感謝する





感謝する心



「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(Iテサロニケ5:18)

あるおばあさんが痴呆症になり言葉もだんだん忘れていったそうです。そして最後に残ったのは三つの言葉だけ・・・その内の1つが「ありがとう」だったということです。もし自分が同じ立場に立ったとしたら、どんな言葉が残るでしょうか?

多くの方の最後を看取ってきた医師が、次のように語っておられます。「私達の人生の終わりの時は、私達がどのように歩んで来たかにかかっている。普段から感謝の心で歩んでいる人は、最後の時になっても感謝の心がでてくる。しかし、いつも恨み・つらみを持っているなら、終わりもそのようになっていく。」と。私達も、最後に「ありがとう」という言葉が残る人生を送りたいものです。そのためには普段の生活をどう過ごすかがとても大切だというのですが、では、どうしたらいつも感謝の心を持つことができるのか、あるいはなぜ感謝できないのか、今日はそのことをご一緒に聖書から学んでいきたいと思います。




不満を持つ時



「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主(キリスト)があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かにすまわせ・・・なさい。」(コロサイ3:13〜16)

私達は、「感謝出来る人はいいよね。すべてが順調にいって・・・。」と思いがちです。でも、本当にそうでしょうか?実は、感謝する心は、状況ではなくて自分の心持ち次第だということを知っていただきたいのです。同じ状況でも、その中にある良い所を見つけて行くか、悪いところばかりに目を留めるかによって、私達の心は全く変わってきます。

例えば、普段はとてもいい人だと思っていた相手でも、ひとたび何かイヤなことがおこると、相手のすべてがイヤになってしまう。本当は良い所がたくさんあるのに、たった一つ許せないことがあると帳消しになり、相手の全人格を許せなくなってしまう。そんなことが結構あるのではないでしょうか?そんな時、『互いに忍び合いなさい』と聖書は語ります。忍ぶとは、ただ我慢することではありません。私達は生身の人間ですから、調子の良い時も悪い時もあります。調子の悪い時には、思いもかけない反応や態度がでてくることもあるのですが、私達は自分のことは棚にあげて相手にはいつも完全であることを期待し、その結果不平や不満で一杯になってしまうのです。相手に不満を持つ時・これはこの人の弱さなんだ・・今は調子が悪いんだ・と、忍ぶことが出来るならずいぶん変わってきます。

今の時代、色々なことでイライラしてしまうことも多いのです。― 鳥が羽を痛めたなら飛びたくても飛べません。しばらく羽を休めるしかないのです。そして回復してきたなら再び大空に舞い上がることができる。でももしその時痛めつけたなら、本当に飛べなくなってしまいます。― 相手が今どうであれ、いつかここから立ち上がっていける、そんな希望の中に待ち望む、それが忍ぶということなのです。また、冷静に自分自身を見てみれば、自分も同じようなことを言ったりしたりしてきたことに気付かされます。「人のことは言えないな」と気付けば、相手を許す心にもつながっていきます。実のところ、私達が感謝の心を持てないのは、許すことができないでいるからなのです。




互いに赦し合う



自分が許された経験を持つ人はかなりのことでも人を許すことが出来、反対に、許されたという経験がない人は、小さなことでも絶対に許せないという気持ちが強くなります。私達は実は幼い時からこのかた、多くのことを赦されないままになっているために、いつのまにか言い訳と弁解で生きる人生になっているのです。ですから、人のこともなかなか許せません。そんな私達に聖書は

『互いに赦し合いなさい』

と語っていますが、それは

『キリストが私達を赦して下さったのだから、そのように赦しなさい』

ということなのです。教会に必ずある十字架は、そのことを表しています。約2000年前、キリストは何一つ悪いことをしなかったにも関わらず十字架刑に処せられました。それは私達すべての罪を赦すためだった、と聖書は語ります。自分で取り返しがつかないことをしたと思う時、そのことを「神様、ごめんなさい」と正直に認めて下さい。その時神様は、私達を赦しきよめて下さると聖書は約束しています。この約束を自分自身へのこととして受け取り「赦して下さってありがとうございます」と祈る、この事を日々の生活の中で積み重ねて行くとき、こんな自分が神様によって赦されているんだからあの人のことも許そうと、私達のうちに人を許す力が成長していくのです。

そしてさらにその上に

『愛を着けなさい。』

と聖書は語ります。

『愛は結びの帯として完全なもの』

・・まさに愛は人間関係を良くする秘訣です。では、愛とはなにでしょうか?聖書は次のように語っています。

「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。」(Iコリント13:4〜8)

自分が愛しているかどうかこれに一つ一つ照らし合わせてみるなら、とても自分にはないと思えます。そうです、実はこのような愛は神様からしか来ないのです。ですから、神様にこのような愛を下さいと祈っていく、その時自分のうちに愛が少しずつ与えられてきます。そしてさらにキリストは私達に平和(平安)を与えて下さいます。赦されて生きるという安堵感・平安は、神様が与えて下さる得難い恵みです。キリストの赦しと平安を頂いて生きること、それが私達が日々感謝の中に生きる秘訣なのです。




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