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2001年6月17日 日曜礼拝メッセージ

「弟子の派遣」



 新約聖書 ルカ10章1〜16節 より
メッセンジャー
 仙台福音自由教会 吉田 耕三牧師

前章で12人の弟子を遣わされたイエス様ですが、この10章では70人の弟子を更に遣わされた事が記されています。一説には12弟子はユダヤを現し、70人はユダ民族を現すとか、ある人はノアの洪水以降の70部族を現していると言う方もいます。まずイスラエルに福音が宣べ伝えられ、更に全世界に福音が伝えられる一つの印しかもしれません。

さて、本日の箇所はイエス様が弟子を遣わすにあたり語った言葉です。実は神様は私達一人一人をも“弟子”として召しておられる事をご存知でしょうか? 他人事の様に思う訳ですが、神様は私達を弟子として下さっている。そこで、次の事を覚え注意して歩みなさいと言うのです。

あなたがたが行きなさい

「その後、主は、別に七十人を定め、村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。」(1節)

イエス様が初めて行って、すべてを教え伝えるのは時間がかかります。前もって弟子達が遣わされ、その後にイエス様が行くならば、人々は心備えられて素直にイエス様の言葉に耳を傾ける事が出来る訳です。その備えとして「まずあなた方が行きなさい」と言いました。一人の人が救いに導かれるには、前段階として色々な人が用いられています。私達はとかく「○○さんがこの人を救いに導いた」と考えてしまうかもしれません。しかしそうではなく、様々な人の小さな言葉や挨拶、行動が積み重り、そして何よりも様々な方の祈りがあって、一人の人の魂が救いに導かれていくのです。イエス様がお伝えするにあたっても、弟子達がその前に遣わされました。私達もそれぞれの社会、家庭、職場において“先駆者・あかし人”として遣わされていきたいと思います

さてイエス様は“二人ずつ”お遣わしになられてます。これはとても大切な事です。「福音を伝える」とは大変な霊的戦いをしている事であると聖書は語っています。ですから私達は福音を伝えていく時に共に祈り、励まし、支えてくれる方がどうしても必要なのです。一人ががっかりしても、一人が救い出す。

「また、ふたりがいっしょに寝ると暖かいが、ひとりでは、どうして暖かになろう。もし、ひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。」(伝道者の書4章11〜12節)

多くの人が救いを知らないでいます。私達が共に手を携え祈りあっていくならば、そこに主の勝利がある訳です。更にイエス様は大切な事実を語られます。

「そして、彼らに言われた。「実りは多いが、働き手は少ない。だから収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」(2節)

まず第一にイエス様は、『実りは多い』と語っています。日本のクリスチャン人口は未だに1%どころか、毎週礼拝に集うクリスチャンは0.2、0.3%。『実りが多い』と言われても、本当だろうか、と言うのが正直な気持ちかもしれなません。一生懸命やっても救われる人がなかなか起きない。日本中の教会、牧師の悩みであるかもしれません。でも私達は騙されてはなりません。イエス・キリストは『実りが多い』と言っているのです。私達は神の言葉を受け取るのか、人の思いや状況をを優先するのか? 今どうであれ、『実りは多い』と主は語っている。この事実をしっかり受け取り、「多くの人がきっと救われる」という信仰を持って前進していきたいと思います。

とかく私達は(ダメだ。出来ない)と思ってしまます。でも神様にも出来ないのでしょうか? それは神様を小さくしてしまっているのではないでしょうか? 「神に出来ない事はない」これが私達の持つべき信仰ではないでしょうか?私達が(ダメ)と思ってしまうか、「神には出来る」と信じて進むか、大きな違いです。聖書は『実りは多い』と言っています。だとするなら、私達はこの御言葉煮立つことが大切なのではないでしょうか。? 難しい厳しい状況があるかもしれない。それでも「神に出来ない事はない」と信じて進むのが私達クリスチャンのの歩みではないでしょうか? 私達には出来ないことがたくさんあります。でも神は事を成さろうとしているのです。「神には出来る」という考え方で進んでいきたい思います。

しかしイエス様は同時に、『収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。』とも言っています。実りは多いが、刈り手が少ない。今これは深刻な状況になってきつつあります。本当に福音を伝える人々が少ないのです。無牧の教会が幾つもある。今の福音自由教会の中でも、65歳以上の牧師が何人かいます。それに対して若い人で献身するのが非常に少ないのです。私達は真剣にこの御言葉を聞かなければならないと思います。私達の教会からも毎年、毎年献身者が起こされて、牧師のいない地に次々と遣わされて行く様に真剣に祈っていきたいと思います。神様の為に全生涯を捧げる方が次々と起こされてくる様に、神様が起こして下さる様に熱心に祈っていきたいと思います。

恵みによって強くなる

「さあ、行きなさい。いいですか。わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に小羊を送り出すようなものです。」(3節)

しかしその道は、決して簡単で楽な道ではありません。厳しい戦いの道であります。イエス様は私達がどんなに弱く、心もとない者かご存知です。私達は日々神様に守られ覆われていかなければならない“弱い者”である事を自覚する必要がある。でも同時にこれは慰めでもあると思います。私達がが弱いからといってそれは何の障害にもならないのです。神様はすべてをご存じで、尚遣わすのですから、神様の恵みに与る事が出来るんのです。


「そこでわが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。」(第IIテモテ 2章1節)

もらう資格のない者がもらうのが“恵み”です。その恵みによって強くなりなさい。これが主の御言葉です。もし(自分は弱く神様の証人として相応しくない)と言うのなら、そのあなたこそ“弟子に相応しい”のです。(私は足らない者、資格のない者)これを知っていることが、主の僕の資格なのです。「弱いから主よこの私を助け憐れんで下さい」心からこの祈りが出来る時、恵みによって私達は主の僕として整えられて行くのです。

伝える喜び

「財布も旅行袋も持たず、くつもはかずに行きなさい。だれにも道であいさつしてはいけません。」(4節)

狼の中に小羊を送り出すなら、財布も旅行袋も持っていきなさいと言うのなら分かりますが、それらは持っていくなと言うのです。あなたがたが頼るのは“神”だけです。神様によって強められなさいという事が一つでしょう。そしてもう一つはあなた方が成すべき事は緊急を要する事であるから、道で長々と挨拶をしている場合ではありません。この村が終わったなら、あちらの村、こちらの村に行きなさいという事です。イエス様は十字架に向かっていこうとしています。残り時間は僅かです。その間に弟子を訓練し、育てなければなりません。だから一刻を争って、御国と福音を伝える事に専心しなさいというのです。  

聖書が語る預言が既に次々と成就してきました。次に明確に起こる預言は、イエス・キリストの再臨です。私達はその時栄光の身体に変えられ、全ての苦しみから解き放たれてイエス様と会いまみえることができるのです。けれども同時にそれは、イエス・キリストを信じれば救われるという恵みの時代が終りを告げる時でもあるのです。聖書のある箇所には『彼らは悲しみながらイエス・キリストの再臨を見ると』と書いてあります。彼等は聞いていたでしょう。知っていたでしょう。しかし信じようとしなかった。(イエス様が来てしまった。どうなるのであろう)と不安と恐れを持ってその日を迎える。その時が来る前に、あなたには伝えるべき人がいるのではないでしょうか? 私達は熱心にその方々に福音を伝えていく責任と義務があるのではないでしょうか? 私達まず今出来る事(この人の為に祈ろう)(あの人の為に愛の業をしよう)。何でも出来ます。人々の為に祈る。私達は時を争ってその様にして行く事が大切である事を是非覚えて頂きたいと思います。

「どんな家にはいっても、まず、『この家に平安があるように。』と言いなさい。」(5節)

皆さんは自分が神の国の外務大臣である事に気がついていますか? 人々に神の国を代表して家族や隣人や友人に伝えるスポークスマンとして置かれている事実に気がついていますでしょうか?私達はこの大切な使命を受けている事実をはっきり知るべきであると思います。そしてあなたがた平安があるようにと祈るなら、その平安は残るというのです。福音を伝えていて一番恵まれるのは、大体自分なのです。伝えていると自分が喜びに満ちてくるのです。それは例え相手が受け入れなくても、自分に返ってくる祝福があると感じます。

会う人、会う人に祝福を取り次ぐ、与える。そういう使命にあるのです。ご家族の中にあっても、近隣の中にあっても皆さんはもっともっと神の祝福を祈るべきです。神の祝福の基、神の国のスポークスマンとして立たされているのです。ですから祝福をどうぞ祈って下さい。皆さんの前に祝福があふれる様にして下さったらと思います。しかし同時に福音を伝える時に、私達が恐れるのは皆が自分の事を受け入れてくれない、拒否される、嫌われるのではないかとの思いであり、それ故に福音を伝えるのは苦手という人もいるのではないでしょうか? それに対してイエス様は、

「あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾ける者であり、あなたがたを拒む者は、わたしを拒む者です。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒むの者です。」(16節)

もし皆さんが福音を伝えて、皆さんが否定されたのなら、あなたが拒否されたというよりも、あなたを遣わした主が否定したのだ。だからあなたは拒否された事を悲しむ必要はないと言うのです。皆さんが熱心に福音を伝えてそれを受け入れないとするならば、それはもうその人の責任なんです。人に福音伝える事は私達が成すべき事です。それぞれが自分の力に応じて、ある人は祈る、ある人はトラクトを配る、ある人は良き業をするのです。働きは違っていてもそれぞれが、弟子として召されている事を真剣に受け止める事が大切であり、それは本当に祝福となるのです。あなたが周りに祝福をもたらす為に遣わされたという使命を真剣に受け取る時に、私達は喜んで主の僕としての道を歩む事が出来るのです。

私達しか触れる事が出来ない方々がいます。私達はそれぞれに相応しく証をしていく必要があるのです。神様はあなたがたを神の国の外務大臣として任命しているのです。神様は弱くて良いと言って下さるのです。ただ主の備えて下さった恵みによって強くなれば良いのです。まず出来る事は周りの方々に祝福と平安を祈って下さい。正しくあなたが平安の源として用いられていく事でしょう。今までの経験や言葉に動かされず、御言葉だけに目を留めるなら、「この家、この地、この職場にも」と主の業を期待し、立ち上がる事が出来るのです。主は力を与えて、遣わして下さるのです。この主の使命にしっかりと立つお互いにされていきたいと思います。
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