自分を知る − 反動形成





自分らしく生きる



「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8章31〜32節)

私達は、自分は自由に生きていると言いながら、本当はあまり自由に生きているとはいえないのではないでしょうか。ある人が「人生は劇場であり、いつも自分が主役である。」と言いました。確かに私達は、いつも自分を中心に歩んでいますが、ではその一人一人が本当に自分らしく生きているかというと、実際には、誰かの振り(演技)をして生きていることが案外多いのではないでしょうか。これでは本当の自由とはいえません。

私達日本人の多くは、誰かの言葉によればまるでカメレオンのように、まわりに合わせながら、人が自分をどう見ているかという中で自分を位置づけ、自分の生き方を得ようとしています。人に良く思われるように、良い妻・良い母・良い嫁だと言われるように … ところがそれが高じてくると、今度は、もうまっぴらゴメンだと言って投げ出してしまいます。

自分の幸せすらも、人が自分をどう評価するかによって左右されてしまう ― これは人に依存した生きかたです。本来の自分を深く押し殺してしまい、いつの間にかどれが本当の自分なのかさえも、わからなくなっているのではないでしょうか。皆が同じようになるのではなく、一人一人が真に個性的にその人らしく生きていく ― それが聖書の神が与えようとしておられる自由なのです。




本当の自分を知る



聖書は

『真理はあなたがたを自由にします。』

と語ります。ここで私達に必要なのは、真理を求めていくという作業です。自分らしい生き方をするには、まず第1に、自分らしいとは、どういう自分なのかを知らなければなりません。これがわかっていないことが多いのです。ある学説によれば、私達がある行動や考え方をとる時、意識しているのはl0%にすぎず、残りの約90%はなぜそうするのか意識していない … 無意識のうちに隠されているというのです。だからこそ、私達が真剣に捜し求めなければ、本当の自分に気付くことができません。

私(吉田耕三・仙台福音自由教会牧師)が17年間牧師として色々な方々とお話した中で気付いたことは、一人一人の本当の良さは、その人の欠点の中に隠されていることが多いということです。例えば、自分は優柔不断で暗くてイヤだ、明るい人がうらやましいと思っている人がいます。けれどもその人の良さが引き出されていく時、人の心の痛みを包みこみ癒すことのできる人となっていくのです。自分の弱さがわかる時にこそ、本当の良さが現れてきます。これこそが本当の意味での人生の発見、大きな希望と言えないでしょうか。




反動形成



自分を知ることの一つに“反動形成”ということがあります。自分がダメだと思ってそれを隠そうとする中で形成されていく性格のことです。ひどい頭痛に苦しんでいる女性がいました。彼女は快活で明るい人でしたが、話していくうちに彼女の生い立ちは正反対の暗い環境であったことがわかりました。両親のいさかいが絶えず、彼女はいつも間に入って二人を別れさせないようにと、気をつかってきました。その結果、いつも人の機嫌を取る生き方が身について、それが明るいという形で表れていたのですが、現実には彼女の中に深いうっ積したものがあったのです。

本当の彼女には、そうせざるを得ないほどに暗く、悲しく、辛い心があったのに、そんな自分を押し殺して、これではいけないと人の前でがんばって明るくふるまっていくうちに、頑固な頭痛がとれなくなりました。しかし、それが原因だとわかった時、彼女の頭痛はうそのように治っていったのです。自分がどういう気持ちでいるのか … 自分の本当の思いを受けとめていこうとする時に、だんだんそれが明らかになり、それが明らかになった時に私達はそこから解放され始めるのです。




弱さを見る勇気



ところが、ここで障害となるのは、「やっぱり見たくない。」と思う気持ちです。それは、例えば人から忠告を受けた時にどう反応するかに現れます。「ああ、本当にそうですね。」と受け取ることができるなら、私達は魅力的な人にどんどん変えられていきます。しかし、「でも〜」と言い訳や弁解に終始するなら、何も受け取ることはできません。もっと傷ついている場合は、「あの人はいつもあんな風に人のことを悪く言うんだから。」と人に責任を転化して、自分を守ろうとします。けれども、それもある意味で仕方がないこと … そのような反動形成が作られざるを得ないような状況があったのです。

あなたはどんな反動形成を持っているでしょうか。自分にはそんなものはないと言う人がいるなら、たぶんそれこそが反動形成 ― すぐに何もないと言ってしまいたくなるものがあるのです。全ての人は不完全です。(聖書ではそれを罪と言います。)親もまた不完全ですから、その親に育てられた私達にも反動形成が多かれ少なかれあるのです。自分の中にある反動形成を見ていこうとする勇気を持って下さい。そして、それが見えてきたなら、次にして頂きたいのは、そのままを神様に祈るということです。




神様のいやし − 解放



「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11章28節)

反動形成があるということは、そこに疲れ、重荷があるという証拠です。まだ神様のことがよくわからない方でも、「もし、神様がいらっしゃるなら…」と、「…このことが苦しいんです。辛いんです。いやしてください。」とそのまま祈ってみて下さい。その時、自分が少しずつ解放されていくことを経験されることでしょう。別の言い方をすれば、私は何と不自由な生き方をして来たんだろう、とある時気付かれることでしょう。私達は解放されて初めて、自分が不自由だったことに気付くのです。せっかく与えられた人生です。人の目ばかりを気にする生き方ではなく、真に自分らしい人生を、神様の助けを頂きながら歩ませて頂きたいものです。




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