アクセスカウンタ
1999年11月14日 日曜礼拝・子供祝福式メッセージ



 新約聖書 マタイ11章28〜30節
 牧師写真メッセンジャー
  仙台福音自由教会
  吉田耕三牧師

『すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。 わたしがあなたがたを休ませてあげます。 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。 そうすればたましいに安らぎが来ます。 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。』 マタイ11章28〜30節

聖書はしばしば「子供の様になりなさい」と言っています。 それは弱くなりなさいと言っているのではなく、子供の様に素直になりなさいと言っているのであります。 この箇所は大変有名な聖書の箇所でして、多くの方がここから慰められてりしている箇所であります。

素直な心で

前述の御言葉の少し前を見てみましょう。 『そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。』 マタイ11章25節

『これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました』。 聖書の言葉というものは、素直な心で受け取っていく時に、私達の力になるのです。 変に知識を張り巡らせてしまって、かえって神様の恵みを無にしてしまう事も数多くある訳であります。 

私達は他人から何度も何度も裏切られ、簡単に他人を信用しないと思い、結果として神様や聖書の言葉さえも素直に受け取められなくなってしまう事があります。 しかし、そうではなくて、素直に受け取る時にその言葉は私達の力となっていくのであります。

イエス・キリストからの呼びかけ

皆さんが色々な人材を募集したいと思っています。
募集人材の条件: (1)疲れている人 (2)重荷を負っている人

変わった募集条件ですね? 誰も「私は思い悩んでいます、苦しんでいます」という顔を見せる人は少ないと思いますけれども、しかし、本当は私達の心の中には深い悲しみや、痛みというものが結構あるのではないでしょうか?

現代は色々な事柄が進み、発展してきていますが、私達は本当に平安を得ているという事が言えるでしょうか? 色々なストレスや悩みに取り巻かれていて、それを紛らわしたり、誤魔化したりしているという事があっても、本当の平安というものを持つことはなかなか出来ないのではないでしょうか?

この言葉は当時の人達に語られた言葉では有りますけれども、まさしく私達にも当てはまる言葉でもあります。 この『すべて疲れた人、重荷を負っている人』というのは直接的には、ユダヤ教のきまりに苦しんでいるユダヤ人の人々を指しているのであります。 ユダヤ教というのは、様々な律法を守っているのですが、律法を守らなければ他の者から責められる感じがして心が苦しくなっていく人たちが沢山いたわけであります。 そういう人達に対してイエス・キリストは『すべて疲れた人、重荷を負っている人は私のところに来なさい』と語ってくれた訳で有ります。

私達もそれぞれに自分たちの律法を持っているのではないでしょうか? そしてそれが出来ないと言って苦しんだり、悩んだりしている人がいるのではないでしょうか? 一生懸命生きようとすればするほど、自分のダメさを知らされて元気が出てこない、苦しんでしまう。 そういう方がいるかもしれません。

私達はこの様に、自分で自分の決まりを作り、それに達していない自分に対して罪責感を持ってしまう人が結構いるのではないでしょうか。 イエス・キリストはその様な者達に呼びかけて下さっているのですね。 ですから表面的な所ではない、本当に誰にも明かす事のない心の内に『あなたは疲れていないか? 重荷を負っているのではないか? 無理をしないで素直に心を開いて私のところに来なさい』と言って下さるのです。 私達はこの御声を耳を開いて聞きたいのであります。
そばに寄っても何の利益をもらえる事などないような私達に対してイエス・キリストは呼びかけてくださっている。 あなたのその苦しみや重荷を持ったまま私のところに来なさいと言って下さるのです。 イエス・キリストは、その様な弱さを持った者をこそ助けたいと思っていて下さるのです。

イエス・キリストと共に歩む―新しい人生へ−

『わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。』 マタイ11章29節

"くびき"とは農作業するときに使用する物で、木に2つ首の入る穴を開けて、そこに家畜の首をいれ、二頭が同じ方向に進むようにする道具です。 『私のくびきを負って』と書いてあります。 このくびきの片方にはイエス・キリストが首を入れてくれているという事です。 私の隣にあなたの首を入れなさいというのです。 そうすれば魂に安らぎが来ます。

イエス様にお任せする、イエス様と一緒に歩む、イエス様に助けてもらおう、本当にその様に踏み出す時に、魂に安らぎが来ます。

『わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。』 マタイ11章30節

イエス様とくびきを共にしている人は、苦しみはないわけではありません。 重みはあって自分も触ってはいるのだけれども、でもその事があまり苦しくないのです。 もし私達がイエス様にくびきを負っていただくならばそのようにされるのです。 イエス・キリストが何故この様な事を言うのか? それは神様は私達を本当に心配して、愛してくださっているからなのです。 日本では一般的に神様という方は怖い方と聞いている場合が多いのではないかと思います。

しかし聖書は『神は愛だ』と言っているのです。 愛とは愛する者の為に自然に犠牲をはらってしまうものなのです。 イエス・キリストは私達を救う為に2000年前に十字架に掛かってくださった。 それは私達を愛するが故に、私達を何とかして救い出すが為に成して下さった事なのです。 イエス・キリストは、私達の弱さや、醜さや、罪や汚れを全て御存知なのです。 御存知の上で私達の罪や汚れを背負って身代わりとなるために十字架に掛かってくださったのです。 神様は私達が滅びる事を願ってはいないのです。

『神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』ヨハネ3章16節

ここは「聖書の中の聖書」と言われている箇所です。 神様はひとり子イエス・キリストを十字架につけるほどに、あなたを愛されたというのです。 だからイエス・キリストは

『全て疲れた人、重荷を負っている人は来なさい。 私があなたの責めを全て負ってあげるから安心してきなさい。 どこまでもあなたを捨てない。あなたを愛しぬくよ』

と言って下さっているのです。 この神様の愛、神様の申し入れを幼子の様に素直になって受けとめる事です。 その時に確かに私達のうちに変化が起きてくるのですね。

『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました』 コリントII 5章17節

もしあなたが心を開いてイエス・キリストをお迎えするならば、イエス・キリストはあなたの内にきてくださる。 そして新しい人生を始めてくださる。この事を是非始めてくださればと思います。
ホームページ | メッセージ一覧 | メッセージダウンロード

このメッセージを読まれたご感想・ご意見をご自由にお寄せください。 こちらまで!

アクセスカウンタ