2011年4月5日「続・陸前高田救援ミッション」

今日は、関西・九州から第3次ボランティアチームが昨晩現地入りされ、また野菜も沢山届いたこともあり、3/22以来二週間ぶりに、陸前高田市を再訪することにしました。行き先は前回と同じく老人ホーム「高寿園」と、陸前高田キリスト教会です。高寿園からは事前に野菜類と下着類が不足しているとの情報を得ていたため、それらを中心にセレクトして運ばせて頂きました。2週間ぶりに入った陸前高田市は、前回よりもガレキの整理が進んだ印象を受けました。折れ曲がったガソリンスタンドの給油装置が取り外されて地面も見えるようになっていたり、横倒しになって地面をふさいでいたクレーン車が取りのけられていたりしました。しかし、建物という建物が無くなっているという状況は変わらず、でした。高寿園に近づくと、パワーショベルがガレキ撤去中で行く手を阻まれ、遠回りを余儀なくされました。カーナビで検索しようにも、実際の道は橋が落ちていたり、ガレキでふさがっていたりで苦労し1時間以上、時間をロスしました。そんな中で、二人の男の子に道を尋ねる機会がありました。遊びから帰る途中のようでした。高寿園の生き方を尋ねると「僕たち、そこから来たんです。あっちからいけます」との元気の良い返事。故郷が見渡す限りの大破壊なのに、です。彼らの心には、癒しがたい傷跡が残っていることでしょう。そんな中でも懸命に生きている二人の姿に、打たれる思いがしました。
2週間ぶりの高寿園は、少し落ち着いているように見えました。私たちの他にも、2団体ほどが同時に支援物資を届けていました。2週間前には無かったことです。それを見て、大きめの避難所のニーズは、少しずつ充足されてきているのかも知れない、とも思いました。けれども、私たちが持参した生鮮野菜を差し入れる団体は少ないようで、やはり大変喜んで頂けました。
続いて陸前高田キリスト教会に向かうと、2週間前に私たちの行く手に立ちはだかったあの大きながれきの山が、綺麗に撤去されているではありませんか!前回を知っているのは私だけだったので、一人、感激を覚えていました。ところが、森田先生ご夫妻は留守でした。携帯で連絡を取ると、「あと10分で戻ります」とのこと。戻ってこられたお二人は、少しやつれた感じでした。「会堂に入ってお交わりしましょう!」の声に甘えて20~30分、皆でお話ししました。聞けば、大船渡にいる信徒さん宅まで物資を届けに行っていたとのこと。確かに、前回ガランドウだった会堂には沢山の物資がありました。他の教会や団体が届けてくれたものでしょう。しかし、それらは元は、先生ご夫妻にささげられた物です。それを、惜しげもなく与え尽くし、しかも自ら出向いてそれをする。仙台にいる私たちがするのならまだ分かります。けれどもここは大破壊の町・陸前高田です。電気も、水も、ガスも無い。その地で、普通の感覚ならば「自分用にキープしておきたい」と守りに入るでしょう。そうしたとしても誰も責めるはずがありません。ところが奥様は言いました。「神様は、与えていれば、与えて下さるのよ!」と。奥様は、ご自身膝の靱帯が切れている状態です。にもかかわらず、あちこちと動き回り、信徒のこと、近隣の方のことを気にかけている。「何という信仰か!」と思いました。打たれる思いがしました。「自分の信仰は生ぬるい…」とも思わされた瞬間でした。ところで、私たちが教会を訪問したのと丁度、同じ時間に、別の団体の車が支援物資を持ってやってこられました。「ラジオで、この地区が物資不足と聞いたモンで…」。手ぬぐいを頭に巻いた20~30代の青年たちでした。近所の人々がやってこられ、遠慮がちに受け取っていかれました。道路が開通したということは、こういう支援が受けられるようになったということなのか、と思わされた時でした。
帰りがけに、前回は見なかった海岸部を見ました。地盤沈下が著しく、海岸沿いのホテルは、一部が海になっていました。橋は流され、コンクリートの建物がその脇で横たわっていました。この町の復興は、長く険しい道のりになりそうです。日が落ちはじめ、灯り一つ無い荒野となった町を見渡しながら、主の憐れみをお祈り致しました。

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