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2001年10月28日 12周年記念感謝礼拝 日曜礼拝メッセージ

「初めの愛に!」



 新約聖書 黙示録2章1〜7節 より
メッセンジャー
 仙台福音自由教会 吉田 耕三牧師

この教会が出来て12年が経ちました。本日はもう一度私達が立つべき事、知るべき事は何かを思いながらエペソ教会へ向けられた言葉から学んでいきたいと思います。

初めの愛に生きる

「エペソにある教会の御使いに書き送れ。『右手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が言われる。「わたしは、あなたの行ないとあなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたがた、悪い者たちをがまんすることができず、使徒として自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。しかし、あなたにはこのことがある。あなたはニコライ派の人々の行ないを憎んでいる。わたしもそれを憎んでいる。耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパライダスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」』」(1〜7節)

以前エペソの町は淫乱や偶像礼拝の蔓延る町でした。しかし神様はこの町を顧みて下さり、そして立派な教会を建てて下さったのです。当時エルサレム、アンテオケ共に有名な教会ですが、それに並び比する教会となったのです。有名な方々がここの監督になったと思われます。彼等はその地で熱心に主に仕えました。彼等がその町を作る過程が使徒行伝19章に出てきます。

「このことがエペソに住むユダヤ人とギリシヤ人の全部に知れ渡ったので、みなが恐れを感じて、主イエスの御名をあがめるようになった。そして信仰にはいった日とたちの中から多くの者がやって来て、自分たちのしていることをさらけ出して告白した。また魔術を行っていた多くの者が、その書物をかかえて来て、みなの前で焼き捨てた。その値段を合計してみると、銀貨五万枚になった。」(使徒19章17〜20節)

エペソの人々は主の前に非常に正直で真実な信仰生活を歩んだようであります。更に彼等は神様の前に喜ばれないと思う事(魔術)ならきっぱりと切り、そして神に従う決断力を兼ね備えていた。彼等は熱心に愛を持って仕えていたと思います。しかしこのエペソ教会にも段々と間違った教えをする者が入ってきた様です。

「私が出発したあと、強暴な狼があなたがたの中にはいり込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。」(使徒20章29節)

一人一人の信仰をずたずたに切り裂いていくものが入り込んでくる。色々なものであったと思われますが、その一つは律法主義。「これをしなければならない」「これをしなければ神様の恵みにあずかれない」という考え方を人々が納得する形で植えつけていく。その一方で「神様は赦してくれるのであるから何をやってもよいのだ」と放縦な生活、淫乱な生活、偶像を礼拝するなど、「神は赦して下さる」という言葉の元に乱れた生活に身を委ねていく。この世の生活と妥協を重ねる信仰生活を繰り広げていったのではないかと思います。

最初は一見何も間違っていないように見えながら、現実には彼等を滅茶苦茶にする様な人々でした。エペソの人々は間違っているものを『使徒と自称しているが実そうではない者たちをためして、その偽りを見抜いた』のです。或いは『ニコライ派(注1:不品行であり偶像礼拝を勧める人達)』の人々にもあなたがたは毅然とした態度をとり、イエス様から「本当によくやった」と褒め言葉を頂いたのですが、同時に『あなたがたには非難するべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。それでなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなけれく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。』と警告をも受けたのです。

彼らも救われた当初は「何とかしてイエス様の愛を伝えていきたい」という思いに満たされ、色々な事をして神にも人にも仕え、どんな犠牲を払っても従って行こうという姿が見られたのですが、月日が経つごとにその心が冷え、段々と主への愛が冷え“愛の教会”の交わりが薄くなっていったのだと思います。私達の教会はどうでしょうか。(そんな事はどこにでもある。どこでもそうではないか)と言い逃れをするかもしれません。しかし聖書は、はっきりと『あなたが悔い改めないなら、その燭台を取り除く』と語っているのです。「初めの愛にあなたは生きているか?」と問われる時に、確かに私達は問い直される必要があるのではないかと思います。


「愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りい励みなさい。」(ローマ12章9〜12節)

自分自身の姿を見る時に、私は形だけの歩み、表面的な信仰生活になっていないかと問われているような気がいたします。本当に霊に燃え主に仕えているか? 私達は日々信仰が燃やされ、整えられていくべき事を知る必要があるのではないかと思います。私達は今“初めの愛”に生きているか? これが教会がこれからも存続し、力強い歩みをする事が出来るかどうかの大切なキーポイントであると思います。

主に立ち返る

韓国のソン牧師は朝鮮動乱時に自分の子供を殺されました。殺人者は裁判にかけられ死刑になるはずでした。しかしソン牧師は「彼等を罪に定めないで欲しい。私はその人達を死んだ子供の代りに養子として迎えたい」と申し出た小さな教会の牧師でした。彼らは、一生懸命にイエス様の愛を伝えていましたが、救いを受け取る人が少なかったそうです。その殺された息子が「多くの人は本当の意味での赦しを知らないのだね。本当に赦して頂く事がどういう事であるかわからないのだね。それを私達は一生懸命に伝えるべきなのだ」と語っていた言葉を思い出し、自分の子供を殺した当人を赦し、身をもって“イエス様の愛”を表そうとしたのです。

そのソン牧師自身も大きな迫害の中で死んでいったと聞きました。家族の為、友人の為に命がけの愛が溢れているのです。私達もそんな愛に生きているのならば、またその愛に生きる事が出来るのであるならば神様の言葉は「嘘偽りのないものである」と多くの方々が真剣に耳を傾ける様になるのではないでしょうか。私達は「あなたは初めの愛に本当に生きているか?」と問われ立たされていく事が必要なのではないでしょうか。最初の内に熱心であった者も、いつの間にか恵みに慣れてしまい、命をかけた犠牲の大きさが軽々しいものになってしまってはいまいかと思うのです。あなたの内に主の愛は燃えているでしょうか? 『霊に燃え、主に仕えなさい』と言われている言葉に心から「アーメン」と言えるでしょうか? もしそうなっていないと気がついたなら『あなたはどこから落ちたのかを思い出して、悔い改めて、初めの行いをしなさい。』この御言葉に耳を傾ける必要があるのです。

ルカ7章には罪深い女がパリサイ人の家に行った話が出てきます。彼女は様々な中傷や攻撃を、もろともせずにイエス様に会いたい心が、その家に向かわせたのです。そして涙でイエス様の足を濡らし、髪の毛でそれを拭い、油を塗りました。そんな彼女にイエス様は「あなたの多くの罪は赦されています。彼女はよけいに愛したからです。」と言いました。あなたは主の赦しを本当に信じているでしょうか? ソン牧師は(神の愛、かみの赦しを知って欲しい)と息子を殺した人を受け入れました。それは人々に目に見える形で主の赦しは確かであり本物である事を示したかったからです。なぜそんな大きな愛を持つことが出来るのでしょうか。それは、自分が本当に赦された事あいされたことをを知ったらではないでしょうか? 

私達はなぜ燃えあがらないのでしょうか。何かの事で神様につまずきを覚え冷淡な者になってしまっているのではないでしょうか? (祈っても応えられない)よくある事です。自分の願っている通りにならないと私達は不信仰になってしまいます。聖書は私達はその事柄をそのままにせず『どこから落ちたかを思い出し』神様の赦しと愛をしっかりと受け取る信仰に立ちなさいと語っているのです。思い起こしたら次ぎは悔い改めることです。

もし私達が落ちた事に対して言い訳をしていたら、立ちかえれません。人のせいにしたり、環境のせいにしたりする事をやめて、、神様の前に自らの罪をはっきりと認めてそこに立つのです、その時、神様は私達の魂をもう一度、熱心に神様に仕えていく思いを私達に起こして下さるのです。私達は「私が間違っていました」と告白する。そして初めの行いをする。すると喜んで犠牲を払っていく事が出来るようになるのです。それが出来ないのは、私達が悔い改めるべき何かを持っているという事なのです。

もしあなたの心が『霊に燃え、主に仕えてい』ないならば「主よ、その様にさせて下さい。それを妨げているものは何ですか?」と問うていくべきです。そしてその問題に対して言い訳せずに悔い改めていくのです。私達が悔い改めて神に立ちかえる時に神は私達に聖霊によって、霊に燃え、主の愛に中に生きる事が出来るようにして下さるのです。 もしそうでないのならばもう一度初めの愛に立ち返らせて下さいと真剣に、またへりくだって主に求め、主の愛に与らせて頂きましょう。
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