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2001年9月2日 日曜礼拝メッセージ

「恐れるべき方」



 新約聖書 ルカ12章1〜12節 より
メッセンジャー
 仙台福音自由教会 吉田 耕三牧師

私達の信仰生活を妨げ成長を留めるものの一つとして“偽善”があります。私達は“偽善”に対して、もっと心の目を開けていく事が必要ではないかと思います。ルカ伝の中でイエス様は律法学者やパリサイ人に対して激しい非難がされています。今日の12章はその中でも特に“偽善”について語られています。

良い人振りをする―偽善

「そうこうしている間に、おびただしい数の群衆が集まって来て、互いに足を踏み合うほどになった。イエスはまず弟子たちに対して、話しだされた。「パリサイ人のパン種に気をつけなさい。それは彼らの偽善のことです。おおいかぶされているもので、現わされないものはなく、隠されているもので、知られずに済むものはありません。ですから、あなたがたが暗やみで言ったことが、明るみで聞かれ、家の中でささやいたことが、屋上で言い広められます。」(1〜3節)

“偽善”元々の言葉は「役者」という言葉で表現されています。今風に言えば「良い子ぶりっ子」であり、これが“偽善”という事です。 私達は人の目を気にして、人の目に評価される事を求めて外側を整えようとします。 しかしそのわりには、内側にある、心の中に出てくる様々な汚れた思い、醜い思いには心が向かず、目をふさいでしまっている事が多くはないでしょうか。

「あなたがたも、外側は正しいと見えても、内側は偽善と不法とでいっぱいです。」(マタイ23章28節)

私達は人から良い評価を受ける為に、或いは悪く思われたくない為に、色々気遣ったりする事があると思います。そして表面的には正しい事をやる事が多いと思います。けれども心の内側にまでその目を向けてみると、表面とは裏腹に汚い心や醜い心で行っている事が多いのではないかと思います。これが、律法学者パリサイ人が陥った過ちであり、又私達もしばしば陥る誤った生き方なのです。そしてこれこそイエス様が指摘する偽善的生き方なのです。私達はそこから解放された歩みをしていく事が大切であり、それが信仰生活に非常に重要な意味を持ってくるのであります。

『おおいかぶされているもので、現されないものはなく、隠されているもので、知られずに済むものはありません。ですから、あなたがたが暗やみで言ったことが、明るみで聞かれ、家の中でささやいたことが、屋上で言い広められます。』というのは、内側にある事はいつしか外に出てしまう。どんなに隠しておいても、隠しきれない。私達は絶対分からない様に隠しているつもりでも、人は見ています。私達は内にある汚いもの、醜いものを神様によってきれいにして頂かれなければならない。そうなれば綺麗になりますが、表面だけを綺麗にしたのでは、本当の清めではない事を覚えていきたいのです。では私達が“偽善”の思いになってしまう理由がどこにあるのでしょうか?

「そこで、わたしの友であるあなたがたに言います。からだを殺しても、あとはそれ以上何もできない人間たちを恐れてはいけません。恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺したあとで、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。」(4〜5節)

私達が“偽善”の態度をとってしまうのは、実は「人を恐れている」からです。私達の生活の殆どは人によく思われたいという部分が多いのではないでしょうか? その時に私達は本当に恐れるべき方を恐れずに、それ以外のものを恐れているという事なのです。もし私達が本当に自分の内側を見、神の前に出て自分を見るならば、私達は自然に内側をも清めるようになっていくのです。どんなに立派に見えていても、他の人から素晴らしいといわれる事をやっていたとしても、もし私達が自分の内側を見るなら、醜い思い、競争心や妬み、嫉妬がいっぱいであることに気付かされるのです。そこに一つ一つ神様の赦しと癒しと清めを頂いていく事が必要なのです。

人の評価はこの地上の事だけです。しかし神の評価こそ永遠の評価であり、これこそ私達は気にしていかなければならない事なのです。神様こそが本当に裁く権威をお持ちである悟るならば、「本当に私は神を恐れるべきだ」という所に立つ事が出来るのです。」私達が恐れるべき方を恐れ、神の前にも人の前にも潔白で正しい生き方をするのであれば、何をも恐れる必要が無くなってくるのです。私達は「人の前に生きているのか、神の前に生きているのか」といつも問われる者となっていきたいと思います。

本当に恐れるべき方

「五羽の雀は二アサリオンで売っているでしょう。そんな雀の一羽でも、神の御前に忘れられてはいません。それどころか、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。」(6〜7節)

“神様の恵み”が分からないと、こういう箇所を読んでも「怖い。神様に全部知られている。私のこの失敗や汚い心も全部知られているのだ」と思うかもしれません。でもこの箇所は「神様は守ってくださる」という事が書いてあるのです。一番価値の少ない物の例えとして“雀”があげられています。

マタイ伝には雀が二羽1アサリオンで売られていると書かれています。でもルカ伝では五羽2アサリオンになっています。この1羽はおまけです。おまけの1羽でさえも神様の御前には忘れられていないというのです。「私の様な者は神様の前に出る資格もない」と言う方がいるかもしれません。でも知って下さい。おまけのような一羽の雀をも忘れる事をしない方が私達の神様なのです。あなたがどんなに惨めで、弱く醜い者であっても神様はあなたを忘れない。あなたを責めるのではなく、あなたのその弱さを理解し、しっかりと掴んで下さるお方であるのです。

私達は神様の前に嘘をついたり、誤魔化したりしていませんか? 惨めで仕方がないのに、「いや大丈夫です」と言ってしまい、正直に自分の弱さ、足りなさや惨めさを告白できないのではないでしょうか。神様は全部知っているのです。ですからこの方を恐れ、同時にこの方の守りの中にある事を感謝するべきなのです。これが私達が持つべき信仰である事を覚えて頂きたいと思います。

弱さを認めて力をいただく

「そこで、あなたがたに言います。だれでも、わたしを人の前で認める者は、人の子もまた、その人を神の御使いたちの前で認めます。しかし、わたしを人の前で知らないと言う者は、神の御使いたちの前で知らないと言われます。たとい、人の子をそしることばを使う者があっても、赦されます。しかし聖霊をけがす者は赦されません。」(8〜10節)

『たとい人の子をそしることばを使う者があっても、赦されます。』とはどういう意味でしょうか? この人はまだイエス様がどのような方であるか分かっていないのです。だからイエス様の悪口を言っていても救われるのです。というのは未信者にとっては分からないのですから赦されるのです。けれども、次にここで言っている大切です。『しかし、聖霊をけがす者は赦されません。』

これは明らかに“聖霊”を知っているという事ですから、クリスチャンに対して言っている事です。クリスチャンが故意的に「イエス様を知らない」と押し消そうとするならば、それは聖霊を汚す事になる。分かっているのに、それを否定しようとしているからです。そしてこの悪い思いの問題に深く関わっているのが“偽善”なのです。もし私達が“偽善”の生き方を続けていくのであれば、その様な悪しき罪にも足を踏み入れていく危険性があるという事なのです。聖書は“偽善”に気を付けなさい。表面的に立派な振りをするのはやめなさい。正直になりなさいと言っているのです。

正直に自分の中にある醜い姿を認めなさいという事です。そして、もしあなたがその罪を告白するなら、神様は赦して下さるのです。(Iヨハネ1:9)私達は正直に私達の弱さを告白していいのです。パリサイ人の様に醜い思いを抑えて抑えて人の前で見られない様に、見られない様にしていても、結局はでも出てきしまい、人々にも分かってしまうのです。

抑えこむのではなく、「これが私です。こういう私を赦す為に十字架があった事を感謝します」と正直に自分の弱さを告白し続ける。その中で神様は私達を強めて下さり、それに打ち勝つ力を与えて下さるのです。御霊によってそうして下さるのです。私達の肉なる人ではなく神様が強めて下さる力によって私達もその様に歩む事が出来るのです。「こんなに弱いのです。こんなにダメなんです。こんな自分です。そのまま神様お任せします。」その時に神様は私達に不思議な力を与えて下さるのです。

自分の力で立派な振りをする。これはパリサイ人への道です。人の前で良いかっこをする、これもパリサイ人への道です。そうではなく、正直に自分の中にある醜い姿「人を直ぐに裁く」「人を直ぐに妬む」「直ぐに高慢になる」「自己中心や競争心でいっぱいである」それらを正直に認めていく。その時に神様は私達を赦し、聖め強くして下さるのです。この「主の恵み」によって互いに強められていきましょう。そして気が付くと弱い者であるのに、大胆に信仰の証をするものにならせて頂きましょう。私達がいつもにこのパリサイ人の姿が出てきていないか吟味していきましょう。そして共に弱さを認め告白する。そして主の恵み、血潮によって本当に聖めていただき、神様の力を不思議に頂きながら恵みから恵みに成長されていく者とされていきたいと思います。
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