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2001年6月24日 日曜礼拝メッセージ

「本当の幸い」



 新約聖書 ルカ10章17〜24節 より
メッセンジャー
 仙台福音自由教会 吉田 耕三牧師

皆さんにとって“幸福”とはどういうものでしょうか? 人によって色々と違うかと思いますが、はたして自分が「どの様になったら幸せになる」と本当に分かっているでしょうか? 例えば、(もう少しお金があったら)とか(もう少し時間があれば)(もう少し……)と言うかもしれませんが。それが与えられた時に果たして幸せになっているでしょうか? また(もっと、もっと…)と結局本当に幸せになっていない自分に気が付くのではないでしょうか? 自分が思っている所とは、違う所に幸せがあるのを私達は教えられるのではないでしょうか? 今日の箇所では、弟子達が一つの喜びの中にある時に、本当の喜び、本当の幸せが何処にあるかをイエス様が語って下さっています。

弟子の派遣

「さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私達に服従します。」イエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンが、いなずまのように天から落ちました。確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。」(17〜19節)

以前12弟子を遣わした様に、今度は70人の弟子を遣わしました。さてこの時に悪霊が追い出されるという事があちらこちらで起きたのです。もし皆さんがそこにいたらどう感じるでしょうか?(私が祈っただけでこんな事が起きるの?)と大変驚き感動すると思います。今まで縛られていた人が自由になり、今まで暗くなっていた人が明るくなり、神様の御業が次々と起こる。嬉しくて仕方がないのではないでしょうか? 弟子達は喜んで帰って来たのです。『あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します』と報告した。自分の力ではなく、イエス様の力に関係があるのだという事は彼等も重々知っていたと思います。さてこの時にイエス様は『サタンが天から落ちるのを見た』と言うのです。これは非常に大切な真理を私達に、教えて下さっていると思うのです。即ち私達が福音宣教、神の御言葉を宣べ伝える時に、神の業が進展し悪の業が打ち壊されていく。主の業の勝利がこの地に起こる事を示唆しているのではないかと思うのです。

「みことばを宣べ伝えなさい。時がよくても悪くてもしったかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」(第IIテモテ 4章2節)

私達は(ただ宣教をするだけ)と思いますが、そこには悪魔の力を打ち壊していく力がある事をここに覚えたいと思うのす。私はある国では非常に多くの方が救われ、ある国ではそうでないので(何故であろうか?)と思っていました。これは福音宣教が絶え間なく激しくなされていく時に、そこに悪の業が打ち壊されていく。ですから真剣にこの事を考えなければならないと思いました。私達はもっと、この日本にも救われる人が起こされて欲しいですし、神様の御業が成されてほしい。その為には私達はもっと真剣に福音を伝えていく必要があるのです。戦いがあっても祈りながら続けていく時、悪の業が滅ぼされていくのです。私達が信じて祈って前進していく時に、神の御業はこの地を支配し、そこに救いの御業がどんどんなされていく。私達も宣教の推進により、もっと神の栄光を見させて頂く者にならせて頂きたいと思います。

主の戒め

「だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」(20節)

このような事が次々に起きたなら誰でも喜んでしまいます。しかしイエス様はその事を喜んではならないというのです。そうではなく、『あなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。』つまり命の書に名が書き記されている事を喜びなさいというのです。皆さんが祈って奇跡が起きたなら、(すごい!素晴らしい!)と喜ぶのではないでしょうか? しかしその喜び一時的なもので、それは消え去っていくものです。一時的なものに目を捕らわれるのではなく、本当の祝福、喜びを求めていく必要があるという事です。私達が永遠の命の書に名前が書き記されている価値は、地上でのどんな奇跡や素晴らしい業より、もっと価値のある事なのです。私達は目に見える奇跡や地上での成功、出世に、大きな喜びを見出します。しかし、天の御国に名前が記されている事をもっともっと喜び、その価値の深さを知らされていくべきだと教えているのであります。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(第Iテサロニケ 5章16〜18節)

非常に有名な御言葉です。でも(喜べる時は喜ぶけれども、喜べない時もある)と思いますね。何時も喜んでばかりはいられない。嫌な事も起きる。嫌な事を言われる事もある。ではどうして喜んでいられるのですか? それはあなたの名前が天に記されているから、あなたの御国はそこにあるからです。もしあなたがそれを思うなら、いつもでも喜ぶ事が出来るということです。私たちの内には、人間の思いでは、はかりしり得ない祝福が前に置かれているのです。私達はもっと真剣にこの事実を覚えていきたいと思います。

「ちょうどこのとき、イエスは聖霊によって、喜びにあふれて言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵ある者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。」(21節)

この時イエス様は本当に喜びました。ここで言っている“幼子”は小さな子供をさしているのではなく、『賢い者や知恵ある者』に対する言葉としての“幼子”です。本当に“へりくだる者”という意味です。神の恵みはそういう人に現された。この事をまず第1にイエス様は褒め称えているのです。

「いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、ひりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。」(イザヤ57章15節)

神様は知恵ある者や権威ある者ではなく、心砕かれへりくだった人、ここで言う“幼子”と共に住むと言っています。私達が神様の恵みに与る為に必要な事は、私達がへりくだる者、砕かれた者になっていく。神様はへりくだる事がどんなに大切であるかをここに教えるのであります。

「すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、子がだれであるかは、父のほかには知るものがありません。また父がだれであるかは、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも知る者がありません。」(22節)

地上に現われたイエス様はそんなに見栄えのする者ではありませんでした。ですからイエス様が本当はどの様な方であるかは、誰も知りませんでした。真の意味を知っていたのは、父なる神様一人だけでした。また父なる神様についても、どんな方であるか分かる様にされたのは、イエス様が父なる神を知らせようと決めた者達(私達)にしか教えられなかったのです。私達はイエス・キリストによって、へりくだり、自らの愚かさを認める故に、神の知識を得る事が出来る様に、神に選ばれた。それは大きな祝福であり、何ものにも比べる事の出来ないものである。ピリピ2章のイエス様の謙卑に習って、私達もへりくだりを求め続けていきたいものです。

私達が今日ここから学ぶのは、福音宣教が、実に悪しき者を打ち壊す力を持つものであり、神の国の戦いに参画する事が出来る働きであること。それ故もっと、真剣に福音を伝えていく必要がある事を覚えましょう。御言葉は『時がよくても、悪くても』福音を宣べ伝えなさい。イエス・キリストの名によって悪魔の業に打ち勝っていくのです。と語っているのですから。

「なぜなら、神によって生れたものはみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」(第Iヨハネ 5章4〜5節)

イエス・キリストを神の子と信じるあなたがたには、この勝利の力が与えられているのです。皆さんが本気になって祈り、本気になって人に仕えていく時、サタンの業は段々と打ち破られていく。ついには、神の御業が豊かに現される。皆さんの家族も友人も全ての人が福音に触れて欲しいと思いませんか? それを妨げている悪しき者を縛りあげ、主の勝利を見させて欲しいと思いませんか? 一人一人熱心に、主に満たされて、福音を宣べ伝えていくものにならせて頂きたいと思います。しかしそこに驚くべき奇跡があっても、肝心な事は命の書に自分の名が記され、永遠の祝福に招かれている事を覚え、それを喜ぶ者とされていく。ここから神の祝福が注がれていく事を覚え、更に主を追い求める者とされていきたいと思います。神様はその者に素晴らしい祝福と知識を与えて下さるのです。
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