劣等感





劣等感



自分の内にある劣等感が、しばしば人間関係の緊張感やストレスの原因となることに気づかれたことがあるでしょうか。ある女性が、結婚式を目前にして大きな不安にかられました。彼女は、いつも相手の前で背伸びしている自分を感じていました。結婚して本当の自分がバレてしまったらどうしよう…劣等感が多くの恐れ、不安、ストレスを引き起こしていたのです。時には、まじめであることさえも劣等感となります。それを隠すために人前ではことさらにひょうきんに振るまって、そのうちに本当の自分は何なのか、自分でもわからなくなってしまう…。本当にリラックスした、これで良いのだという深い自信・安心感のある生き方ができなくなるのです。このような劣等感はどこからくるのでしょうか。また、どうしたら劣等感から解放されていくことができるのでしょうか。




なぜ劣等感を持つようになるのか



思い込み

親や周囲の人からしょっちゆうダメだといわれていると、いつしか自分はダメだと思い込んでしまいます。例えば、いつも「急いで、早く」と言われていると、“自分はのろい”という強迫観念が植えつけられ、急ぐ必要のないときにも、あせる気持ちが出てじっくり取り組めなくなってしまいます。

人との比較

いつも人との比較で生きていると、人より下なら劣等感、上なら優越感が出てきます。どちらも出方が違うだけで、根は同じところにあるのです。

過大評価

本当の自分よりも高く評価されたり、過大な期待をおわされた時、それに答えようといつも背伸びして疲れてしまいます。期待に答えられないのではという不安が、自分はダメだという劣等感につながるのです。

悲しい経験、受け入れられなかった経験

人からはずかしめられたり、人に受け入れてもらえなかったという経験は、心の深い傷となり、自分はダメだと思ってしまいます。




劣等感から解放されるには



自分を再評価する

様々な劣等感から解放されるには、まず自分をダメだとおもっていることが、客観的にみて本当にダメなことなのかどうかを、もう一度ゆっくり考えてみることが必要です。例えば、字がへただと劣等感を持っている人は、まず相手が自分の字を読むことができる(=コミュニケーションの手段としての役割を果たしている)事実を認めて下さい。また字が書けないよりは書けるほうが良いのですから、それならば、字が書けることに目をとめて下さい。私たちは、多くの場合できることは当たり前として感謝しないで、できないことばかりに目を留めて、勝手に自分は劣っていると思い込んでいるのではないでしょうか。

「感謝の心を持つ人になりなさい。」(コロサイ3:15)

自分にできることを一つ一つ感謝していくこと、これが劣等感から解放される秘訣です。両足と片手を切断し指3本しか残されず、何もできないと考えていた田原米子さんは、神様の愛にふれた時から指が3本もあると考えるようになり、チャレンジの生活が始まりました。指が3本しかないと考えて、劣等感に陥るか、指が3本もあると考え、できたことを感謝するかで大きな違いがあるのです。与えられていること、できることを感謝することこそ劣等感を克服する道です。本当に自分のしたいことかどうか、本当に正しいことかどうかでなく、人の目・人の評価ばかり気にする生き方は、不自由な人生です。人は皆生きてきた環境・状況も何もかも違うのですから、人と比較して劣等感を持つ必要もありません。どうしてもというなら、以前の自分と比べればよいのです。できるようになったことがあれば感謝し、もしまだできないことがあるなら、これからの歩みへの励み、チャレンジとするのです。




愛されている自分を知る



「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ5:6〜8)

神様の愛は、立派な人に注がれると思っておられる方が多いのではないでしょうか。しかし、聖書は神の愛は弱い人に注がれると語っています。自分は弱いと思うなら、あなたは神様の愛の対象です。そればかりではなく、不敬度な人…すなわち“神なんか!!”と思っている人こそ神の愛の対象だと書かれています。神の愛はすべての人に、あなたにも注がれているのです。しかし、愛は受け取らなければ消えてしまいます。どんなにあなたが愛をかけたとしても、子供がそっぽを向いたなら愛は通じず、「うるさい」「やめてくれ」となってしまうだけです。

親の心子知らずと思うかもしれませんが、愛とはそういうものなのです。神の愛も同じです。神様はあなたを愛しておられます。たとえまだ、あなたがそれを本当だと思えないとしても、少しずつでもそのことを心に留めて下さい。自分が神様に愛され、受け入れられていることがわかった時、劣等感が消えていくことを体験されるでしょう。誰かに受け入れられるなら、私たちは解放されていきます。しかし、だからといってそれを人に期待すると、必ず失望する時がきます。けれども決して失望させない方が、ここにおられます。

「たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。」とあなたをあわれむ主は仰せられる。」(イザヤ54:10)

神様が愛しておられるあなた自身を、自分でダメだと言わないようにしましょう。この神様の愛を受け取って、リラックスした生きる喜びに満たされた人生を築いてゆく一人一人とさせて頂きたいものです。




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