魅力的な生き方





本当の魅力



「あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。」(第Iペテロ3:3〜4)

女性にとって「魅力的な人」と言われるのは、とてもうれしい言葉です。しかし多くの場合、私達は自分の中の魅力的なものに気付かずに、欠点に目を向けて、それをカバーしようとばかりするために、かえって良いところまで失われてしまうことになりがちです。さらに、せめて外側の見えるところで美しくしていこうと、ファッションにエステにと走ってしまうこともあります。

しかし、聖書の箴言(11:22)はこう語ります。

「美しいが、たしなみのない女は、金の輪が豚の鼻にあるようだ。」

外側の美しさは、表面的であり、一時的なものにしかすぎません。どんなに美しい人であっても、その人から出るものが醜いものであれば、魅力は失せてしまいます。むしろ、持続する美しさ‐内面の美しさを求めて行きなさい、見せかけではない本当の心の豊かさをあなたの飾りにしなさいと、聖書は語っています。




柔和で穏やかな心



本当に魅力的な人柄は、柔和で穏やかな心から出でくるのだと、聖書は語ります。ここで言う“柔和な心”とは、“心が砕かれた状態にある”という意味です。それは、「自分は人のことをとやかく裁くことができるような者ではない」ということを知っている人の心、別の言い方をすれば、「自分もその人と同じ立場にいれば、同じことをしたかもしれない」と思うことのできる“柔らかな心”です。そういう人のそばにいる時、私達は、自分が丸ごと包み込まれるような暖かさを感じます。

実際には、そのような人に会うことはめったにありません。どちらかというと、針ネズミのように、近づいてはお互いにチクチクと刺し合うことの方が多いからです。だからこそ、聖書は、あなた自身が柔和で穏やかな心を持つ人になりなさい、それが本当の飾り(魅力)なのだと語っているのです。そのために必要なのは、まずあなた自身が自分の弱さを知らされ、それを認めて正しく受けとめていくということです。ところが、しばしば私達は自分の本当の姿を受けとめられないで、こんな私はダメだと自分を裁いてしまいます。そうすると、あなたの魅力はますます失われていくことになるのです。次に、このことをもう少し具体的にみていきましょう。




魅力的に生きるには



あなたの魅力が失われていくのは、次のような時です。(1)自分はこういう人間だ、変われないと決めつけてしまう。 (2)クヨクヨと悩む。 (3)「だって」「でも」と口癖のように使う。 (4)「あなたにはできるけど、私にはできない」と居直る。 (5)自分にはステキなところがない、と考える。 (6)長所よりは欠点の方を、つい探してしまう。

逆に言えば、この反対のことをすれば、魅力的な生き方になるといえます。そのためにはどうしたらよいでしょうか。

「しかし、人が主(神様)に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。」(第IIコリント3:16)

自分で自分を変えようとしても、なかなか出来ません。そのために、私達が自分や問題・困難だけを見ている時は、もう変わらない、ダメだと思いがちです。しかし、神様を見上げるならば、自分も変われるという希望が見えてきます。なぜなら、聖書の神は、この天地万物を創り私達を創られた方であり、それ故、私達を造り変えることもお出来になるからです。この神様に祈ることによって、私達は変えられていくことが出来るのです。

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(第Iペテロ5:7)

考えてもどうにもならないことをクヨクヨ考えるならば、自分が暗くなるばかりか、周りまでも暗くしてしまいます。あなたの問題を、神様にまかせてみて下さい。天地万物を創られたほどの神様がいらっしゃるとすれば、その方におまかせする以上のことはないはずです。自分で悩んで、あれこれ動き回るよりも、その方がはるかに良い結果を得ることをきっと体験なさることでしょう。

「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(第Iヨハネ1:9)

私達は、許されないと思うので、つい「だって」「でも」と弁解したくなります。しかし逆に、責められないと思えば、かえって自分から「ごめんなさい」と言えるのではないでしょうか。聖書の神様は、私達が自分の間違い(罪)を認めるなら、全部許すと言っておられます。一生懸命弁解ばかりするのは苦しいものです。でも、「私はこういう者です。」と認めてしまえば楽になり、「ごめんなさい」と言えるようになります。その神様の赦しを受け取って下さい。そうしていく時、人に対しても素直に「ごめんなさい」と言えるようになっていくのです。

「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」(ピリピ4:13)

自分に出来ないことにぶつかったら、「どうぞ力をください」と真剣に祈ってみて下さい。出来ないはずのことが、出来るようになっていくのを体験されるでしょう。すぐに出来ないと言う代わりに、神様に頼ってやってみようと一歩踏み出すことが出来る者へと変えられていくでしょう。

「わたし(神)の目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)

自分では良いものがないと思っても、神様はあなたを宝だといわれます。そのことをしっかりと受けとめていくなら、今まで気付かなかった自分の良さにも気付くようになります。たとえば、自分はノロマだと思っていても、見方を変えれば余裕があると言うことができるのですから、そちらを伸ばしていけばよいのです。その時、あなたは成長し、良きものとなっていけるのです。神様は、私達が魅力的な者となることを願っておられます。自分で自分の魅力をそいでしまうような生き方をやめ、私達を内側から変えることの出来る神様に目を向けて、より魅力のある生き方をさせていただこうではありませんか。




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