心を静める





自分がしてもらいたいように・・・



「神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)

 人間という字は『人の間』と書きますが、まさに私達の悩みの約90%が人間関係の悩みだといわれます。ですから、この「あなたを変える聖書のメッセージ集」でも、何度も人間関係の色々な問題について学んできました。良い人間関係を築いていくにはどうしたらよいのか?  その秘訣は、黄金律とも言われる、次の聖書の一節に要約されると言えるでしょう。

「『何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。』」(マタイ7:12)

 自分は人からどうしてもらいたいのか?  優しく受け止めてほしい。 裁いたり命令したりしないで私をそのまま受け止めてほしい。 私の過去の傷を暖かく包んでほしい。 恩着せがましくしないでほしい。・・・色々あるでしょうが、こう考えてみると、色々な場面で私達が他の人に対してどうしたら良いかがわかってきます。自分ならこんな時どうしてほしいのか、それはほとんどの人が知っていることなのです。  ところが、頭ではわかっていても実際の場面になると、自分の感情に負けてしまって出来ない。これが私達の本当の苦しみではないでしょうか。では、どうしたらそれができるようになるのか、今日はそれをご一緒に考えていきたいと思います。



神の前に静まる



 どんなことであっても、私達があわててパニックに陥ると、大変な結果を招いてしまいます。わずか30cmほどの水であっても、溺れてしまうことさえあるのです。何かあった時には、まず心を静め落ち着かせることは、とても大切です。  聖書は『立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。』と語っています。すなわち、神様に立ち返り、神様に信頼するまでは、ことはおさまらない。しかし、神様のもとに来て静まっているなら、やがてなすべきことをする力が与えられるというのです。苦しくても、平安がなくても、力がなくても、人を許せなくても、どんな時でもまず神様のもとに行き、心を静める。神様はあなたがどんな状態であっても、そのままのあなたを受け入れて下さいます。私達は知らず知らずに、こんな自分ではダメだと自分を責めています。でも、キリストがそんなあなたを赦して下さったのですから、あなたも自分を許してあげていいのです。ある本に、そのための助けとなるリストが記されていました。あなたにも当てはまるものがないでしょうか?

《あなたはそのままでOKです。》

 これは、神様はあなたをそのまま受け止めて下さるということの具体的なリストです。
  • あなたは自分を楽しませて良いのです。(自分を楽しませてはいけないと思っている方はありませんか?)
  • あなたは不完全で良いのです。(自分は不完全ではいけないと思っていませんか?)
  • あなたは人のすべての期待に応えられなくて良いのです。(いつも人の期待に応えなくてはいけないと思っていませんか?)
  • あなたは健康であって良いのです。同時に、病気でも良いのです。
  • あなたは成功して良いのです。同時に、失敗しても良いのです。
  • 苦しんでいる人がいても、自分は平安を楽しんでいてよいのです。(自分だけ平安であってはいけないと思う必要はないのです。)
  • あなたは平均的であって良いのです。 ありのままの自分で良いのです。
  • 急がなくても良いのです。  休んでも良いのです。
  • 遊んでいても良いのです。(遊んでいる最中でも、こんなことをしていていいのかなと、罪責感を持ち続けている人はありませんか?)
  • 愛がなくても良いのです。また、愛されなくても良いのです。
  • 重要人物になっても良いのです。また、重要人物にならなくても良いのです。
  • 人に近づいても良いのです。 人を信じても良いのです。 人を裁かなくても良いのです。
  • 人の感情の責任をとらなくても良いのです。
  • 人の欠点に目をつぶって、長所に素直に感動してもよいのです。
  • 俗っぽい人間であっても良いのです。  泣いても良いのです。 うまくいかなくても良いのです。
 あなたにも当てはまるものが、この中にあったのではないでしょうか? そして、そこに来ると、ふっと心が楽になるのを感じたのではないでしょうか? 子供のこと、ご主人のこと、ご主人の両親のこと、ご近所のこと・・・その中で、もうどうしようもない、許せない、受け入れられないと思うとき、そういう私、許すことが出来ないでいる私を、神様は赦し愛して下さっていると自分自身にささやいてみて頂きたいのです。その時不思議に、イヤだと思っている相手のことをも「仕方がないな」と許す力が、少しずつあなたの内から出てくるのです。



赦されている自分



 キリストが十字架にかかったのは、私達の身代わりに罰を受け、すべての罪の責めを取り除いて私達を赦して下さるためであった、と聖書は語っています。聖書が言う『罪』とは、もともとは『ずれ』と言う意味の言葉です。本来あるべき姿からずれている・・例えば、親として本来あるべき姿からずれている自分・・それを神様の前に正直に認めるなら、神様は私達を赦し、そこからきよめ解放して下さると聖書は約束しています。

「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(第Iヨハネ1:9)

 この神様の前に自分の弱さを正直に認め、そこに力を下さる神様に信頼するということがとても大切です。私達は、自分の弱さを認めたら敗北であるかのように感じて、なかなかそれが出来ません。しかし、本当に強い人とは、自分の弱さを認めてそれに直面できる人です。その時初めて、そこに打ち勝つすべを学び、解決の力を得ることができるからです。  あなたのすべての責めをキリストが負って下さったので、あなたがどんな状態であっても、そのままの姿で神様のもとに出ることができるのです。様々な人間関係の問題に直面する時、まずこの神様の前に静まり、神様からの力を頂く・・・あなたの生活の中に、このことをぜひ経験して頂けたらと願います。  




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