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2000年5月28日 日曜礼拝メッセージ



 新約聖書 ルカの福音書1章57〜80節より
牧師写真
 メッセンジャー
   仙台福音自由教会
   吉田耕三牧師

先週はマリヤの信仰を通しまして、「信じきった者の幸い」という中からご一緒に学ばせて頂きました。 今日はザカリヤとエリサベツの信仰の姿の変遷を通して、"バプテスマのヨハネ"誕生の備え、神様の導きをご一緒に学ばせて頂きたいと思います。 

神への信仰を明確にする


今日の箇所では、不妊の女エリサベツにいよいよに赤ちゃんが生まれるという恵みに与った所から始まります。 ザカリヤとエリサベツに子供がないという事は本当に苦しい事でありました。 彼等が『神の前に忠実に踏み行っていた』。 神様に忠実であればあるほど、「何故自分達に神は与えられないのか?」と苦しみであり、悩みであり、悲しみであった訳です。

ところが子供が生まれるのであります。 赤ちゃんがなかった家庭に、男の子が生まれた。 この喜ばしい出来事の中に、一つだけ悲しみが残っていました。 それはエリサベツに赤ちゃんが宿る事が御使いから伝えられて以来、父親ザカリヤは言葉が話せなくなっていたのです。 推察するに、言葉だけではなくて、耳も閉じられた様であります。 『そして、身振りで父親に合図して〜 62節』とありますから、多分耳も聞こえなくなっていたと思われます。 

当時は子供に親の名前を入れるのが、普通になされていた様であります。 集まった人達は"ザカリヤ"という名前にしようとした。 その時に母親エリサベツが『いいえそうではなくて、ヨハネという名にしなければなりません 60節』とあくまでも"ヨハネ"という名前に固執するので、周りの親族の人達も困って、父親ザカリヤに身振り手振りで"名前"といった訳であります。 彼は書き板の上に『彼の名前は"ヨハネ" 63節』と書いた。 そして、今まで約九ヶ月間聞こえなくなっていた耳が解かれ、口も開かれて、話せる様になったのです。

さてこの事件は一体私達に何を語り、何を教えているのでしょうか? まず第1には、神様はこれらの事によって"私達の信仰"を明確にする為にこのような出来事を聖書に記している、ということであります。 旧約の時代から何百年、何千年という中で預言され、成就してきた驚くべき神の御業として成されているのだ、という事。 この事を私達は見る事が出来る訳でありますが、ザカリヤにイエス・キリストの道備えをする"バプテスマのヨハネ"の誕生をまず予告し、彼が不信仰だった為に口を閉ざし、彼が信仰に立ったその日に口が開かれ、再び話せる様になった。 神がどんなにこの事を大切に運んでおられた計画であったかという事を私達はここに見るのであります。

私達は信仰的に恵まれている時には、あまりそう考えないんでありますが、例えば何か嫌な事が立て続けてあったり、自分の思い通りにならなかったりすると、私達は神に対して疑いを持ったり、嫌な気持ちを抱いてしまったり、不信仰になってしまう事があるかもしれない。 そんな時にこそ私達はこういった出来事の一つ一つ、事実をしっかりと踏まえるべきですね。 私達の感情が神様を喜ぶ感情であろうが、反対に神様に対して熱心な気持ちが薄れている時であろうが、神がおられて、神が"救い主"を送って下さり、信じた私達が永遠の命を頂いている。 この事実に変わりはないのです。 ですから私達はこの事をしっかりと受け止め、それによって揺るがない信仰を頂く事が大切になります。 

信仰の訓練


さてもう一つは"信仰を訓練する"ところの御業である事を覚えたいのであります。 すなわち彼がおしになってしまった理由はなんであったでしょうか? 御使いからの預言を彼は、自分の年齢や状況を見て、

「いまから子供が出来ることは絶対に有り得ない」

と不信仰になってしまって、『その証拠を見せて下さい』とこう言ってしまったのです。 そしてそれ故にザカリヤはその時から、口が閉ざされてしまった。 それが9ヶ月間も続いたんです。 どんなにか不信仰というものが重い意味を持つものであるかと言う事を彼はここで教えられたのではないかと思います。 そして子供の名前を"ヨハネ"と木に記した瞬間に、彼は口がとけた。 

「この子は本当に神様から与えられた者なんだ」

という事を心から彼が信じた証として、子供の名前御使いから言われた様に"ヨハネ"と付けると書いた訳です。 彼が信仰に立ちきった時に、恵みと祝福が注がれたと言う事を覚えて頂きたいのです。 

「まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。 あなたがたにいいますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。 しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」 ルカの福音書18章7〜8節
神様は本当に応えて下さいます。 でも果たしてあなたがその時に信じる信仰に立っているでしょうか? 私達も神様に対して不信仰を持ったままにして、折角の"神様の恵み"を台無しにしてしまっていることはないでしょうか? 神様は私達に多くの物を与え様となさっているのに、不信仰の故にそれが妨げられているという事がないでしょうか?

私達の不信仰が神の業をとどめてしまう。 「神にはどんなことでも出来る」という信仰に立たない為に、神の御業がそこに働く事が出来ない。 その現実をしっかり覚えたいのであります。 神様は私達を通しても驚くべき御業をなさらんとしているのです。 本当に私達が心を一つにして主に信頼するならば、驚くべき業を主は今もして下さるという事です。 でもその反対に主を信頼しないならば、その御業も起こらないという事でありますね。 ある方は

「どうせ神様は知っているんでしょう? 祈ったって、祈らなくたって分かっているんでしょう。 ちっとも変わらないんじゃない?」

という方がいるんですが、結してそうではありません。 神様は、祈らないときには与えられない恵みを、祈る時に確かに下さるのです。 祈らなくても与えて下さる恵みもあります。 けれども祈らなければ起きない恵みというものがたくさんあるんです。 そして私達が実際信じて、祈って求めない為に、その事が起こらないという事が数多くある事を心に留め置きたいと思います。 私達はもっと信仰に立つという事に真剣に真摯に向かっていけたらなと思うのであります。 

信仰に立つ者


ザカリヤは神の御心を知り、そして御言葉を預言する者に変えられました。 私達はもう一つの信仰に対する神様の御業、すなわち信仰への訓練を見させて頂く事が出来るように思うのです。 神様はザカリヤを9ヶ月間かけて、信仰に立つ者に変えていかれた様に、私達をも"信仰に立つ者"に変えようとされているという事。 皆さんの生活の中に「信仰によって歩んでいる部分」がどれ位あるでしょうか? 目に見えるものによって歩むなら、それは"信仰"とは言い難いかもしれません。 目に見えない方を見る様にして本当に歩む事が出来てこそ"信仰"ということが出来るのではないでしょうか?

「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」 へブル人への手紙11章1章

神様を信頼するから、(神様は必ずこうして下さる)と信じて歩んでいく事が出来る。 困難や試練の中にあってさえも、平安を持って、喜びを持って歩むことが出来る。 それが信仰による歩みでありましょう。 ザカリヤは正しく信仰を持って歩むことが出来るようにされた為に、この様な預言を語る事が出来ました。 エリサベツもまた、(本当にこの子供は神様が下さった子供だ)と信じたからこそ、彼女もまた"ヨハネ"の名前を付けることを強く主張したのだと思います。 彼等が本当に信仰に立った時に、彼等は彼等の任務を果たす事が出来る者・使命を果たす者に変えられていった訳であります。 
神様はザカリヤを訓練なさった様に、私達一人、一人をも訓練なさっておられる。 様々な出来事を通して私達を訓練しているという事を共に覚えたいと思います。 私の場合は、最初はお祈りすると直ぐに応えられた事が、しばらくすると祈っても直ぐに応えられない事が結構出てきました。 忍耐して祈ること。 待ち望む事が求められていったのですね。 神様はより信仰に立つ様にと私達の思いとは違う方法で訓練なさるという事です。 そしてついにそれは私達に良き実を結ばせる為であります。 

「わが子よ。 主の懲らしめを軽んじてはならない。 主に責められて弱り果ててはならない。 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子にむちを加えられるからである。」 へブル人への手紙12章5〜6節

「すべての懲らしめは、その時は喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になるとこれによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」 へブル人への手紙12章11節

神様は私達を様々な試練や自分にとって嬉しくないことを通して、訓練なさる事があります。 それは私達の信仰が強められ、また深められていく為であります。 ですから私達が出会う様々な事柄を試練として受け止めていきたいものであります。 そしてなお神様の御言葉は必ず成ると御言葉に立って歩んでいくものありたいと思います。 主の信仰にしっかり立つ事を教えられ、また主の証し人としての使命を共に果たしていくお互いとされていきたいと思います。 私達も様々な出来事の中に主のご訓練を見て、そこから信仰の養いを共に受けていけたらと思います。 
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