自分らしく生きるために





自分らしく生きる



あなたは今の自分に満足しておられるでしょうか?それとも、自分はこれでいいのかと思いながら日々歩んでおられますか? 私達は自分らしく生きたいと思いながらも、実際にはどこに自分らしさが有るか分からないことが案外多いのです。私達は人の目や人の評価をとても気にして、自分がどう思うかというよりも、人が自分をどう見るかということで迷ったり悩んだりしているのではないでしょうか。しかし、それでは自分の満足感・充実感を人任せにした不安定な生き方になります。

人から評価されている内はそれなりに満足していても、いったんそれが取り去られ、自分が人からふさわしい評価を得ていないと思うと、生きていく気力さえ失せてしまうのです。しかしそうではなくて、たとえ人は評価してくれなかったとしても、自分がこれで良かったと心から思うことができるなら、それこそが自分らしい充実した人生だと言えるのではないでしょうか。ですから、今日は“自分らしく生きる”ということを御一緒に考えてみたいと思います。

ただし、ここで注意すべきことは、“自分らしく生きる”ということは、自分の願いのまま好き勝手に生きること(わがまま)とは違うということです。例えば、朝から何もしないでゴロゴロと過ごしたとしても、そこから充実感は生まれてきません。確かに疲れている時はそうしたいでしょうが、1日2日もそうしていると飽きてきて、こんなことしていられないと思うに違いないのです。私達はダラダラ生きたいと本心から思っているわけではないのです。自分の本当の願いは何なのか、私達は案外分かっていません。私達が自分らしく生きるためにまず第一に必要なことは、自分自身を正しく知るということなのです。




自分を知る



自分を知るための方法の一つとして、自分史を書くということがあります。自分が生まれてからのことを思い出す限りずっと書いてみるのです。それによって、気付かなかった自分に気付くということが良くあります。例えば、ある状況になるといつも自分がカーッとなったりパニックに陥ったりするのは、かつて同じような状況で大きな傷を受けたことを思い出してしまい、それ以上冷静に考えることができなくなったためであると気付くことも有ります。

こうして自分を新しく発見したならば、次に大切なのは、自分の真実な姿をそのままに認め受け取っていくことです。それは、自分はダメだと否定したり責めたりするのでもなく、またどうせダメだとあきらめて失望感にさいなまれるのでもなく、ましてや人のせいにして相手を責めたり恨んだりするのではなく、自分の限界を客観的に知ることによって、自分が何かをしていくために必要な方策や助けを得ることができるようになるためなのです。

自分を知るということでもう一つ大切なのは、自分がするべきことと相手がするべきことの責任範囲を見極めるということです。『共依存』という言葉があります。アルコール依存症の御主人とその奥さんに良く見られる現象ですが、酔っぱらった御主人の醜態を何とかしようとするあまり、奥さんが後の始末をやりすぎて御主人が自分のしたことの責任を負わなくて済む状態になります。御主人にとってはその方が楽ですから、結果的に奥さんが御主人の依存を助長し自立を妨げてしまうことになるのです。

奥さんは奥さんで、本来御主人が負うべき責任まで自分が負って、更に悩み苦しみます。自分の範囲を超えて相手の負うべき責任まで自分で負うなら、相手のためにならないばかりか、本来自分がなすべきことがかえって出来ない悪循環に陥るのです。私達もまたこのように、自分の手の届かないことを一生懸命思いあぐねていることが多いのではないでしょうか。例えば、子供の将来について、子供の入試の結果について思い煩う・・その一方で、今子供が本当に必要としている助けに答えることが出来ないでいる、そんなことはないでしょうか。




神にゆだねる



「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(Iペテロ 5:6〜7)

聖書は、自分の限界・自分の守備範囲を知り、それを越えるものは神の御手にゆだねなさい、と語っています。私達は自分ではどうしようもないことで、様々に思い悩みます。例えば、私達は自分の罪や、その結果生じた罪責感に苦しみます。すでに起きてしまった過去のことについては、もういくら考えてもどうしようもないにもかかわらず、ああすれば良かった、こうすれば良かったと思い悩むのです。

しかし、ここにそれを解決できる方がおられます。

「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(Iヨハネ1:9)

「神を愛する人々、すなわち、神の御計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)

私達が自分の罪を言い表す(その通りですと認める)なら、神様はそれを赦してくださるばかりでなく、もう取り返しがつかないと思うことさえも良いことに変えてくださる、というのです。自分はもう変われないと思い悩んでいる方がおられるでしょうか?

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られたものです。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(IIコリント5:17)

私達を創られた神様には、私達を創り変えることがお出来になります。私達が自分ではどうしようもないと限界を認めるならば、それを解決できる方(神様)にゆだねてみようと決断する事もできるのです。本当の自分を受け取り、自分の限界を正しく知って、この神様に生涯をゆだねていく時、ああ本当にこれで良かったと言える人生が、人の評価に振り回されない真に自分らしい人生が、あなたの内にも一歩ずつ実現して行くのです。




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