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※この証は、吉田牧師が仙台教会の開拓に導かれた1989年当時に記したものです。

仙台への道

『そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。』 IIテモテ 2:1
『私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。』 申命記30:19
『立ってベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこに、あなたが兄エサウからのがれていたとき、あなたに現われた神のために祭壇を築きなさい。』 創世記35:1

私が伝道者としての召命に応えていこうと決断したのは、冒頭の御言葉、『そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。』でありました。対人恐怖症、赤面恐怖症で、自分の意見を言うどころか、自己紹介さえ緊張して思うようにできなかった私に「自分の力ではなく、主から頂く恵みによって強くさせて頂けばよいのだよ。」と諭され、「こんな者をもお用い下さるなら…」と涙ながらお捧げしたのが、今から15年前(=25年前)でした。今振り返ってみる時、多くの方に迷惑を掛け、忍耐を強い、無礼を働きながらも、何とかここまでやってこられたのは、確かに主のあわれみと恵みによってなのだとつくづく思わされます。そして同時に、私にとっては、この恵みがなければ、何もできないという事実をいよいよ痛感させられているる次第です。

これまでも、国内宣教−仙台開拓のことは気にかかっていましたし、何度かは「宣教師を起こして下さい。」と真剣に祈ったこともありました。しかし、あまり自分とは深い関わりを感じていませんでした。しかし、今年(1989年)に入って1月17日、協議会会長の内田師よりお電話を頂いて「いつか個人的にお会いして、お話ししたいことがあるのですが。!」という言葉をお聞きした時、ついに来るべきものが来た、という感じが致しました。というのは前の週に、仙台開拓の人選委員会が行われ、そろそろ問い合わせが来る頃であることを、知っていたからです。

お電話を頂いた時は、ちょうど、教会スタッフの毎朝のディボーションをしている最中で、これから聖書を読もうとしているところでした。電話を終えて、開いたその日の箇所は、創世記35章1節『立ってベテルに上り、そこに…神のために祭壇を築きなさい。』でありました。毎朝1章全体を読むことにしていたのですが、その章全体が、あたかも私に「仙台に行け」と語っているように思えました。またちょうどその日から、デボーションガイドの「御言葉の光」も申命記に入り、『あなたがたはこの山に長くとどまっていた。向きを変えて、出発せよ。』(申命記1章6-7節)と ありました。次の日の箇所には『あなたがたは長らくこの山のまわりを回っていたが、北のほうに向かって行け。』(申命記2章3節)あるのです。日々の御言葉が「仙台に行く事が御心だ、仙台に行くことが御心だ。」と語っているようでした。

しかし聖書の文脈を無視して、あまりに感情的に、また直接的に当てはめるのは危険であると思い、いっさいの直接的に思える言葉を排除したのですが、それでも、それらの箇所が「もし召されているのなら、従うべきである」ということを語っていることは明白に思えました。すなわち、従うのなら祝福!、従わないのならのろい!ということが分かってきたのです。それは、私にとってだけでなく、東大宮の教会にとっても、そうなのだと思えました。

しかし、私にとって、これだけで決断することには躊躇がありました。というのは、その時の教会の状況を考える時、私がでて行くべき時であるとは、とても思えなかったからです。教会には精神的な弱さを持った方が多く、またその方々が独り立ちできるほどに成長しているとは思えなかったからです。また幼児クラスには、昨年10月の段階で、募集人数の3倍を超える応募者が与えられ、すでに抽選により入園者を決めているにもかかわらず、教師が不足しており(2人しかおらず、そのうちの一人は家内であった。)もし私達がいなくなれば、このクラスを、取り止めにしなければならないかもしれない事、しかし応募者のほとんどが未信者であることを考える時、それは無責任窮まりないことであり、あり得ない事に思えました。

また3年ほど前に私は、教会から多額の研修費を出して頂き、これからの教会の歩みについてのプラン「教会を生み出す教会」を作成し、2年にわたる委員会での検討を終えて、いよいよその年から実施することになっており、このプランに基づいて、すでに教育主事をも招聘し、プロジェクトが始まっている事。また新しい教会を生み出すための視察もすでに終えており、ここで投げ出す事は、あまりにも無責任であり、とうてい考えられないことのように思えました。、

祈ったり御言葉を読んだりしている時には、確かに神様は導いていおられるのだと感じつつ、現実を考えるとそんなことはあり得ない、と考える葛藤の日々が続いていました。主の導きに確信が持てないままに歩んでいたある日、申命記30章19節の御言葉『私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。』が心に響きました。そして、今まで私が歩んで来ることができたのは、ただ主の恵みであり、もし私が、主の御心からそれて、自分勝手に歩むなら、恐ろしいことであることを思い出させて下さいました。そして「もし私が心をかたくなにしているため、あなたの御心が分からなくなってしまっているのなら、どうかお赦し下さい。もう一度あなたの御心が分かるようにして下さい」とお祈りを致しました。

ちょうどその日に行われた家庭集会の中で、語っている御言葉と自分の問題が重なってしまいました。「私について来なさい」と語られるイエスさまの御言葉が「おまえはどうなのだ、おまえはこの言葉を聞いていないというのか?」と問いかけてきたのです。わたしは「いいえ」ということができませんでした。また様々な御言葉が心に浮かんできました。エリヤの失望の折、山々を引き裂き、岩々を砕いた風の中にも、また地震の中にも、火の中にも主はおられなかったのに、その後にかすかな細き御声があった事、主のみ声は細く、聞こうと思わなければかき消されてしまうかもしれないこと、またトマスに語った「あなたは見たから信じたのですね、見ないで信じるものはもっと幸いです。」と語られた箇所。そして次の礼拝のために準備していた聖書箇所から、私たちが求めるべきは、しるしや奇跡ではなく、今、主のなさっている業を見分け、信頼することであることを教え諭されたのです。

最後の締めくくりは、私の中で結論を出す日と心に決めていた2月11日の「御言葉の光」の説明の中にありました。その箇所には、次のように書いてありました。『自分が最初から関与してきたことを手放すことは非常に難しいことに違いない。私たちは皆自分に委ねられたものを手放さなければならないようなときがある。モーゼが自分の民に別れを告げるべき時が来た。申命記の3、4章は、この悲しい別れを記述に当てられている。今が自分の引退すべき時であることを、モーゼは実に優しい態度で認めている。私たちはたいてい、自分はもうちょうど良いときに、適材適所ではなくなったことをなかなか認めることができない。勇気と確信は、傲慢と横暴に変わりやすいものである。…』

私にとって、これは私が躊躇していた事柄に対する答えであると感じました。神様はしばしば私とは全く違う考え方をすること、そして主の考えはいつも私の考えより高く、すばらしいものである事を思い起こしました。そして私が東大宮にとどまることは、もはや祝福とはならない。この地における私の使命は終わったのであり、これ以上主の導きを拒むことは、東大宮の教会にとっても、祝福を失わせることであることを悟らされました。そして、いつの間にか自分が何かをやってきたかのように思う、高慢錯覚に陥っていたことを教えられました。

考えてみればただ主の憐れみと恵み、また兄弟姉妹の愛とゆるしと忍耐によって、これまで奉仕を続けさせて頂たのであって、もし真実に自らのやってきたことを考えるなら、とうの昔にこの奉仕からはずされているはずの者であった事、牧師として当然すべき最低限のことすらやってこなかったこと、またやったと思っていることすら肉の働きであり、純粋な愛を出発点としていることの、何と少ない者であったかを見せられ、悔い改めました。主の恵みを忘れ、主の栄光を横取りするような傲慢な者など、主の業を妨げることしかできないのですが、こんな者でも、なお主が用いて下さるとおっしゃって下さるのであるなら、「喜んで仙台のために、私をお捧げします。どうぞ、お用いください。」と お祈りをしました。

この決断をした次の日のみことばの箇所は、『主は岩。主のみわざは完全。まことに、主の道はみな正しい。』(申命記32章4節)であり、私の決断にサポートを与えて下さっているかのように思いました。昔も、今も、何の力もない者ですが、主の恵みと皆さんの祈りによって、宣教の難しいと言われている東北にでて行きたくいきたく願っています。是非お祈りにお覚え下さい。感謝!


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