「尊敬する」とは
「それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。」(エペソ5:33)
「同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。」(Iペテロ3:7)
皆さんは「その人の良い所も悪い所も知った上でなお尊敬できる」という人を何人お持ちでしょうか。自分の弱さに気づかないうちは案外、人を尊敬するよりは下に見ることの方が多いのではないでしょうか。「実る程、頭の垂れる稲穂かな」ということわざのように、自分自身が低くならなければ、人を尊敬することはできません。人を尊敬するなら、自然にその人の言葉にも耳を傾けます。それによって、自分が体験しないことでも、様々な人の人生からまなぶことができ、その結果自分自身の人生が更に豊かなものになっていくのです。このことは夫婦の間にもあてはまります。互いに相手を自分の思いの通りにしようとするかわりに、尊敬し合うことができるようになった時、夫婦関係は本当にうるわしいものとなっていくのです。
尊敬できない理由
人の欠点を見ることが習慣となっているため人の悪いところはほおっておいても見えてしまいます。特に相手が近い関係にあるときほどそうです。だからこそ、私達は一生懸命相手の良いところを見つけようとする習慣を身に付けていく必要があるのです。
自分の「ものさし(常識)」が絶対だと思い込んでいるため私違はそれぞれ生まれ育った背景を身に付けていて、それが一番長いと思ってしまいがちです。そのため自分と違う考え方、やり方をおかしいと感じてしまい、その中にある良いものを見ることができなくなるのです。
自分に自信がないため自分に自信が持てないと、人の良い点をそのまま認めるだけの余裕が出できません。そのため、人の良い所を見るとそれを汚してしまいたい思いになってしまうのです。
自分が上でいたい(人を支配したい)ため相手を自分の思い通りにしたいという気持ちが心の奥底にあるため、相手を自分より上と認めて尊敬することができないのです。
どうしたら尊敬できるか
良いところを貝つけ出す訓練をする私達は恵みに慣れてしまいやすいものです。しかし、どんな小さなことでもそれが当たり前と思うことをやめ、相手の良いところ(あるいは悪くないところ)を見つけ出して感謝することです。人と比べてはいけません。しいて比べるとすれば、以前の状態と比べて良くなったところを素直に感謝するのです。
自分を誇らない私連は自分で立派だと思っている部分があり、つい人に対してもそれを誇ってしまうことがあります。しかし、それぞれの立場や環境が違うことを考える時、決して人に対して自分を誇ることはできないのです。
三日坊主で終わらないためにこうすれば良いとわかっていても、それを実行し続けられないのが私達の現実です。だからこそ、私達は祈る必要があるのです。もしまだ神様が良く分からない方は、「本当に神様がおられるなら教えて下さい。」と始めてみて下さい。「夫のありのままをみて、よい所を見つけ感謝できるようにして下さい。」「尊敬できるようにして下さい」と祈って下さい。
「外なる人(肉体)は滅びても、内なる人(魂・心)は日々新しくなるのです。」(IIコリント4:16)
たとえ年を重ねても、いつまでも初々しい夫婦、互いに尊敬し合える夫婦となりたいものです。