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2000年4月23日 イースター礼拝メッセージ



 新約聖書 ルカ24章1〜8節、ピリピ3章10〜16節より
牧師写真
 メッセンジャー
   仙台福音自由教会
   吉田耕三牧師

私たちにとって、"イースター"は、クリスマス以上に大切な時と言えるかもしれません。 "クリスマス"は神様が私達を愛して、そして一人子をこの地上に送って下さった時です。
そして私達が"罪"、あるいは"死の不安"から解放されて生きる事が出来る様になったのは、十字架と復活によるのであります。 これがイースターです。

キリストの復活

「『あなたがたはなぜ生きている方を死人の中で探すのですか。 ここにはおられません。 よみがえられたのです。 まだガリラヤにいたころ、お話になったことを思い出しなさい。 人の子は必ず罪人らの手に渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょう。 』 女たちはイエスのみことばを思い出した。 」 ルカの福音書24章5節b〜8節 

 イエス・キリストは、弟子達に多くの特徴的な事を語りました。 それは『私は十字架に掛かる。 3日目によみがえるのだ』という事でした。 しかし人々は簡単にそういうことを受け入れる事は出来ませんでした。
この箇所に登場するのはキリストの弟子達とキリストについていった女達です。 非常に信仰深いと思われていた彼らでさえ、復活のキリストを見出す事が出来なかったのです。 "復活"というのはそれ程に信じ難い事といえるかもしれません。

復活したイエス・キリストは、色々な人に現れました。 500人以上の人が一緒にいる所にも現れて下さったのです。 確かに「この方は生きておられる」という事を認めざるえないような状況を目のあたりにした訳です。 弟子達でさえ信じ難いこと。 これが"復活"であります。 でも、キリストは「それが事実なのですよ」と人々にご自身を現わした訳であります。 そして私達にもそのことをしっかりと信じなさいと語っているのであります。

「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。 」ローマ人への手紙10章9節

「イエス・キリストの復活」。 それは本当に信じ難いことですが、それを信じる所に大きな変化が起こるのです。 天地を造られた神様はこのイエス・キリストを死からよみがえらせる事が出来る方だという事。 私達は『復活』などというと

「そんなことはあり得ない。 そんな事は馬鹿らしい」

と考えます。 しかしそれが出来ない神様であれば、私達が信じるに足る神様と言えるでしょうか? それができるからこそ、私達が信頼できる神様という事がいえないでしょうか。 このお方は十字架と復活をもって私達の救いを成し遂げて下さったのです。

身代わりの十字架――赦される罪


聖書にはイエス・キリストは死んだと書いてあります。 皆さんは「必ず天国に行ける」と思っているかもしれませんが、もしイエス・キリストが死んだだけであるならば、これは保証されない事になるのです。 でも"復活"が事実であるならば、天国の命、永遠の命は確かなものなのです。
聖書には

「罪からくる報酬は死です。 」 ローマ人への手紙6章23節

とあります。
皆さんの身体は日々、新陳代謝がなされています。 全ての物が新しく、新しく変えられていくのですから、永遠に生きたって良いはずではないですか? でも必ず"死"はやってきます。 何故ですか? 聖書では"罪"が入って以来なのだと説明しています。 ですから聖書がそう言うのであれば、イエス・キリストが死んだという事はイエス・キリストも罪人なのだという事です。 でもそんな人にどうして『私達の救い』を成し遂げることが出来るのでしょうか? しかしながらこのお方は"死"だけでは終わらなかった。 "死"からよみがえったのです。 イエス・キリストは、今も生きておられるのです。 私が信じる信仰は"生きた神様、生きた主への信仰"という事をしっかりと覚えて頂きたいのであります。
イエス・キリストは"復活"を否定の出来ない確実な証拠として人々に見せました。 この事実は皆さんに大きな疑問をもたらすと思います。 それは『ではどうしてその罪なき人が死んだのだ』という事です。 罪がなければ死なないはずならば、ではどうして死んだのですかという疑問です。 この事実がイエス・キリストが私達の罪の身代わりになられたということの証拠なのです。 イエス・キリストは私達の身代わりになったから死んだのです。

と同時に死からよみがえったという事はどういう事でしょうか。 それは、その罪はもう処理されてしまった、ということなのです。 解決したのです。 あなたは過去にやってきた事、過去に歩んで来た道を悔やんでいるでしょうか? 取り返しのつかない罪を犯してきたと思われるでしょうか。 その為にイエス・キリストはもう死んで下さいました。 今あなたは「私はどうしても解決できない罪がある。 問題がある」と悩んでいるでしょうか。 その為にもイエス様は死んで下さったのです。 これから私はまたイエス様に罪を犯してしまうと恐れていますでしょうか。 その為にもキリストは既に死んで下さったのです。 過去、現在、未来にわたってキリストは完全にあなたの身代わりとなって下さったのです。 ですからもうその罪に悩む必要は全くありません。

私達はこれを感謝しますと受け取るだけで良いのです。 神様は、誰にでも与える恵みとしてこの救いの道を備えてくださいました。 誰でも「神はキリストをよみがえらせた。 真の神にはそれだけの力がある。 真の神様の十字架には、罪を赦す力がある」と信ずる者を神様は本当に赦して下さる。 私達は罪の呵責に責め悩まされるかもしれません。 同時にある人は死の恐れを持っているかもしれません。 でもイエス・キリストはその死を打ち破ってよみがえったのです。 皆さんがどうしても打ち破れなかった"死"をも打ち破ったという事なのです。 それに打ち勝った方があなたと共におられるんです。 その方を是非しっかりと覚えていただきたいのです。

主は生きておられる


「週の初めの明け方早く、女たちは、準備をしておいた香料をもって墓に着いた。 」 ルカの福音書24章1節

彼女達は何とかしてイエス様の身体に香油を塗りたいとキリストが葬られた墓に行きました。 墓石が動かされ、そこにはイエス・キリストを包んでいた亜麻布はあったのですが、肝心のキリストの体がなかったのです。 彼女達はイエス・キリストから直々に「私はよみがえります」と聞いていたのに、誰もそれを真剣になって考えていないんです。 ですから、ただ恐れ慄くだけだったんです。 そして泣いていた不信仰な彼女達に、憐れみ深い神様は語り掛けるのです。

「恐ろしくなって、地面に顔を伏せていると、その人たちはこう言った。 「あなたがたは何故生きている方を死人の中で探すのですか。 」 ルカの福音書24章5節

私達も結構こういう事をしていると思いませんか? 神様を信じていると言いながら、信じた神様を死人の中で探している。 生きていらっしゃる神様をお迎えしていないで、死んでしまった神様としてしか考えていない。 その為に悩んだり、迷ったり、苦しんだりしている事はないでしょうか? 弱い私達を神様は立たせて下さる。 この事を是非覚えて頂きたいと思うのであります。

憐れみ深い神様は、その憐れみの故にキリストと共に私達をもよみがえらせて下さったのです。 ですから私達は日々よみがえりの力にあずかり得る者なんです。

"主は生きておられる"イースターの今日、この事にしっかり立ちましょう。 死人の中にイエス様を探すことはやめましょう。 あなたが様々な苦しみを持っているかもしれない。 乗り越えられないと思う様な困難に出会っているかもしれない。 辛い痛み、苦しみがあるかもしれない。 でもそこによみがえりの主がおられること。 そして主はイエスをよみがえらせたようにあなたもよみがえらせる事が出来る。 力づける事が出来ることを知って頂きたいと思います。 信じる者に働く神の力がどんなに偉大なものであるかを知ることが出来ますように。 神を信じて、神の栄光を共に見させて頂きましょう。 私達がどれだけ信じるか、それが鍵だという事。 『疑うものにならないで、信じる者になりなさい』と言われた言葉を真剣に受け止めて、復活の信仰に生きるお互いにされていきたいと思います。
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