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2005年7月17日 日曜礼拝メッセージ

「家庭生活に悩んでいるあなたに」



 新約聖書 エペソ6章1節〜4節 より
メッセンジャー
 仙台福音自由教会 吉田 耕三牧師

「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」という約束です。父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」(エペソ6章1〜4節)

結婚の3つの形

 最近の新聞を見ますと、悲惨な状況や事件が多く見られると思います。特に家族の中でそんなことが頻繁に行われています。子供が親を殺す、あるいは兄弟同士で殺す。これは"家族"というものが壊れてきている現れではないでしょうか。「機能不全家族」という言葉を聞いたことがありますか。家族としての機能が働かなくなってしまった家庭が増えている。普通、家族の中では子供達が安心して安らぐことが出来、社会的な常識や倫理観、我慢することなど様々なことをそこで教えられるのですが、それがないのです。ですから普通であれば当然受けるであろう訓練を受けることも出来なくなっている。

 では初めからそうであったのでしょうか。神様は私達に"家族"というものを非常に良き物として与えられた。創世記には"家族"は、人間が堕落する以前に創設されたものです。大いに祝福して生めよ。増えよ。この地を支配せよと言ったのです。ある統計によりますと、アメリカでは2件に1件の結婚が壊れつつある。日本も急速にそこに近づきつつあるようです。しかし結婚を保っている半分の人達は「いつやめようか」という潜在的離婚が非常に増えている。

 結婚カウンセリングでは「結婚には3つの結婚しかない。」ことをお話します。1つは「幸せな結婚」だれもが目指すことです。ところが幸せな結婚を目指しているのに、多くの人が陥るのが「我慢する結婚。」もう1つは「破局にいたる結婚」どんな家族もこの3つの可能性があるのです。結婚に関する本が何冊も出ています。私が印象深いのは「結婚の死と再生」という本です。結婚がだめになってしまった。ところがイエス様が家族に入ってきた時に、そこによみがえりの命が与えられた。どんな人にも絶望ではなく希望がある。「でも私1人では仕方がない。」と思う方。そんなことはないのです。家族の内でたった1人でも、本当にその人が変わり始めていくならば可能性はあります。もちろん皆がイエス様を向けばそれだけ早くなると思いますよ。でも1人でもそこに神様の光は入っていくことを知って下さい。私達の家族は外から見れば人が羨むように見えるかもしれませんが、現実は中々厳しいものがあるかと思います。「我慢するだけの家族」でもどんな家族でもそこから変わっていくことが出来る。それには家族の創設者に向うことです。神様は祝福して家族を造って下さった。「神様。この家族を立て直して下さい。」これが大切なことです。そうする時に立ち直っていく可能性がある。しかしこうする時に邪魔するものは強がって「私は大丈夫。」「私達にはそんな問題はありません。」という考えです。

 アダムとエバを通して罪が入って以来、私達は問題だらけです。みんな問題を持っています。それらの問題により家族の中で結構傷ついているのです。このことに私達はもっと目を開いていくことが必要ではないでしょうか。そして本当に家族が良きものに変えられていく。もし今本当に良き家族であれば神様に感謝して下さい。しかしどこかに何かわだかまりがあるとするならば、そのことを神様に持ち出すと良いと思います。

 両親を見ていると、私自身もどこかで結婚生活は上手くいかないかもしれないという恐れがありました。ある時に家内と「分かり合えない。何かちぐはぐしている、難しいな。やはり両親と同じかな。」と思いました。でもそんな時に家庭を創設して下さった方に向かないと「やはりだめだ。」と諦めが入ってしまい「我慢するだけの家族」になってしまう。私達はそこからもう1度立ち上がって「神様はこれを造り変えることが出来る。」と向っていく時に、私達を造り変えて下さる。死を体験した人もそこからよみがえる。そのために私達の中にある様々な傷に目を向ける必要があると思います。

どんな傷があるのか

「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」(詩篇139篇23〜24節)

 傷があると前に進めなくなってしまうのです。「どうせだめに決まっている。変わらないのではないか。」など期待することが出来なくなり前進出来ない。しかしどんなご夫婦にも可能性があるのです。そこから変わっていけるのです。これが家庭を創造された方に向う人の希望なのです。「自分の力ではもうだめだ。」で良いのです。多くのクリスチャンが「人間の危機こそ神の好機」であると言います。自分でどうしようもないと思った時こそが神様の業がそこに溢れるのです。問題はその時にイエス様に行くかどうかなのです。


「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11章28節)

 「私は家庭に疲れています。この人を愛せません。家庭を維持していくことは困難です。無理です。」と神様に正直に言っていいのです。それを携えてイエス様のところに行くのです。そして「あの人を変えて下さい。」ではなく「この私を変えて下さい。」と神様に向っていくのです。そうすると変わるのです。でもそのためには私達が受けた傷を正直に告白する。私も親を見ていた結果「結局そういう風にしかならないのではないか。」という思いにとらわれることがあります。でもその時にイエス様を見上げて「イエス様はこれを変えることが出来る。」と前に向っていく。クリスチャンの家族は今がどうである、過去がどうであるのは関係ない。これからイエス様と共に新しい家庭を築いていくのです。 しかし多くの場合イエス様を入れないで、自分で何とかして頑張って良いものを造ろうとして疲れ果ててしまうのです。「私は疲れました。出来ません。」と祈っていく時に神様は変えて下さる。それは一気にではないかもしれません。

 ストーミー・オマーティアン女史は母親から大変な傷を受けている方です。彼女は母親から徹底して拒否されました。とことんいじめられて、彼女は自分自身も嫌いで、自殺も図りました。生活も乱れました。堕胎もしましたし、薬物にも手を出しました。でもその中でイエス様に出会い変わったのです。彼女は絶対にどんなことがあっても自分は母親にされたようなことを子供にはしないと心に誓っていたのですが、ある時に大泣きする子供を叩いている自分、いつ子供を放り投げるか分からない自分がいた。やってはいけないことをやってしまう。その時に彼女は自分が傷ついていること、同時に母親がどんな気持ちであったのかに気が付いた。母親は自分を嫌っているというよりも、母自身が嫌で嫌でたまらなかったのだということが分かってきた。そして母親を赦せるようになっていった。神様のところに行った時に大きく変えられていき、その家族は素晴らしい家族になっていくのです。私達に必要なのは、『私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。』このことです。「何故私はこれが出来ないのか。変わらないのかな。」もしかしたら気づかない傷があるのかもしれない。それを「教えて下さい」と祈りましょう。そして正直にこの傷を癒して下さいと祈ることが必要ではないでしょうか。

「神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現わす主の植木と呼ばれよう。」(イザヤ61章1〜3節)

 私達がどのような傷や痛みや悲しい経験を持っていようとも関係ありません。キリストはそのために来て下さったのです。「私の環境は劣悪だ」とか「私は特別だ」と思う方。アダムとエバの子供達のことを知っていますか。アダムとエバは神様に会っています。ある意味私達よりも数段良い環境の中にあった2人です。その子供達のカインとアベルは兄弟同士で殺し合いをしたのです。問題は環境や状況ではなく、私達の内に巣食う"罪"というものです。罪という問題が私達の内から取り除かれていくならば、そこに家庭の回復の希望があるわけです。環境がどうであろうとも私達もそこから立ち直っていくことが出来る。私達に必要なのは主に向って「主よ。こんな私を憐れんで下さい。こんな私の傷を癒して下さい。」と祈ることなのです。神様はそこから私達を1歩づつ引き上げてくださり、私達が段々自由になっていく。オマーティアン女史も一気に解決したわけではありません。ある1つの問題から解放されるのに3年かかったそうです。でもその日には今まで気になっていたことが自分の中から消えていた。もし私達が神様に向うなら今がどういう環境や状況であろうともそこから1歩1歩近づいていくことが出来る。あなたの家族はどうでしょうか。良い家族、そうでない家族もあるでしょう。でもそこから出発して、さらに良き所に向っていくことが出来るのです。

 「結婚は天国の雛型」と言われます。最高の結婚は天国のようだというのです。でも罪が支配した家庭は、「結婚は墓場なり」です。両方とも真実ではないでしょうか。私達は墓場から這い上がっていけばいいのです。それには命の主を迎えることです。自分の中にまず命の主を迎える。そして自分が本当に癒される時に、たとえ家族の中にたった1人であったとしても、神様の祝福が少しづつ家族全体に流れていくでしょう。時間はかかるかもしれませんが、その家族は本当に「良かった」と言えるものに変えられていくでしょう。共にそのような家族を目指していきたいと思います。神様は私達の家族を良き物に再生させることが出来る。必要なのは「神様、助けて下さい。」と祈ることです。そして主の恵みを喜び味わっていきたいと思います。
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