言葉の失敗





言葉の失敗



「私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。」(ヤコブ3:2)

誰しも、この唇を押さえられたなら失敗しなかったのに、ということがあるのではないでしょうか。これだけは言ったらおしまいだと思っているにもかかわらず、ついポロッと口から出てしまい、家族ばかりか親類までも巻き込む問題になったり、上司に言った一言が原因で会社を辞めるはめになってしまうことさえあります。

「舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き・・・」(ヤコブ3:6)

と聖書にある通りです。私たちは自分の舌(ことば)を治めていかねばなりません。けれどもそれは私たちが思っている以上に難しいことだと、まず良く自覚することから始める必要があります。自分で言ってはいけないと思って一生懸命押さえていると、それを直接言わない代わりに、かえって遠回しにイヤな言い方をして相手をよけいに傷つけてしまうのが私たちです。特に家族に対して、そうすることが多いのではないでしょうか。言った方は案外覚えていないのですが、言われた方の傷はいつまでも残って、時に死にたいとさえ思い詰めることがあるのです。

「舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。」(ヤコブ3:8)

工場排水に含まれる害毒には敏感でありながら、自分の口から出る毒気に満ちた言葉をたれ流しにしたままでよいものでしょうか。私たちは、自分の舌がどんなに災いをもたらすか、その影響の大きさをまずしっかり自覚し、本気になって解決の道を探っていく必要があるのです。




舌を制する



では、舌を制御するにはどうしたら良いでしょうか。実はこれは舌の問題ではなく、私たちの心の問題なのです。私たちの心にひそかにたまっていることが、ポロッと口から出て、人の心をぐさっと傷つけるのです。そこに目を向け、解決しない限りは、言葉の問題、人間関係の問題は解決しません。

「しかし、もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。・・・そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです。」(ヤコブ3:14〜15)

ねたみや敵対心(憎しみ・恨み)が、私たちに言ってはならないことを言わせ、害毒をもたらします。話し方の教室に通うだけではどうしようもない問題なのです。ねたみや敵対心があるとき、私たちの心は悪しき者の影響を受けると聖書は語ります。確かに、そういう思いで心が一杯になっているとき、自分のコントロールからはずれてしまうと思われないでしょうか。普段だったら絶対にしないようなことを言ったり、行動したりしてしまうのです。カーッとなって思わず手を出し、たまたま打ち所が悪ければ・・・、あるいはそこにナイフがあったなら・・・。

まさかあの人がといわれるような事件の数々は、決して他人事ではありません。またそのような時には、相手をどうやって苦しめようかという知恵がどんどん出てくるものです。それは悪しき者からの知恵であり、そんなものに支配されてはなりません。そのために、私達は神様からの知恵をいただく必要があるのです。

「しかし、上(神)からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。」(ヤコブ3:17〜18)

心が整えられ平和(平安)である時初めて、私達は自分の舌を制することが可能となり、良い人間関係を築いていけるのです。




神との平和



「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。」(コロサイ3:15)

実は聖書がいう平和とは、“自分と神様との間の平和”、―言い換えると、神様が自分にとって恐い存在ではなく、私を理解し助けて下さる方であると思えるとき、私達の心が不思議に穏やかになるということです。では“神との平和”を得るためにはどうしたら良いのでしょうか。聖書は、

「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(Iヨハネ1:9)

と語ります。あなたが自分の心に問題があると気付いたなら、「わたしはこのような者です。」と、正直にありのまま神様に申し上げて下さい。神様は私たちを責めるために、そうしなさいと言われるのではありません。キリストが私達すべての罪の身代わりとなって十字架上で死んでくださったので、もうあなたの罪は赦された、その赦しを受け取りなさい、と語っておられるのです。

たとえば、あなたが友達に何か良くないことをしてしまった時のことを考えてみて下さい。とても顔を合わせられない気持ちになり、ついその人を避けてしまうでしょう。でももしその人があなたの気持ちを察して自分の方から声をかけ、「私、怒っていないわよ。気にしないで。」と言ってくれたらどうでしょうか。あなたはほっとして、素直に「ごめんなさいね。」といえるでしょうし、二人の間にも良い関係がもどるのです。

まさに神様は、私たちにこのようにして下さいました。だからこそ、自分が後ろめたく思っていること、自分の罪を一つ一つ認めて、神様に「ごめんなさい。」と祈り、神様の赦しをしっかり受け取って下さい。その時、自分も赦されている者として、ほかの人をも赦すことができるように変えられていきます。それこそが、ねたみや敵対心(憎しみ・恨み)に打ち勝つ秘訣です。

「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」(コロサイ3:13)





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