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2001年2月11日 日曜礼拝メッセージ

だから聞き方に注意しなさい

 新約聖書 ルカ章8章16〜21節より
 メッセンジャー
   仙台福音自由教会
   吉田耕三牧師

前回は4つの種蒔きの例えから、私達は豊かな実を結ぶ道という事でご一緒に学ばせて頂きました。今日の箇所はその続きの箇所であります。

聞き方に注意しなさい

「あかりをつけてから、それを器で隠したり、寝台の下に置いたりする者はありません。燭台の上に置きます。入って来る人々に、その光が見えるためです。隠されているもので、あらわにならないものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現れないものはありません。」16〜17節

蝋燭(ろうそく)をあまり使わない時代になっていると思いますが、蝋燭を点けてそれに蓋をしてしまう人がいますでしょうか? 光は周りを輝き照らして初めて光の役割を果たす訳ですから、光を隠すのはおかしな事です。一体この箇所は何の事を言っているのでしょうか?

実はこの箇所は、神様を信じる者達(私達クリスチャン)の事を言っているのです。前回学んだ様に神様を信じて御言葉をしっかりと受け取るならば、私達は光を輝かす事が出来る様になるという事なのです。またその様になる様に注意深く聞く必要があります。というのがこの勧めなのです。私達が神様の御言葉を正しく受け取るなるならば光輝く力が私達の内に働くのです。私達がイエスの御言葉を真実に受け取ったならばその様な変化が起きてきます。またその様な変化が起こるような聞き方をしなさいという事なのです。

以前の私は劣等感のかたまりでした。人から誉められても、「きっと嫌味を言っているのだ」と考え全てを否定的にしか取れなくなってしまっていました。そうしますと信仰を持つ事自体が劣等感になってしまうのです。ですから日曜日に教会に行く時に、「何処にお出掛けですか?」と聞かれても、チャンス到来とばかりに堂々と「これから教会に行くのですがあなたも行きませんか?」位の事を言えばよいのに、私は「ちょっと…」と誤魔化すしか出来なませんでした。光を隠してしまったのです。これは御言葉を正しく受け止めきれていなかった結果であるという事が出来ると思います。もし私達が御言葉をしっかりと受け取っていくならば、そこから命の泉が湧き出て、神様の輝きを照らし出す様なそんな者になっていく事が出来るのです。

「だから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです。」18節

私達は御言葉を聞くと「ああそれは知っているとか、聞いている」という程度でとどまらせてはいませんでしょうか。そうではなく、しっかりと御言葉を自分にあてはめ、植え付ける様にして聞く事が大切であると言うことです。イエスは『聞き方に注意しなさい』と語っておられます。表面的に「分かった」というところにとどまらないで、本当にイエスと深い部分において触れ合っていく。これが大切ではないでしょうか。表面的な肉的な触れ合いを「触れ合っている」と錯覚してしまう危険性があります。その一つの例としてイエスの家族の例が出ています。

私の家族は神の言葉を聞いて行う人たちです

「イエスのところに母と兄弟たちは来たが、群集のためにそばへ近寄れなかった。それでイエスに、「あなたのおかあさんと兄弟たちが、あなたに会おうとして、外に立っています。」という知らせがあった。ところが、イエスは人々にこう答えられた。「わたしの母、わたしの兄弟たちとは、神のことばを聞いて行う人たちです。」19〜21節

随分と冷たい言い方をするなと思うかもしれません。イエスはヨセフ、マリヤ夫婦の長男として生まれました。その後に数名の兄弟が生まれています。実は彼ら兄弟達はイエスが復活するまでイエスを本当には信じていなかったのです。「預言者は郷里では尊敬されない」と書いてあります。もちろん素晴らしい歩みをしましたから尊敬はされていたでしょうし、普通の人とは少し違うとは思っていたでしょうけれども、"神であり、救い主"とは信じていなかったと思います。

「そこで、イエスの兄弟たちはイエスに向かって言った。「あなたの弟子たちもあなたがしているわざを見ることができるように、ここを去ってユダヤに行きなさい。自分から公の場に出たいと思いながら、隠れた所で事を行う者はありません。あなたがこれらの事を行うのなら、自分を世に現しなさい。兄弟たちもイエスを信じていなかったのである。」ヨハネ7章3〜5節

彼らは同じ家に住んでいましたから、自分達はイエスの事を知っているし分かっていると思っていました。しかし彼等は本当の意味では分かっていなかったのです。兄弟達が何の為にここに来たのか、はっきりとは書いてありません。別の箇所にはイエスは気が狂ったと聞いたので連れ戻す為に来たとも書かれています。それに対してイエスは『わたしの母、わたしの兄弟たちとは、神のことばを聞いて行う人たちです。』と答えられています。

「本当の意味で神様の言葉を受け取るもの、信じる者それが私の兄弟です。そしてあなたがもするべき事はこれです」と教えて下さっているのです。これは私達への警告とも言えるのではないでしょうか。イエスの兄弟ですら本当には信じていなかった。

表面的には信じている振りをしていたかもしれません。でも本心は信じていなかった。私達も表面上は信じている振りをする、自分ではそういうつもりでいる。でも本当には御言葉を受け取ってはいない可能性はないでしょうか? 私達も心の深みにおいて神様をしっかりと受け入れる事が大切です。

私達は心に様々な悲しみや傷や痛みを持っている。そういったものに大体は蓋をしてしまっています。その為に、せっかく神様が癒し慰め立たせようとして下さっているのに、触れられなくなってしまっているという事もあるのではないでしょうか? 神様は私達の本当の痛みの部分、そこに来て癒して下さるのです。私達が痛みや悲しみという深みに下りて、そこで御言葉の力を味わうならば、とどめる事が出来ないような力が私達の内に満ちて、光を放つようになり、汲めど尽きない命の泉が湧いてくるのです。主の豊かな泉に与っていくお互いにされていきたいものです。
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