やすらぎ





調和



音楽は私たちの心にやすらぎを与えてくれます。色々な音色や和音が組み合わされて、ハーモニー(調和)が生まれ、素晴らしい音楽ができあがります。一つ一つの音がどんなにすばらしかったとしても、調和がとれていなければそれは不協和音となり、耳障りな音でしかありません。しかし、一つ一つの音が組み合わされ調和がとれたとき、それは素晴らしい音楽となるのです。同じように、私たちの人生の中にも調和がとても大切だと言えないでしょうか。

周りの方々(隣人)との調和が難しければ、人生は苦しくつらいものとなってしまいます。特に家族の中に調和がなければ、まるで家の中に寒風が吹きすさぶようなものです。私自身もかつて父親が嫌いで、顔も合わせたくないと思っていました。何とか良くしたいと思ってもなかなか出来ない、せいぜい三日坊主が関の山でしかないのです。なぜ、こうなってしまうのでしょう。周りの方々(隣人)との不調和はどうして起こるのでしょうか。

実はその原因は、私たちが自分自身との調和を持っていないからなのです。自分がイヤで仕方がない、自分を受け入れられない。ですから人の前でも本当の自分を出さないように、良いところだけを見せようとします。自分でさえも自分のことがイヤなのですから、ましてや人に自分の本心を見せたら必ず嫌われてしまう、と無意識のうちに思っているのです。こうしていつも自分のことで汲々としていますから、他の人のことを思いやる余裕も出てきません。その結果、周りの人々との間に色々なあつれき(不調和)が生じて、難しい人間関係ができあがるのです。では、なぜそうなってしまうのでしょうか。また、それを克服するにはどうしたら良いのでしょうか。




神との調和



「背信の子らよ。帰れ。わたしがあなたがたの背信をいやそう。」(エレミヤ3:22)

私たちが自分を受け入れられないのは、実は私たちと神様との間に不調和があるからであり、その原因は“罪”にある、と聖書は語っています。聖書でいう罪とは、警察に捕まるようなことばかりではありません。イライラする心、人を憎んだり恨んだりする心、それらの一つ一つが実は神様と私たちの間の不調和となり、私たちは知らず知らずの内に「こんな自分が神に赦されるはずがない、愛されるはずがない。」と思ってしまうのです。それが、いつしか自分自身をも受け入れられず、人をも受け入れられない原因となり、不調和が広がっていくのです。

私達は、神というとバチをあてたり呪いがあったりと聞かされてきたので、いつの間にか意地悪な神だと思ってしまいがちです。しかし聖書の神―私達を創られた神様は、そのような方ではありません。『私のところに帰って来なさい。神に背いたすべての過ちを私がいやそう。そのために、あなたを赦すために一人子キリストを十字架につけたのだから。』と語って下さるのです。この方のところに立ち返る時、私達は様々な不調和から解放され、自分でどうしようもない苛立ちが、不思議な心のやすらぎへと変えられていくのです。




心のやすらぎ



「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ5:6〜8)

正しい人のために、あるいは自分に本当に良くしてくれた情の深い人のためになら、何かお返しがしたいと命さえかける人が時にはあるかもしれません。しかし、聖書の神はそうではありません。私たちがまだ罪人であったとき、すなわち何も良いことが出来ない―良いことをしようとしても、でるのは人を傷つける言葉や、意地悪な行い―自分でさえこんな自分がイヤだと思う、そんな私たちのためにキリストが死んで下さった。私たちすべての罪の罰を、キリストが代わりに十字架で受けて下さったというのです。あなたが今どういう状態であってもかまいません。

『背信の子らよ。帰れ。』

・・・あなたの惨めさ、弱さ、醜さ、足りなさ、ふがいなさ、―それはすべて私が十字架で負った。あなたは私のもとに帰って来れば良い、と語って下さるのです。もしあなたが自分も救われたいと願うなら、「こんな私でもいいですか。良いことは何も出来ないかもしれない。信じると言っても、すぐに裏切るかもしれない。でも、こんな私でいいのなら、よろしくお願いします。」と、あなたの心にキリストの神をお迎えして下さい。

そして、「神様、私を赦して下さってありがとうございます。」と、神の赦しを受け取るときに、同じ自分でありながら以前の自分とは違う、不思議なやすらぎが心の内に生まれてくることに気付かれることでしょう。やがて、こんな自分をそのままに受けとめて下さる方がいるということの故に、自分の存在価値を見いだし、人の前でも本来の自分、正直な自分で生きることが出来るようになるのです。あなたもぜひこのキリストによって、心の深いところからでる本当のやすらぎをご自分のものとなさることができますように。




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