神様の愛





神の愛



「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。・・・私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。」(Iヨハネ4:18〜19)

コルベ神父は第二次世界大戦中、アウシュビッツ収容所に入れられました。ある時収容所からの逃亡を企てた男が捕まり、見せしめのために処刑されることになりました。残された妻子を思い嘆き悲しむ男を見て、コルベ神父はこの男の身代わりに餓死室に入ることを申し出ました。そして、二週間堪え忍び、多くの人々への愛を現した後、天に召されていったのです。人にこんな生き方が出来るでしょうか?でも、事実あるのです。

では、どうしてそのようなことが出来るのでしょうか?もし私たちの心に愛が灯るなら、自分でも考えられなかった様なことができるのです。私たちは愛する者のためなら、喜んで犠牲を払うことが出来るのではないでしょうか。でも反対に愛がなくなると、喜んで出来たはずのことも、もうやりたくなくなります。聖書は、私たちの心に神様の愛が灯るとき、私たちも人を愛する人生へと変えられる、と語っています。

新約聖書の原文はギリシャ語ですが、ギリシャ語には「愛」にあたる言葉が4種類あります。1つは「エロス」、これは“恋愛”の愛、=“求める愛”“奪う愛”とも言い換えることができます。家族愛は「ストルゲー」、友達の愛は「フィレオ」といいます。ふつう私たちが「愛」というときは、これらの愛を考えます。しかし、聖書で『神の愛』という時は「アガペ」という言葉が使われます。これは、“無条件の愛”“一方的に与える愛”を表します。これを、『・・でも』の愛と言うこともできます。ふつう私たちの愛は条件付きの愛、『・・だから』の愛と言えます。「あの人は優しいから・・、親切だから・・、だから私は愛します」、という愛です。また、「私がこれだけしたのだから、相手も応えてくれるはず・・」と、心のどこかで見返りを求める愛です。

しかし、『・・でも』の愛は、「この人は私に意地悪をする・・、暗くて憂鬱な人、・・でも、私はこの人を愛します」というのです。神様の愛は、この『・・でも』の愛です。私たちがどんな状態であっても、「そのままのあなたを愛している」と言ってくださるのです。この方をあなたが心にお迎えするなら、どんな時にも、たとえ私たちがそうと気付かない時にさえも、いつも共にいてあなたの人生を支え助けてくださるのです。ここに、そのことを歌った「あしあと」という詩があります。

あしあと

ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主(神)とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。

「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
わたしと語り合ってくださると約束されました。
それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
ひとりのあしあとしかなかったのです。
いちばんあなたを必要としたときに、
あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
わたしにはわかりません。」
主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。わたしは、あなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に。
あしあとが一つだった時、わたしはあなたを背負って歩いていた。」

神様は私たちひとりひとりの人生にとっても、そのような存在になりたいと願っておられるのです。




十字架の愛



愛は、あなたが心を開いて受け取る時に初めて感じるものです。どんなにあなたのことを思ってくれる人がいても、もしあなたがそれを素直に受け取らなければ、ただイヤミにしか思えないものです。神様の愛も同じです。神様はあなたの心の扉をたたいておられます。もしあなたが心を開いてこの方をお迎えするなら、神様はあなたの心に入り愛の灯をともしてくださいます。自分はそんなに立派な人ではないから、と思う必要はありません。

教会は立派な人の集まりではなく、ただ自分の内に罪や弱さ、様々な欠けがあることを認め、赦されたいと願う人々の集まるところなのです。教会に必ずある十字架は、そのことを表しています。私たちの罪・汚れ・弱さのすべてをイエス・キリストがその身に負い、私たちの身代わりとなって十字架にかかり、本来なら私達が受けるべき罰を代わりに受けて下さった。それほどまでにして、神様はあなたを愛し、すべてを赦して下さったのです。この神様の愛を受け取る時、私たちの内にも、相手がどんな状態であっても愛する愛(アガペ)が生まれてきます。

「もし神様がいらっしゃるなら、私を愛していて下さることが分かるようにして下さい。」「私の心を開きますから、わたしの心におはいり下さい。」「私を愛して下さってありがとうごさいます。」どんな祈りでもかまいません。それはあなたと神様との個人的な会話です。あなたもどうか心を開き、あなたを変わらず愛して下さる神様をお迎えして、心に愛の灯をいただく新しい人生に歩みだして下さい。




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