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2000年10月8日 日曜礼拝メッセージ



 新約聖書 ルカ6章12〜19節より
 メッセンジャー
   仙台福音自由教会
   吉田耕三牧師

イエス・キリストの生涯も段々と進んでまいり、いよいよ12弟子を選ぶ大切な時期がやってまいりました。もし皆さんが大切な仕事を担当してそれを誰かに譲らなければならないとするならば、一体どの様な方に委ねたり、託したりしていかれるでしょうか。今日私達はその様な役割を担うイエス・キリストの姿を見ていきたいと思います。

神の前に静まる

「このころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。」 12節

イエス・キリストの宣教が進み、皆が"素晴らしいイエス様"に近づくのでありますが、同時にイエス・キリストに対して何とかして「亡き者にしよう」という動きも活発になってくる訳です。その様な中でイエスは福音を後々まで正しくのべ伝えてくれる人物を選び出さなければならない必要を感じられたのでしょう。イエスは山に登られ、一晩中そこで祈っておられたというのです。皆さんが困難や試練や苦しみにあわれた時にはどうなさるでしょうか?(どうしよう、どうしよう)と動きまわって「あの手」、「この手」と考えるでしょうか? 時にそれも悪くはないでしょう。必要でありましょう。しかしまずその前に"神の前に静まる"という事を忘れない様にする必要があるのではないかと思います。

「神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る」 イザヤ30章15節

神様の前に静まる時、私達の心の中に平安や安らぎや冷静な判断力が出てくるのであります。困難、苦しみ、悩み、その他色々な事が出て来た時には、まず主の前に祈る。もしも困難や苦しみの中で、私達が祈りを始めた時に、多くの問題の解決が見出されるのではないかと思うのです。呟いたり、不平を口に出したり、ただ動き廻る前に、「主よ、今こんな風に悩んでいます」と問題を神の前に差し出していく姿勢を取らせて頂きたいと思います。

さてイエス・キリストは山で何を祈っておられたのでしょう? 誰を12弟子にしようかと祈ったのでしょうか? でも今までの所を見ると、それはある程度出来ていたと思います。 ペテロやアンデレやヤコブ達に『わたしに着いて来なさい。』『あなたを人間をとる漁師にしてあげよう』と語りかけていました。「誰を選ぶか」はイエスの中ではもう決めていたでしょう。それにも関わらず一晩中何を祈ったのでしょう? 

恐らく弟子達のこれから歩みの為に祈ったのではないでしょうか。すなわち選び出された弟子達が神の僕として、神に従って歩んでいく事が出来る様にとイエスは心を注ぎ出して祈っていたのではなかったかと思うのです。この弟子達一人、一人を見るならばそれが必要であると思いませんか? ペテロは非常に情熱的ではありますが、おっちょこちょいですね。あまり信頼がもてるとは言えない人物ではないでしょうか。次にヤコブとヨハネに関しては彼等は『ボアネルゲ』(マルコ3章17節参照)と言われています。"雷の子"という意味です。恐らく彼等は直ぐに腹をたてる人だったのでしょう。トマスは疑い深いですね。他の弟子達が皆復活のイエスに出会ったといっても、彼は信じない。ユダヤの為なら命さえもいとわない熱心党員であったシモン。その反対に"売国奴"と思われてていた取税人のマタイ。このグループがどの様にして神様の御言葉を永遠の日まで伝えていく事が出来るでしょうか? これは祈らざるをえないと思うのではないでしょうか。

イエス・キリストはその彼等の為に夜を徹して祈られた。この事は私達に対する励ましでもあるかと思います。弟子達は特別な人達でありませんでした。
特別な取柄がある訳ではなく、本当にごくごく普通の人。"神様の使命"を頂いて伝えていく、メッセンジャーの役割。何故こんな人達に任せるのかという姿ではないかと思うのです。でもイエス・キリストは正しく彼等を通して神の御業を前進させた。極々普通の人を通して神の御業は前進させられていったのだという事をよく覚えておいて頂きたいのであります。

彼等が特別に力があった訳ではなく、イエス・キリストが彼等の為に夜を徹して祈ったからこそ彼等が使徒としての働きを全うする事が出来たと思うのです。私達も又この様にイエス・キリストの恵みに与かる者にさせて頂きたいのであります。

キリストのとりなしによって

「しかしキリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるのからです。」 へブル7章24〜25節

ある方は(弟子達は直接キリストに祈られたからこんな風に歩めたんだ)と思うかもしれません。「イエス・キリストは十字架につけられ死んで3日目に蘇り、今も生きておられ、天の御座であなたの為にとりなしておられる。」事を知っていたでしょうか。イエス・キリストは弟子だけではなく、あなたの為にも祈っておられる。あなたの弱さ、惨めさがだめだは言わず、その事の為に祈っておられる事を是非覚えて頂けたらと思うのです。ですからあなたも使徒達の様に、神様の恵みに歩む事が出来るのです。

弟子として歩む

イエスは一晩中寝ないで祈り続け、山から下りて来た。そこには群衆がイエスを待っていました。皆が「イエスさま、イエスさま」と迫って来るのです。イエスは疲れきっていたと思います。でも全ての者を癒されました。

「そこでイエスは12弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。」 マルコ3章14〜15節

イエスがしている事は一人ではもう限界です。だからそれを弟子達に分け与え出来るように訓練する為に彼等を選ばれたという事です。イエスはある時に言いました。

「あなたがたは「『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある。』と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。」 ヨハネ4章35節

神様の救いを待っている人は沢山います。この救いを頂く為に、一人一人がその器になっていく訓練をしていった訳です。私達は徹夜で祈られたその"弟子つくり"という事を、もう一度、(神は本当に仕える人を必要としているのだ)(神は何の取柄もない私達一人一人を通して新しい御業をなさろうとしている)事をしっかりと心に留めさせて頂きたいのです。神様は私達を"弟子"として用いようとして下さっています。自分に「力が有る」とか「力が無い」とかではない。弟子達を見ても分かりますね。しかしこの弟子達をイエスは用いて、今に到るまで福音が全世界に述べ伝えられたのです。

神様はこの弟子を用いた様に、あなたを用いる事が出来ます。「どうぞこんな私ですが、お捧げします。用いてください」と主に祈ってみては如何でしょうか。主の栄光を共に豊かに頂くお互いとさせて頂きたいと思います。
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