不安な時代





不安な時代



最近たて続けに、17才の少年による凶悪な事件が起こりました。とんでもないことと思うと同時に、「その子の気持ちがどこか分かる気がする」という若者の声もありました。すなわち、今自分が生きているという実感(存在感)がない、宇多田ヒカルの様な有名人にはなれないとしたら、反対に超凶悪なことをしてでも世間の注目を集めて自分の存在を示したい・・・。自分が何のために生きているのかわからない虚しさを抱え、ちょっとしたことでも不安に陥ってしまう・・・今の世相が極端な形で現れた事件だったのかもしれません。

このような時代に生きる私達は、色々なことで不安を覚えます。今の今まで楽しかった心も、何かのきっかけで自分の生活の中にある不安が思い起こされた瞬間から、すべてが色あせて感じられる・・・、不安には、そんな大きなマイナスの力があるのです。また、私達は不安に駆られると、とんでもないことを言ったり、行ったりしがちです。しかも、不安は伝染します。子供の様子が何かおかしい、イライラしている・・、実はその前に何気なく言った自分の一言が、子供の心に私の不安を伝染させて、不安定にしているのかもしれません。私達は、自分の心に起きてくる不安に正しく対処していく必要があるのです。

ではどうしたら不安がなくなるでしょうか。何でもできる権力とお金を手にいれれば、心が平安になるでしょうか。平和が続き最盛期を迎えたローマ帝国に生きたエピクトスは、語っています。

ローマ皇帝は海陸の戦争からの平和を与えることはできるが、悲しみ・苦しみ・ねたみからの平和を与えることはできない。人間は外面的な平和より内面的な平和を欲求するが、皇帝がそれを与えることはできない。

と。また、『アニーよ、銃を取れ』で有名な女優ベニー・ハットンは、後年イギリスのある教会の家政婦として働いていました。もう一度ハリウッドに帰るようにと勧められた時、彼女は言ったそうです。「ハリウッドは私に幸せを与えなかった。私は今が一番幸せです。」と。かつては週に15万ドルの大金を稼いでいた彼女でしたが、お金は彼女に心の平安を与えなかったのです。では、私達の心にある不安や恐れを本当に解決するにはどうしたらよいのでしょうか。




本当に恐れるべき方



「人を恐れるとわなにかかる。しかし主(神様) に信頼する者は守られる。」(箴言29:25)

「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタイ10:28)

「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」(ローマ5:1)

私達は、人間(本当の意味で恐れる必要のない者)を恐れるから罠にかかる。反対に、恐れるべきお方(神様)を恐れるようになる時、私達の内から不安や恐れが消えていく、と聖書は語っています。多くの場合私達は、神様はバチを当てる方、裁く方として聞いて来ました。しかし、私達の失敗、過ち、罪、汚れをすべてキリストが身代わり負い、その罰を十字架上で受けて下さった、処理して下さった、と聖書は語ります。そのキリストの十字架が自分のためであったと受け取る時、私達の罪はすべて赦され、神様のもとに安心して戻る(神との平和を持つ)ことができるというのです。どんなことでも出来る方、何をも恐れる必要のない神様が、私の味方となり、私を守って下さるとしたら、こんなに心強いことはありません。

「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子(イエス・キリスト)をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」(ローマ8:31〜32)




“思い煩い”が満ちる時



「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(Iペテロ5:7)

「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:6〜7)

子供のこと、学校のこと、ご主人の健康、仕事のこと、本当に心配なことは色々あります。「どうしよう」と一日中そのことばかり考え、次から次ぎへと悪い方へ想像が膨らんで何も出来なくなってしまう。これはまさに“思い煩い”の状態です。しかし、それは自分がどんなに心配してみても、どうにもならないことではありませんか。考えれば考えるほど、苦しくなるだけ・・・、私たちは自分で負いきれない様な重荷を抱えて苦しんでいることがあまりにも多いのです。

神様は、その問題を私に任せなさい、ゆだねなさいとおっしゃっているのです。出来ない自分が考えるより、本当に解決出来るかたにお任せする方が、はるかに確実ではありませんか。自分がいくら心配してもどうにもならないことなら、今はひとまずそれを神様にゆだねて横に置き、自分は今日しなければならないことをしていく。本当は今日すべきことがたくさんあるはずです。それをまずしていくなら思い煩っている時間はありませんし、その方が結果的にはずっと積極的で充実した生き方となるのです。

もし自分が“思い煩い”に落ち込んでいると気づいたら,ぜひ上の聖書の言葉を思い出し、「ああ、この問題は神様におゆだねすべきことなのだ。」と知って下さい。思い煩いが出てくるごとに、「神様、このことをおまかせします。」と祈っていく、そのとき私たちは、どんな状況の中にあっても平安な心が与えられ、かえって積極的に力強く歩んで行くことが出来ることでしょう。




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