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1999年10月24日 10週年記念礼拝メッセージ



 旧約聖書 箴言11章14節
 メッセンジャー
  仙武庫之荘福音自由教会
   大橋秀夫師

「指導がないことによって民は倒れ、多くの助言者によって救いを得る」 箴言11章14節

教会の歩みの中で最初の10年とは、私自身の経験を振り返ってみても、非常に大切な時ではないかと思います。 その最初の10年に教会の基礎が築かれるわけですが、そこでどのような基礎が築かれるかという事が大切です。

建物を建てる時でも、まず基礎が築かれます。その基礎いかんによって、その上に建てられる建物に制限が与えられてしまう訳です。 キリストも基礎という事の大切さを山上の説教の最後の部分で私達に教えられています。 仙台教会が今まで作ってきた基礎の上に、これから建物が建てられていくことでしょう。 その良い基礎の上に素晴らしい教会が建っていくことを願ってやみません。 さて、前述の箇所はよく知られた聖書箇所です。

人々に希望と夢を与える指導者の存在

「指導がないことによって民は倒れ、多くの助言者によって救いを得る」

この『指導がない事によって民は倒れる』という言葉を一人の説教者が、次の様に説教いたしました。 それは『幻のない民は滅びる』と訳したのです。 この説教者の訳は、その後ここから御言葉を取り次ぐ者達にとって、非常に大きな示唆となりました。 この箇所は、『指導者がない事によって民は倒れる』というよりも、『幻のない民は滅びる』という言葉で覚えられるようにさえなったのです。

何故『指導者がない事によって民は倒れる』という言葉が、『幻のない民は滅びる』という言葉になったのか? それはどのような理由からかと言いますと、指導者の役割、務めが何であるかという事を考える時にその意味が明らかになる訳であります。 指導者の務めとは、夢や幻を与えるという事、ビジョンを整備する事であります。 人は皆それぞれに自分自身が良いと思う道に進んでいったと聖書は人間の本質的な罪の性質と言うものを教えているのです。 私達はリーダーがいなければ、誰もがそのようになりやすいのであります。 神が指導者を置かれたのはその為であります。

さて、武庫之荘は何処にあるかといいますと、兵庫県尼崎市という所にあるのです。 そこでの牧会をどうかと言われた時に、神様の導きを求めました。 そのころ私はキリスト者学生会(KGK)の主事をしていた訳ですけれども、1970年の夏に1週間程の休みをもらい、志賀高原に家族と共に行きました。 そこで、がらにもなく朝早く起きて、水をかぶり、祈り、御言葉を読み、そして神様が本当に私をそこに遣わす事を望んでおられるかどうかの導きを求めました。

そこで与えられた御言葉が創世記の46章の2節でした。 ここはイサクがエジプトにいるヨセフに会いにいくかどうかをためらっていたときに、神様が夢によって語られた場面であります。

「神は、夜の幻の中でイスラエルに、「ヤコブよ、ヤコブよ。」と言って呼ばれた。彼は答えた。「はい。ここにいます。」  すると仰せられた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民にするから。」 創世記46章2〜3節

私はこの御言葉を頂いたときに、神様が私を武庫之荘の地へと導いておられるのを確信いたしました。 そして、一切の恐れや不安などが取り去られた訳であります。 様々な疑問や問題も持ち色々な方に助言やアドバイスをもらいましたが、何よりも私を励ましたのは『エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこであなたを大いなる国民とする』という言葉でした。 ここで一つのビジョンを得た訳です。

神様は私達をそこに送り、大いなる国民とすると言われたのです。 私はそれ以来教会と言う物は成長するという確信を持ちました。 命ある物は必ず成長するという確信です。 そして神様が成長させてくださるという約束を持ち続けましょう。
もちろん、教会はいつも順調に成長した訳ではありません、困難がなかった訳ではありません。 分裂の危機にさらされた事もありますし、正にサタンの攻撃と思わされるような出来事に出会った事もありました。 しかし私はずっと神様が与えてくださったこの御言葉とそこから与えられたビジョンを握り締め、そして祈りました。

「あなたは私にこの様に約束してくださったではありませんか。あなたは私を大いなる国民にすると私はそれでここに来たのだ」と。 そうすると、困難を克服する力を神様は与えてくださいました。 夢を持つ者、夢を語る者には常にそれを妨げる者、反対する者がいるのです。 「そんな物は夢にすぎないよ」 「早く夢から醒めなさい。現実はこうなのだ」と知恵ある者のように、現実を振り回す者がいるのです。 しかし私は信じます。 彼らの最後は夢ある者に屈服するのです。 

夢を持たない者達は、夢ある者達の前に膝をかがめる事になるであろうと。 どの世界を見ても、どの時代を見てもそうです。 ただ現実だけを見ている人々はビジョンに生きる人たちの前に膝をかがめてきたのです。 なぜならば、良き指導者は常に良きビジョンを人々に示してきたからです。

キリスト者の夢

 夢は私達の人生を決定付けるだけではなく、私達の人生を変えると言う事。 しかし、私達が持つべき夢は人々の必要を満たす物でなければならないということ。 私達キリスト者の持つ夢とそうでない人たちの持つ夢の違いは何かと言えば、それは「人々の必要を満たすための夢である」ということです。 もし、その「必要に応じる」という事がないならば、それは私達自身の野心にすぎないのです。 その夢は私達の欲望の実現にすぎないのです。

私達が持っているのは野心ではなく、それが夢であり、ビジョンであり、希望であり、神の御心にそうものである、と言う事ができるのは、自分の必要を満たすのではなく、他の人の必要を満たすための夢であるということによるのです。 あなたが夢をお持ちなら、その夢をこの物差しで計りなおしてみてください。 そして。その夢こそ実現に到る夢なのです。

「それで何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり、預言者です。」 マタイ7章12節

『何事も自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい』とは、してはいけないことを教えているのではなく、する事を教えているのです。 そしてそれはあなたがして欲しい事、すなわちあなたが必要としている事は、あなただけではないのです。 他の人も同じように必要としていると言う事です。 あなたが励ましが必要ならば、他の人も励ましが必要なのです。 

あなたが慰めを必要としているならば、他の人も慰めが必要なのです。 あなたが話しを聞いて欲しいと思っているなら、他の人も話しを聞いて欲しいと思っているのです。 あなたが平安な心を欲しいと思っているなら、他の人も平安な心を欲しいと思っている。 そうです、あなたが赦されたいと思っているなら、他の人も赦されたいとそう思っているのです。 あなたが愛されたいと思っているなら、他の人も愛されたいと思っているのです。 主イエスはその様にしなさいといいました。

ですから、私達の持つ夢はその様に必要に応える夢でなければならないとイエスは言うのであります。 そしてその様な夢こそ実現に到る夢なのであります。 人の必要(ニーズ)に応えるという事。 それが最も大切な事なのです。 これからも私達は夢を持ちつづける事でしょう。 

しかし、キリスト者の夢は決して自分の野心を実現するだけの自分勝手な夢であってはなりません。 他人の必要を満たす夢を持つのです。 それこそ、神様が私達に与えれられるビジョンなのです。
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