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受け入れる(受容)

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geralt / Pixabay

受け入れる

人と話をする時、「話しやすい相手」と「話しにくい相手」がいます。相手が自分の話を聞き、受け入れてくれると感じる時、私進は言わずにおこうと思っていたことまでも話してしまいます。逆に、自分が言ったことをあれこれ評価されたり、責められたりしたら、もう2度と話すまいと思います。私達は、自分の思っていることを何でも安心して話せるところが欲しいのです。けれども、そのためには、まず私達が相手を受け入れる者となることが、人間関係を良くする基本です。「受け入れる」ことは「受け入れられる」ことにつながって行くのです。

子供が話しかけてきた時、私達はすぐに良いとか悪いとか評価したり、又ああしろ、こうしろと指図してしまいがちです。そうすると、子供はもうそれ以上話せなくなってしまいます。それとは逆に、自分がそのまま受け入れられだと感じる時、子供はもっと話したくなって来ます。そして、話しているうちに自分の心が整理されてきて、子供自身がこうしなければと気付いていくのです。受け入れられることは、私達の「生きる力」となるのです。逆に、自分が受け入れられないと思ったら、そこで力を失い、何かを言ったりやったりする気力を失ってしまうのです。子供が親に反抗するとき、それは親そのものに反抗しているのではなく、自分が受け入れられでいないことの故に反抗しているのです。

どうしたら受入れられるか

「受け入れる」言葉を出すこのことも、日常生活の中で、そのように努め、訓練していくことで身についてきます。何も大げさなことでなく、相手の言うことに「そうね」と相づちを打つことがその第一歩なのです。

相手の立場に立って考える夫が「今日は暑かった」と言う時、「それで」とかえしたら、そこで会話は終わりです。「一日暑い中で働いて来たから、何か冷たいものが欲しい」という気持ちが、その短い言葉の裏にあるのかもしれません。相手の立場に立つとき、相手を思いやり、受け入れる言葉が出てくるのです。

相手の感情を理解する相手が、自分の感情を理解してくれるのがわかると嬉しいものです。子供が「靴が汚れた」と言ってきた時、あなたは何と答えるでしょうか。そんな時、例えば「叱られると思ったの?」と言ってあげると、子供はほっとし、受け入れられているという安心感を持つものです。相手の気持ちを想像して言ってあげると、たとえそれがあたっていなくても、子供の方から「そうじゃなくて、こうなんだよ」と話だし、より深いコミュニケーションが生まれます.その積重ねが、やがて色々な悩みを親に話せる子供となるのです。

ゆだねる

何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる折りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。しかし、いくら頭で考え、相手を受け入れようと思っても、自分自身の心が安定していなければ、決して出来ません。自分がイライラしている時、そんな自分をだめだと責めるのではなく、その思いを神様にぶつけてみて下さい。私達は、悩みを人に話すだけで.心が軽くなります.でも、人はいつもいるとは限りません。けれども、いつでも私達の悩みを聞いて下さる方がいるのです。それが神様です。自分の悩み、悲しみ、苦しみを全て神様に話して下さい。(神様に話すこと・・・すなわち祈りです。)神様に人の悪口なんか言えないと思わないで下さい。神様は、私達の感情を理解し、計し、受け入れて下さいます。その時、自分の気持ちが次第に落着き、整理されてくるのです。

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(Iペテロ5:7)

人間の考えることは小さいのです。あなたの問題を神様におまかせしましょう。その時心がスーッと落ち着いて来ることに気付かれるでしょう。まだ細かいことがわからなくてもいいのです。「神様がこのように約束して下さったのだから、委ねよう。」と決心する時、神の平安が私達の心を守って下さるのです。

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