クリスマスの意味
「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」(マタイ1:1)
クリスマスという言葉には「キリストの祭り」という意味があります。神の子(救い主)が人間の世界にお生まれになったこと、またこの方によって、今までとは違う人生を歩む道が、私達に開かれたことを喜び、祝う日がクリスマスです。
イエス・キリストがうまれたところは?
キリストはユダヤのダビデ王の家系に生まれました。しかし生まれた場所は、立派な宮殿ではなく、汚く臭い馬小屋の中でした。新約聖書の第1ページを開けると、そこには長々とイエス・キリストの系図が書かれています。その男ばかりの系図の中に、4人だけ女性(タマル、ラハブ、ルツ、ウリヤの妻)が記されていますが、彼女達はいずれも罪や汚れの中で、人々からさげすまれていた女でした。それらの不名誉と思える事も聖書は正直に記しています。なぜなら、まさにキリストは、そのような罪、汚れ、醜さのただ中にすなわち、そのような心をもって苦しんでいる私達のただ中に来られたからなのです。
キリストが生まれたのはなぜ?
私達の心の深いところには、だれにも見せたくない暗い思いがあります。一見うまくいっているように見えながら、心の中や家族の中にどこか冷たい風が吹いているように感じることはないでしょうか?私達は自分の傷ついた心を見るのが嫌で、あえて見ないふりをしているのです。けれども、その部分が癒され、満たされない限り、何をしても本当に満足することはありません。キリストはその解決を与えるために、この世界に来て下さいました。
キリスト(救い主)の誕生は、その約700年前に預言されていました。そこには「その名はインマヌエル(=神、我らと共にあり)と呼ばれる」と記されています。(イザヤ7:14)私達には遠い存在と思えていた神様が、私達のすぐそばに来て下さり、はげまし、なぐさめ助けて下さるというのです。そしてそのことを示すのがクリスマスなのです。
キリストと共に歩む
キリストは私達のかたわらに立って、心の戸をたたいておられます。もし私達が心の戸を開くなら、キリストは中に入って下さり、親しい交わりを持って下さるのです。ありのままの私達を受入れ愛して下さるこのキリストにまず出会うことです。そして私の苦しみ、悩みを共に負って下さる方であることを認めて「助けて下さい」と祈るとき、今までとは逢う人生が始まっていくのです。