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2000年4月16日 日曜礼拝メッセージ



 旧約聖書 創世記50章1〜26節より
牧師写真
 メッセンジャー
   仙台福音自由教会
   吉田耕三牧師

創世記も今日で最終章になりました。本日は"祝福された生涯の秘訣"をこの箇所から見る事が出来る様に思います。

ヨセフは、兄弟達の何年も前にエジプトに行き、多くの苦しみを受け、後の日に彼等に祝福と、守りを備えたのです。この『祝福の信仰』はアブラハム、イサク、ヤコブと引き継がれ、ヨセフにと受け継がれていくのであります。そして引き続き『祝福の信仰』は私達に与えられているという事をご一緒に学ばせて頂きたいと思います。

罪の処理

エジプト中がヤコブの為に70日間の喪に伏したとあります。王と同じ位長い喪の期間です。これはヨセフがエジプトでどれ程用いられ、また尊敬されていたかを物語っています。そしてヤコブが生前子供達に約束させた通り、12人の息子達は彼をカナンの地へ移し、エジプトに戻って来ました。父との約束を果たした兄弟達の内に、「父親が生きている間は自分達は守られていたが、これからどうなるか?」という一つの不安が出て来たました。弟ヨセフは、すごい権勢を持っている。ですから自分達の命はヨセフの考え一つで決まる。そこで兄弟達は父ヤコブが生前こう言ったといって自分達の事をお願いする訳であります。

「そこで彼らはことづけしてヨセフに言った。「あなたの父は死ぬ前にこう言われました。『ヨセフにこう言いなさい。あなたの兄弟たちは実に、あなたに悪い事をしたが、どうか、あなたの兄弟たちのそむきと彼らの罪を赦してやりなさい、と』今、どうかあなたの父の神のしもべたちのそむきを赦してください。」ヨセフは彼らのことばを聞いて泣いた。」16〜17節

この中から、私達が学ぶべき幾つかの教訓を見る事が出来ると思います。 まず第1は、私達は『罪の処理をきちんとしておく』という事であります。彼等は(ヨセフに悪い事をしたな)と思っていたと思うのです。でも『本当の和解・完全な和解』というものが出来てはいなかった様に思います。ですから「もしかしたらヨセフは…」という不安がよぎる訳であります。兄弟達はヨセフを目の前にした驚きの場面、或いは抱き合って泣いている場面はありましたが、きちんとした悔い改めの言葉は載っていません。

私達は、神様の前に或いは人々の前に、時にはきちんとした『悔い改め』をする事が必要な場合があるのではないでしょうか。彼等はヨセフに「どうか、あなたの父の神のしもべたちのそむきを赦してください。」とお願いしている訳であります。本当にへりくだる姿がそこにある訳であります。

「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」ヨハネI 1章9節

言い訳や弁解をしない。「本当に私はその様な汚い者、醜い者、ひどい者です」正直に神の前に出て行く事。これが『罪を認める』という事なのです。このようなへりくだる心があってこそ、本当の悔い改めという事が出来るかもしれません。私達はここまでへりくだった心はなかなか出てこないのではないでしょうか。つい「あの人が悪い。この人が悪い」と色々理屈をつけて、「本当に私が悪かったのです。どうされても言い訳の出来ない者です」とそこまで言えないのです。

「ヨセフは言った。「恐れることはありません。どうして私が神の代わりでしょうか。」19節

この言葉はヤセフが兄弟達に語った言葉ですが、神様も私達に『恐れる事はない。あなたの罪は私が十字架で贖った。』とこう言っているのです。だから恐れる必要はないと覚えたいのです。

裁くは神なり

さてそれだけではありません。ヨセフはエジプトでは全ての権威を持っていました。人を殺す事も簡単に出来るような立場でした。けれども、彼は「どうして神の代わりになれましょうか」と言った訳であります。『裁くは神なり』という事なのです。「人を裁く」これは神のみが持っている権限であります。
誰も私達を裁く権限はないのです。私達は自分を神の立場においてよく人を裁いていると思いませんか。自分は全然罪を犯さなかった様に、人の事を裁いている。私達は『どうして私が神の代わりでしょうか』という立場を持つ者になっていけたらと思います。

「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」コロサイ3章13節

ヨセフは神様から自分が憐れみを受けた者と感じていたからでしょう。私達も十字架によって多くの罪を赦されたのです。どうして私達が他の人を赦さなくてよい訳がありましょうか。私達も互いに赦し合う。この事をしっかりと覚えていきたいものであります。 私達は決して『神の立場、裁く立場』にならないように注意していきたいものであります。

災いを益と変える

「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良い事のための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人を生かしておくためでした。」20節

兄弟達は確かに悪意を持っていました。ところがその悪意さえも、神様は良い事に変えてくださったのです。「神はその様になさる方だ」という信仰をヨセフは持っていたのであります。 私達が持つべき『勝利の信仰』の秘訣がここにあるように思います。人々の悪さえも神様は良い事の計らいとなさいます。これは私達がしっかりと据えて受け取っていくべき事柄ではないでしょうか。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」ローマ8章28節

あなたはこの事を知っておられるでしょうか。神は災いも変えて益として下さる。この事を本当に信じるならあなたは勝利の歩みをする事が出来るでしょう。そして勝利の信仰者となっていく事が出来るでしょう。あなたに対して悪意を持って望む者や望まれた事柄すらも、神はそれを働かせて益としてくださる。良い事の計らいとして下さる。この事をしっかりと心に留める時に、私達はあらゆる人に対して赦す心、寛容な心が出てくるのではないでしょうか。

永遠の祝福を求める

ヨセフの生涯も終わろうとしています。彼はエジプトの地で成功者でありました。けれども本当の願いはそこではなくて、『永遠の御国』こそが最終目的である事を彼はしっかりとわきまえていた。そして彼は、神は必ず自分の子孫をカナンの地に引き入れる事を預言している訳であります。そしてその時には必ず自分を連れ上れと約束をさせます。

彼は本当の祝福はこの世のものではないという事をはっきりと覚え、最後まで天に向って歩み続けていた。ここに勝利の信仰者の姿がある事を覚えたいのであります。

皆さんは天の国に帰る備えが出来ているでしょうか。またその天において報いを頂くような生き方を日々なさっているでしょうか。また天の御国を待ち望む信仰に歩んでいるでしょうか。ヨセフは『永遠の祝福』をあくまでも求めつづけて地上では旅人として歩んだ事を聖書は語る訳であります。ヨセフの様に『裁くは神なり』と本当に一切の裁きを神に委ねる。そしてまた悪をも良い事の計らいとする神を信頼して歩む生き方。御国を求めていくクリスチャンとして共にたずさえられていきたい、と思うのであります。
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