自分の存在感





自分の存在感



人に注意された時、あなたばどのように反応するでしょうか。ある人は、「何よ、自分だって・・・」とすぐに反発してしまいます。またある人は、逆に首をうなだれて、やっぱり自分は駄目だと落ち込んでしまいます。自分が人に注意する時は、「良くなって欲しい」と思って注意するのですが、反対に自分が注意を受けた時、素直に聞けない事が多いのは何故でしょうか。

実は、それは、自分の存在感をどう捕えているか、その人の心の成熟度と関係があるのです。自分の存在感(価値)を正しく受け止めていないと、人から注意を受けた時、その問題だけでなく、自分の存在自体を否定されたように思え、無我夢中で反発したり、あるいは逆に、自分なんか生まれてこなければよかったと自分をいじめてしまう事になるのです。




本当の価値



私達は、長い年月に培われてきた価値観を持っており、その中で生きています。それは、自分の存在価値を、あれが出来る、これが出来るという所に置く−すなわち、100のうち80出来る方が、20出来るよりも価値があるという尺度です。しかし、それは、優越感と劣等感の世界であり、その中に自分の本当の価値を見い出す事は出来ません。

学校でいつもトップの成績を取っていたA君がある時語ってくれたことは、そのトップの座を誰かに奪われはしまいかと、いつも不安と恐れで一杯だったという事です。何かが出来ること(Doing)に自分の存在価値を見い出そうとする生き方は、かえって不安と恐れに捕われる人生となるのです。そうではなく、自分の存在そのものに価値を見い出せた時始めて、本物の人生を送る事が出来るのです。

同じ状況の中にあっても、それを感謝して生きる生き方と、逆に自分を卑下して生きる生き方とがあります。たとえどんな状態・ハンディの中にあっても、それを恥ずかしいことと恩うのではなく、今自分に与えられているものを正しく受け止め、それを精一杯用いて、今生かされている事を感謝して生きる。−それが出来るかどうかは、自分の価値(存在感)を正しく受け止めているかどうかにかかっているのです。「存在」とは、英語で「being」と言います。これを大文字で「Being」と書くと「神」という意味になります。私達の存在「being」は、神「Being」と共にある時に、本物となっていく事が出来るのです。




あなたは高価で尊い



私達は鳥よりもはるかに優れた者−そうであるならば、その自分の存在価値をもっと神様にあって発見し、認めていくことが必要なのではないでしようか。あなたの指を見て下さい。世界に50数億の人がいたとしても、あなたと同じ指紋を持った人は、一人もいません。そのように神様は、一人一人をユニークで特別な存在として造り、他の人では、かえることができない者として見ておられるのです。何かが出来る出来ないではなく、あなたの存在そのものに価値があると言われるのです。

あるおばあちゃんが、息子家族の所へ来て色々と手伝ってくれました。そこで、「〜してくれて有難う」とお礼を言うのですが、あまり嬉しそうに見えなかったという事です。ところがある時、おばあちゃんがいる事がとても嬉しいんだと伝えた時、そのおばあちゃんは、何よりも喜んだと言うことです。

年を取ればだんだんと出来ない事が多くなります。自分が役に立って喜ばれるのは嬉しいけれど、もし自分がそれを出来なくなったら、自分の存在価値がなくなるのではと不安になります。しかし、何が出来なくても自分がいる事を喜んでくれる人がいることは、無上の書びとなるのです。そして、神様は、私達一人一人をそのように見ていて下さるのです。

「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がりましょう。そのいのちを買い戻すには、人はいったい何を差し出せばよいのでしょう。」(マタイ16:26)

全世界を手に入れるよりも、一人の命の方が価値があるとみて下さるのです。そして、あなたは高価で尊い、あなただけに特別に与えられた、特別な人生なのだと語っておられます。 これは、何千年も経てきた聖書が語っているあなたへのメッセージです。問題は、あなたがその言葉を自分への言葉として受け取って生きるかどうかなのです。




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