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人を裁く心

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geralt / Pixabay

裁く

「さばいてはいけません。さばかれないためです。・・・また、なぜあなたは兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。・・・まず、自分の目から梁を取りのけなさい。そうすればはっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。」(マタイ7:1〜5)

毎日の生活の中で、さ細なことのようでいて、私達の人間関係を壊してしまうのが「さばく」ということです。例えば、部屋がいつも散らかっている人を見て、「あの人は片付けが苦手な人なんだ」と事実を知り、受け止めることは私達にとって互いに必要なことですが、「あの人はだらしない人だ」と悪く思うなら、私達はその人を裁いているのです。そして人を裁く結果その人のことをうとましく思ったり、顔を合わせずにすませたいと思うようになったりもするのです。

自分の目の中の梁(色メガネ)

私達は、知らず知らずのうちに身についてしまった考え方や基準をもっており、それを通して人の善し悪しを判断してしまいがちです。これが私達の目の中の梁(または色メガネ)なのです。また、人は年齢に応じて、当然それにふさわしい考え方や対応ができるはずと思い込んでしまいます。けれども、心というのは体と同じように順調に成長しているとは限りません。私達は、体の栄養には心がけても、心の栄養に気を配らないことが多いのです。その結果、心が十分に育っていないのです。それなのに、私達は年相応の精神年齢であるのが当然と思い込み、そういう色メガネをかけて見てしまう結果、期待通りでない相手を裁いたり、あるいは自分をその年齢らしく見せようと無理をして、苦しくなったりするのです。私達はまず自分の色メガネを外して互いのありのままの姿を正しく認識することが大切です。

正しく認識するために

その人の立場にたって考える自分がその人と同じ立場にあれば、同じことをしたかもしれません。そう考えるとき、相手の言うことを正しくうけとめ、正しく対応できるようになるのです。

いつでもその人を理解しようとする心をもつ「この人はこうだ」ときめてかかるのではなく、何かその人の新しい面を発見したらそれをも受け止めていく心の余裕を残しておくことは大切です。それぞれの生まれ、背景、環境が違うように、考え方、感じ方も皆違うことを忘れずにおくことです。

自分の色メガネに気付く自分が色メガネをもっているという事実に気付くだけで、人を裁くことが少なくなります。幼い時からの育てられ方によって、知らずに身に付いている偏見という色メガネ。「どうせ分かってくれない」「どうせやってもだめだ」と思う色メガネ、弱い人のあらさがしをしてしまう色メガネ。・・・自分が様々な色メガネを持っていることに気付くことが大切です。

ありのままを受け入れる

私達の色メガネをはずし、人をあるがまま受け止めていくことが、私達の人間関係を築く上でとても大切です。しかし、それができないのです。なぜなら私達自身がそのように受け止められていないからです。私達はこの私を何の偏見もなく、そのままで受け止めて下さる力−神様−と出会う必要があるのです。

「背信の子らよ。帰れ。わたしがあなたがたの背信をいやそう。」(エレミヤ3:22)

立派になってからでもなく、良い人になってからでもなく、今のままの姿で神様のもとへ帰っておいで、と聖書は語りかけています。人を裁かないようにと努力してもできない自分に気付いた時、「私はこのような者です。」とキリストのもとに来て下さい。神様は「私が癒そう」と語っておられるのです。その時、私達は自分の目の中の梁(色メガネ)を取り、人をありのままに受け入れることができる者、更に、相手の重荷をにない、力づけることのできる者とされていくのです。

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