として造られたという事です。人間の魂というものが神との交わりを求め、神との交わりを通してのみ、本当の満足を味わう事ができる存在であるのです。ですから神から離れていると生きている事そのものの『孤独』におそわれてしまう。物理的には満たされていても神との交わりが無い為に何処かに物足りなさを感じてしますのです。 「そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。」

第2に人間に神の造られた世界を管理するという生きる目的・意義を与えられた。ですから神なしでは、他にどんな生きる目的や意義を持っていてもそれは一時的な目的でしかないということなのです。人間の魂は地上での目的や意義を持っていても最終的には「死」というものを予感している為に深い所で『孤独』というものを体験しているというのです。 私達の魂はそれを予感しているのです。

どうしたら孤独からの解放を得ることができるのか

では一体私達は真の生きる意味を与えてくださる創造主をどうしたら心に受け入れ、そして深い交わりを持つことができるのでしょうか。 「しかし、この方を受け入れた人々、すなわちその名を信じた人々には、神の子供とされる特権をお与えになった」ヨハネ1章 12節 この方というのはイエス・キリストです。 イエスは神であり、全くの完全な人間でもあります。イエスは創造主なる神が地上に送られ、そして神から離れた人間(私達)をもう一度神に帰る事の出来る道筋をそなえてくださるために来られたのです。

それは私達の神への反逆を許すため、私達の罪を許すために十字架に私達の身代わりとなり死んでくださった事を素直に信じ、受け入れる時に私達の心の中に再び神が来てくださるのです。単純にイエスを心に受け入れる時に神の子供とされる特権が与えられ、その時に究極的な敵である「死」に打ち勝つ永遠の命を与えられるのです。 永遠の生きる目的をもって歩む者にされていくのです。 この愛をぜひ心を開いて受け取って下さい。 神様はあなたに勝利の人生を与えて下さることでしょう。
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