良い人間関係を築くために





人の中に生きる



「柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しいことばは怒りを引き起こす。」(箴言15章1節)

“人の間”と書いて人間というように、人は存在する限り人の中で生きていかざるを得ません。それはまた私達が様々な人間関係のトラブルの中に生きるということをも意味します。相手との関係は、言葉一つでも変わります。どんなに怒っていても、やさしい言葉をかけられると気持ちがふっと柔らかくされたり、反対に、そんなに激しい感情ではなかったのに、相手の言葉によってカーッと怒り心頭に発することもあります。

そんな中で私達はどのようにして良い人間関係を結んでいけるのか―それを聖書から親子関係を例にして学んでいきたいと思います。しかし、ここで気をつけなければならないのは、間違った読み方をしてはならないというこです。例えば聖書には、

『子供たちよ、主にあって両親に従いなさい。(エペソ4:1)』

『父たちよ、あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。(エペソ4:4)』

と書かれていますが、一番悲劇的な読み方は、親が子どもに向かって「ほら、聖書には親に従えと書いてある。」というように読むことです。そうなれば子どもは親に「子供を怒らせるなと書いてある。」と言い、かえってケンカが始まってしまいます。聖書は人にではなく、自分にあてはめて読むべきことを心に留めて下さい。




勝ち負けの関係



私達の人間関係は、しばしば支配する者、される者という間になりやすいのではないでしょうか。言い換えれば、いつの間にか勝つか負けるかという関係になりがちだ、ということです。「ここで譲ったら、私の負け」「負けて悔しい」という思いになってしまうのです。それでも、自分が勝っているうちは良いと思うかもしれません。しかし、もし子供が小さい時、弱い時に、自分の方が優位に立っているから大丈夫と思っているなら、気をつけて下さい。やがて時至って、大いなる逆襲が待っています。人は自分が蒔いたものを刈り取らなければならないのです。

例えば、子供がすると約束したことをしない時、皆さんはどうするでしょうか。「ダメよ」「〜しなさい」「約束したでしょ」等々…とにかく何とかねじふせて、やらせようとすることが多いでしょう。では、このとき子供の立場に立ったらどうでしょうか。もし親にねじふせられたのなら、決して喜んではやりません。むしろ屈辱感を持ち「こんちくしょう」という気持ちになってしまいます。また逆に、子供の方が親に向かって「うるせえなあ、自分だってちゃんとしないくせに」などと捨てゼリフを残していったりすれば、親のほうが屈辱感を持ってしまいます。

これは、まさに勝ち負けの世界、支配するかされるかという関係で、どちらになっても良い結果を生みません。もしそれで子供に親の言う事をきかせたと満足したとしても、子供は本当に従順を学んだといえるでしょうか。いやむしろ、父親に非常に厳しく躾けられたり、暴力で従わせられた子供達によく見られるように、いつか仕返しをしてやると思って大きくなるのです。




愛の関係 − 受容



私達は、勝ち負けではない関係を持つ必要があるのです。聖書はこう語っています。

「・・また私は、さらにまさる道を示してあげましょう。・・愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。・・」(第Iコリント12章31節〜13章8節)

私達が目指すべきは、この愛の関係であり、その時人間関係は本当によい実を結ぶのです。まず始めに、愛は寛容であると聖書は語ります。それでは、私達が寛容になれない(許せないと思う)本当の原因は何でしょうか。例えば、子供が学校から帰るなりテレビの前に座って動こうとしないとき、あなたは何時間までならイライラしないですむでしょうか。ある人は30分も我慢できません。ある人は2時間までなら許せるかもしれません。同じことに対しても、イライラするかどうかの受容線は人によってまちまちです。

このことからわかるのは、実は私達がイライラする本当の原因は、相手が何をするかではなく、自分の受容できる量にかかわること、― すなわち自分自身の心の中の問題なのだということです。まずそれを認めた上で、自分の気持ちを素直に相手に伝えてみて下さい。たとえ相手が子供であっても「あなたがそうするとお母さんは悲しいの」「あなたが約束をいいかげんにする子にならないかと心配なの」と親の気持ちを話すなら、それだけで納得してくれる場合もあります。

普通はそれを話さないで、ただダメというので強制となり、子供の心は納得できていません。しかし、こちらの気持ちを話したあとで変わるなら、その子の中には親の気持ちを思うという心が育っているのです。もし子供がそれでもイヤだと言うなら、その子の言うことを裁かずに聞いてあげた上で、互いに譲り合える所(第3の道)を見つけていくのです。そのように育てられていくなら、子供には自然に柔軟な考え方が身につき、様々な困難に出会ったとしても、それを乗り越えていく道を自然に学んでいくことができるのです。




相手を受け入れるために



「・・神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」(エペソ4章32節)

しかしながら、愛の関係を持って相手を赦し、受け入れるためには、自分が赦され受け入れられるという体験が大切になります。聖書は、イエス・キリストが私達の罪の身代わりとなって、私達を赦すために十字架にかかられたと語っています。私達が良い人になってからではなく、弱さ・足りなさ・罪深さ・醜さを持っているまま、あるがままを受入れ、赦して下さるのです。もしあなたがその赦しを受け取るなら、あなたの内にも人を赦す力が与えられます。全てを受け止めて下さるキリストの前に出るとき、私達の心は素直にされます。その素直な心を人の前にも表して、互いを受け入れ合う、良い人間関係を築かせて頂けたら幸いです。




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