ゆるし





ゆるせない心



「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。」(コロサイ3:13〜14)

私たちの人生を混乱させ、惑わせるものに“ゆるせない心”があります。どんなに楽しいことがあっても、そこに許せない人がいるなら、心が暗くなっていきます。私達は多くの場合、その人となるべく会わないようにしようと考え、遠ざかっていきます。ところが、しばらくするとまた、別の同じ様な人に出会うのです。今度は、その人とどうもうまくいかない。・・その人から遠ざかって別の所に行くとまた、そこでもいやな人と出会う。・・そういうことが、多かれ少なかれあるのではないでしょうか。いやな人から遠ざかることでは問題は解決しません。本当の解決は、自分自身の問題 − 自分が変わっていくことなのです。




ゆるす心を持つために



聖書は、『互いに忍び合い…赦し合いなさい。』と語っています。忍ぶとは、我慢出来ないことを我慢するということです。不満を持つことがあると認めた上でなお、互いに赦し合いなさいと教えているのです。では、どうしたらそのようなことが出来るのでしようか。

その人を理解しようとする

私達が相手をゆるすことが出来ない理由の1つは、相手が何故そうするのか理解出来ないからです。価値観や考え方が違うために、本人に悪気がなくても、わざわざイライラさせるようなことをしてしまう場合もあります。しかし、その人の背景をよく知っているなら、なるほどそうするのも仕方がないと思うことが出来ます。不思議なもので、そういうことを見付け出すと、人間の中にふっとゆるせる心が出てきて、心が開き始めるのです。人をゆるそうとする時は、まずその人をゆるす理由を捜すことから始めてみて下さい。

自分がゆるされる経験をすること

私達は、人の過ちはよく見えるのですが、自分のことはなかなか見えないものです。子供に「何やってるの!」と厳しく叱っておきながら、ある時ふっと気が付くと、自分も同じことをしていたということはないでしようか。自分はきちんとやっている、だからこれぐらいは仕方がないとゆるしても、相手には厳しく要求してしまうのです。特に、自分が親から叱られ続けてきたことは、子供にも同じようにやってしまいます。何故なら、自分が親からゆるされていないので、自分も子供をゆるせないのです。人を本当にゆるすには、まず自分がゆるされる体験を持つことが必要です。もし本当に自分がゆるされていることが分かったなら、自分だって同じ過ちをしてきたんだから、相手をゆるそうという気持ちになれるのです。それが出来ないために、人間関係の難しい人(なかなか人をゆるすことの出来ない人)となるのです。とはいえ、残念ながら、この人間の社会では、人はそんなに簡単にゆるしてくれる訳ではありません。しかし、たとえそうであったとしても、聖書の『主があなたがたを赦して下さったように』という言葉の中には、誰でも受けることの出来る“赦し”があるということを是非知って頂きたいのです。

十字架の赦し

教会には、必ず十字架があります。聖書は、「十字架は、あなたを赦すためのものだ」と語っています。本来なら、私達が自分で受けるべき罰を、キリストが身代わりに受けて下さったのが十字架です。幼い子が悪いことをした時、親が出て行ってかわりに謝り、弁償もすべて負ってくれる … そのように、キリストが私達のためにすべての罪を負って下さり、それによって私達に赦しを与えて下さったのです。自分も赦された … このことが分かる時、私達も人を赦すことが出来るように変えられいくのです。




神の赦しと愛



聖書は、赦しの上に更に愛を付け加えなさいと語っています。かつて内村鑑三がアメリカ留学中に、ある施設で半年間働いたことがありました。当時日本人は、ジャップとさげすまれていた時代でした。その施設の知恵遅れの子供たちさえも彼をジャップとバカにしていたのです。しかし、神の赦しの愛を体験した鑑三は、自分をバカにする人達のために犠牲を払い、黙々と愛の労苦にいそしんでいました。その姿は人々の心を打ち、やがて彼をジャップとののしる人もいなくなりました。その後40年近く経って、彼の弟子の一人がこの施設を訪ねた時、そこでは、40年も前にたった半年間いただけの鑑三のことが、ずっと人々の間に語り継がれ、劇にもなって上演されていたのです。

“赦し”とは、踏みつけられた花から出る良い香りのようなものだ。」とある人が言いました。私達が人生の中で、もし本当に人を赦すことが出来るなら、お互いの間はどんなにうるわしいものとなっていくでしようか。神様は、私達に“赦し”という大きな恵みを下さいました。天地を創られた神である方が、あなたのために命を捨てて下さった。・・それを本当に受け取るならば、私達の心に人を赦す、暖かい力が湧き出ててくるのです。

ここで大切なのは、あなたがそのようにさせて下さいと決断するかどうかです。そんなこと出来ない、したくないと思うなら、赦せない人生を繰り返すだけです。自分の力では、人を本当に赦すことは出来ません。でも「私には出来ません。ですから、赦せるようにして下さい。」と祈るなら、神はその祈りに答えて下さるのです。もし、赦そうと思う気持ちさえないというのなら、その正直な気持ちを、祈りに変えて頂きたいのです。その時、確かに皆さんの心に変化が現われることでしょう。この神の力によって、人を赦すことにおいて、お互いに良い香りを放つ人生となっていきたいものです。




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