2012年8月23日 「仮設万石浦団地、尾浦浜、石巻バイパス仮設西、万石浦地区 支援活動」

2012/9/5 記事を追加致しました!

今回は、近江教会、川越教会、東大宮教会、関西地区協議会、古川教会と仙台教会の奉仕者44名での支援となりました。近江教会の皆さんは1週間にわたって献身的なご奉仕をして下さいました。ご協力下さった、ご支援下さった皆さん、感謝いたします。今回は全体を4チームに分けて支援活動をしました。

1チーム 万石浦仮設 賛美、落語、カキ氷、綿アメ、焼きそばの集会
2チーム 尾浦浜   物資配布、お茶と賛美の交わり
3チーム 石巻バイパス仮設西 クラフト教室お手伝い、御ことばの証、カフェのお手伝い
4チーム 被災家屋への個配キット配布をしながら戸別訪問

[ 高橋裕子 ]

2チームが向かった尾浦浜の現在です。奥にある作業小屋道路が残りました。道を挟んで家々が建っていたそうです。


<1チーム報告>
奉仕者:近江教会11名、関西地区協議会2名、古川教会3名、仙台教会5名

久しぶりに、談話室をお借りして集会を開きました。外の木陰には、かき氷機、綿あめ機、焼きそばのバーベキューセットを用意しました。綿あめ機とバーベキューセットは今回、サマリタンパ-スから提供して頂いたものです。これからの活動に大いに役立つことと感謝しています。

集会は、近江福音自由教会の浜岡典子先生の歌と証し、関西地区協議会から参加してくださった渕野先生の落語、金子先生の福音演歌も加わって大いに盛り上がりました。夏休みでプールから帰ってきた子どもたちも、大人に混ざって楽しんでいました。

その後もたくさんの方々が残ってくださり、話しをしたり、片付けを手伝ってくださったり、とても親しく心を開いてくださっているようでした。その中の一人の方は、「今が一番苦しい時」と仰っていたそうで、病気がちであったり、仕事がなくて、将来の見通しの立たない方々もおられ、不安な毎日を過ごしておられるようでした。

最後に、石巻の方々とボランティアの兄姉が手をつなぎ、一つ輪になって、古川福音自由教会の門谷先生が導いてくださった祈りに合わせて、神様の助けと祝福を心からお祈りしました。最後まで手を振って見送ってくださった、仮設の方々の笑顔が心に残りました。

[ 吉田真知子 ]


 私は8月23日(木)に門谷先生・O姉とご一緒に仙台教会の支援活動に参加しました。今回は、関西・関東の福音自由教会の方々も参加し総勢44名の奉仕者による活動とのことで、万石浦仮設住宅、石巻バイパス西地区仮設住宅、尾浦地区、渡波地区の被災家屋、の4か所に分散して活動しました。私達古川教会は、万石浦仮設住宅での支援活動に参加しました。

 万石浦仮設住宅では、10:30~かき氷・綿アメ・焼きそば作り・配布。11:00~落語と賛美の集会。私は、集会所の中でお茶を配ったり、被災者の方々のお話を聞くご奉仕をさせて頂きました。途中で退席される方もおられましたが、小さなお子さんから若いご婦人、ご高齢の方々まで、総勢40人~50人ほどいらっしゃったと思います。

皆さん、かき氷や焼きそばを美味しそうに頬張りながら、浜岡夫人の賛美と証し・金子師の福音演歌・淵野師の福音落語を、時には笑いながら、時にはしんみりと聞き入っておられました。最後のビンゴゲームは大盛況で、皆さん嬉しそうにプレゼントを受け取っておられました。最後には地区の副会長さんがご挨拶して下さり、「今日は本当にありがとうございました。皆さん、とても楽しんで帰って行かれました。」と、大変喜んで下さったご様子でした。私も皆さんの喜ぶ姿を見てとても嬉しくなり、神様に感謝致しました。

また、私がそこで出会った方は初対面の方々ばかりでしたが、初対面の私にもいろいろなお話をして下さいました。「みんなねぇ、なんか、人間関係も変わっちゃってねぇ…昨日までは親しくしてた人も、今日になると、ガラッと人が変わっちゃうような状況でね…寂しいのよ。だからね、教会さんが来てくれるって言うんで、今日は楽しみでね、待ってたのよ…一番に来たのよ…教会さんはみんないい人ばっかりだからね…」と堰をきったように話して下さったご婦人。

「普段どこも出れないの。出るのは病院だけ。だからね、こういうのは本当に楽しいよ。ありがたいよ。」と嬉しそうに話して下さったご高齢のご婦人。「俺は息子と二人だけで、その息子は障害持ってる。俺のことは、病気になっても誰も面倒見てくれない…死ぬ時はぽっくり行ければ…と考えてるんだけど、そういう考えはキリストさんに怒られるかな?」と尋ねて下さった79歳のご主人。様々な悩みや不安を誰かに聞いてほしい…身近な人には話せないけれど、外から来る人になら話せる…そんな人々の心の声を聞いたような気がします。そして、もっとゆっくり時間をかけてお話を聞いて差し上げたかった、その問題を解決して下さるイエス様のことをお伝えしたかった…そんな歯がゆい気持ちを持ったまま帰宅の途に着きました。

 震災から1年5カ月が経ち、復興が徐々に進み、震災の記憶が風化しつつあるように思います。しかし今回私は、被災者の方々の置かれている状況は変わらず、むしろ、先の見えない不安や恐れとともに、今は“寂しさ”を強く覚えているように感じました。だからこそ、息の長い支援が必要であり、それは、被災地・東北に置かれた教会に託されている主からの使命だと感じます。支援活動によって、被災者の方々が「私のことを思ってくれる人がいる」と希望と喜びを持って生きることができますように、また、そのことが「私のことを思って下さる主がおられる」というキリストとの出会いへとつながりますように願い、支援活動のために続けて祈ってまいります。

[ 風間恵理香(古川教会) ]


<2チーム支援報告>
○支援場所 尾浦浜20世帯対象 15名参加
○奉仕者10名 川越教会6名、協議会2名、仙台教会2名
○支援内容 個配キット配布、調味料、洗剤、ティッシュ等の必需品配布、衣類、食器配布

尾浦浜は女川町から車で20分ほど走った先にあります。銀鮭養殖、ほたて養殖が盛んな70世帯の漁港でしたが、津波で流され、残ったのが一番奥に立っていた作業小屋でした。その小屋の持ち主のSさんと石巻バイパス仮設の支援の時に知り合い、この支援となりました。尾浦浜の住民は遠くの仮設や借り上げ住宅に住んでいます。支援を受けたことのない方もいてぜひ、来てほしいと要望されました。今までの支援地より遠く、約束の11時に少し遅れて到着しましたが、皆さん、Sさんの小屋で待っておられました。

暑い日でしたが、小さい浜でちょうど谷間になっていて日陰もあり、椅子とテーブル、テントも設置しましたのでゆったりした感じの支援になりました。支援開始前に支援グループの自己紹介をしました。親近感が生まれたと思います。衣類や食器は時間をかけて選ばれ、大変喜んでいただきました。配布する物資は一人分ずつ大きな袋にお入れしました。ご自分の分がはっきり分かるので安心して交わりにも加わっていただいたように思います。

枚方の水野先生の冷茶を“やつはし”とおいしく味わっていただきました。宇治の高橋先生の柔らかい京都弁による進行も小さな集会に合っていたように思います。“ふるさと”“四季の歌”“いつくしみ深き”を歌いました。いい時間でした。「こんなにゆっくりして過ごしたのは久しぶりだ」との声も聞かれました。お昼用にお握りとペットボトルのお茶を差し上げました。教会の姉妹が暑さを心配して発泡スチロールに氷を準備していたので、冷たいお茶になり喜ばれました。

この日はSさんの隣家の息子さんの葬儀の日でした。この方は石巻の教会に通われていたそうです。皆さん、口を揃えて「漁師に日曜はないのに必ず日曜日は休んで教会に行っていたんだ」と話されていました。尾浦下見の日にはまだ見つかっていないということでしたが、支援の日が葬儀というのでSさんは“縁”を感じると言っておられました。

支援終了後に支援チームだけで交わりの時を持ちました。川越協会の方がお握りとパンを持ってきてくださりおいしく頂きました。オカリナの賛美を聞きながら、海の上を飛び回るかもめを見、小さい浜の震災を思いました。川越教会の皆さんとは打合せが出来ましたが、夜に到着した協議会の先生方とは当日にお会いし打ち合わせは出来ませんでした。川越教会の野瀬先生が協議会の先生方と打合せをして下さり、支援もスムーズに出来ました。

“心を尽くして主により頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても主に信頼せよ。そうすれば主はあなたの道をまっすぐにされる。(”箴言3:5~6)

[ 高橋裕子 ]


<3チーム支援報告>
○支援場所 石巻バイパス仮設西
○奉仕者名 仙台教会5名
○支援内容 クラフト教室お手伝い、御ことばの証、カフェのお手伝い

郷古兄姉、惇子姉、藤原姉、高橋の五人は石巻バイパス西仮設でロング宣教師夫妻ご奉仕のステンシル教室を手伝いました。出席者は12名で、コルクのタイルにステンシルを施しミニ掲示板作りで楽しい時を過ごされました。コーヒータイムにミニ証詞をさせて頂き詩編121:1~2の御言葉カードをさしあげました。今回、参加者の名簿を頂きましたので祈り会等で祈らせて頂きたいと思います。課題は、もう少し早く到着して、皆さんをお迎えする所からお手伝いし、お顔と名前が一致してお交わり出来ればと願っています。

[ 高橋あ ]

<4チーム支援報告>
○支援場所 渡波地区被災家屋
○奉仕者名 9名 東大宮教会1名、協議会4名、仙台教会4名
○支援内容 個配キット配布戸ながら戸別訪問

私たちは京都と東大宮からの支援ボランティアの方々を含め9人で4つに分かれて戸別訪問をしました。震災後壊れた家をリフォームして生活しておられる地域です。住み慣れたはずの所ですが、以前とは全く違う状況です。

聞かせて頂いたお話しをご紹介します。
「近親者には亡くなった者はいないが知り合いを6人亡くした。玄関の(立派な)下駄箱は居間の壁を破りテレビの上に乗ってたんだよ、1階は水に浸かり近所の人と自宅2階で何とか凌いだんだ~。庭にはどこかの家がそのまま置き去りになってたし、前の空き地には車が4‐5台固まってた。怖かったよ~怖かったよ~」と繰り返す方

日和大橋の幽霊話しに「自分は霊感は無いが強い人は見るかもな~」と語っておられた方。
「自分の家は居住地区ではなくなったので、近所の家を借りて直して住んでる」という方。

サマリタンパースの大勢のボランティアの方々に助けられ、今は美容院を再開された方のお店にはいろいろと書き残された文字が残っていたそうです。前はメイン通りで人通りの多かったという通りに店を再開したお魚やさんは、「人が戻って来ないとね~」とおっしゃっていました。

ゆっくりお話しを伺う事を心がけて回りましたが、お聞きする程に祈らせて頂こうと思わされました。

[ 牛久洋子 ]

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