新しく生まれる





自己満足



「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(IIコリント5:17)

日本人の90%以上が中流意識を持っているといわれます。「あなたは今の生活に満足していますか?」と聞かれれば、「おおむね、まあこんなものではないでしょうか。」という答えが返って来るでしょう。しかし同時に、心のどこかに本当にそうだとは言い切れないものがあるということもまた、事実ではないでしょうか。・・・自分は良かれと思って一生懸命やってきたつもりだ。でも現実はなかなか思うようにならない。だからといって、それを責められてもどうしようもない。だからあれこれ詮索しないで、まあこんなものだとしておこう、といわば自己満足しています。しかし、心の深いところには、本当にこれでいいんだろうかと問う声がある・・・それが私たちの真の姿ではないでしょうか。

聖書は、私たちは皆『罪人』だと語ります。罪人呼ばわりされる筋合いはないと思われる方もあるでしょうが、実は聖書のいう『罪』とは、“ずれ”とも言い表される言葉なのです。すなわち、本来あるべき姿、たとえばあるべき妻、あるべき親としての姿からずれている自分をまず認めること。と同時に、そんな自分が生まれ変わることができる・・・その“ずれ”を調整し、私たちを救うためにイエス・キリストが来られたのだということを、ぜひ知っていただきたいのです。




不可能を可能にする力



今から約2000年前、何千年も前から預言されていた通りに、キリストはユダヤのユダ部族の家系から、ベツレヘムという小さな町で生まれました。生まれる前から有名だった、それだけでもう特別な存在だと言えないでしょうか。そして、キリストは人々の罪の身代わりとなって十字架で死んだ、と聖書は語っています。しかしそれだけでは終わりませんでした。キリストは死から甦った、復活した・・これこそ新約聖書が最も中心的なこととして語っている主題なのです。

死人が復活するなどとは、まるで人間の理性に合わない、バカバカしい話です。キリストから直接教えを受け、あらかじめ復活のことも聞いていたはずの弟子達でさえ、キリストの墓が空になっているのを見た時に、復活を信じることができませんでした。しかし、その後彼らは甦ったキリストに実際に出会いました。だからこそ、彼らは自分の見たことを人々に伝えずにはいられなかったのです。あり得ないはずのことが2000年前に起きた、それがキリスト教の起源であり、それが起こらなかったら今でもユダヤ教のままだったのです。しかし、もしこれが本当に起こったとすれば、その他のどんなことも可能であると言えます。ここにキリストにある希望があるのです。

『キリストのうちにあるなら』―すなわち、キリストを信じ受け入れるなら、私たちもまた新しく生まれ変わることができる、と聖書は語っています。あなたは、自分の性格はもう変えられないと思っていないでしょうか。しかし、キリストのうちにあるなら出来ないはずのことが出来る、変わることが出来るのです。では、どうしたらその力を実際に自分のものとすることが出来るのでしょうか。




新しい自分



「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)

神の恵みを受けることを妨げているのは、私たちのプライドです。「私は宗教に頼るほど弱くない。」と自分にも言い聞かせようとします。しかし、実際にはこうしたら良いとわかっていても出来ない自分。あるいは、相手のためにと一生懸命やったつもりなのに、相手はちっとも喜ばない、それどころか返って恨みをかったりする現実・・悲しくなってしまいます。その時、自分が惨めなもの、疲れたものであることを正直に認めること。また、自分が良かれと思ってやってきたことも実は相手に圧迫を与えるようなものでしかなかったんだと、自分の欠け(あるべき姿からズレていること)を率直に認め、「私には出来ません。こんな私を助けてください。」と神の前にへりくだること。それが神様の備えて下さった恵みを受け取る第一歩です。

そして次に必要なのは、この神様に信頼してまかせるということです。でも私たちはなかなかそれが出来ません。自分で色々やってみて、もうにっちもさっちもいかないという状況になるまで神様に頼ることができないため、その力をなかなか味わうことが出来ないのです。キリストからいただく力は『恵み』、すなわち求める者に下さる神様からのプレゼントです。聖書は、『求めなさい。』と何度も語っています。あなた方は求めすぎる、とは言っていません。むしろ、求めなさすぎる、もっと大胆に、あきらめないで求め続けなさい。そうすれば与えられる、と語っているのです。

小さい頃に受けた心や体の傷が性格形成に大きな影響を与え、やがて大人になって他の人との関係がうまくいかず色々な問題が出てくるといわれます。でも、小さかった時のことは今更もうどうすることも出来ません。自分の手の届かないことです。しかしたとえそうであったとしても、このキリストの内には私を変える力がある、新しく生まれ変わらせる力があるということをぜひ知って下さい。この方に求め続けるなら、あなたもきっとご自分でそのことを体験なさることでしょう。

「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」(マタイ7:7〜8)





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