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本当の友

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本当の友

「この3人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣り人になったと思いますか。」彼は言った。「その人にあわれみをかけてやっだ人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」(ルカ10:36〜37)

皆さんは友達と呼べる人は何人いるでしょうか。職場の友人、隣近所の友人−いろいろな友人がいても、そのほとんどが利害関係の中での付き合いです。しかし、その利害を除いた時にも友人と呼べる人、本当に心を通わすことができる友は何人いるでしょうか。もしも、あなたがすべてを失って、あなたとかかわることが益にならないとわかっていてもなお、あなたを喜んで家に迎えてくれる友が何人いるでしょうか。実際には、そのような友を持つのは簡単ではありません。なぜなら人は皆結局自分のことしか関心がないからです。けれども、そのような友がいるかどうかは、私達の人生に大きな意味を持つのです。ではどうしたらそのような友を持つことができるのでしょうか。

「よきサマリヤ人」のたとえ

「ある人が旅の途中で強盗に会い、半殺しの目に会いました。そこを通りかかった祭司とレビ人は、自分がかかわりあいになることを恐れてさけていきました。ところが、一人のサマリア人が通りかかりその人を見てかわいそうに思い、手当をした上で宿屋に連れて行き、必要な費用を払ってやりました。』このたとえ話の後、イエスは「だれがこの人の隣り人になったのですか」と問いかけられ、次に「あなたも行って同じようにしなさい」と言われました。この中には、私達が真の友達を作るための秘訣が隠されています。

その1 真の友をつくるためには、まず自分の方から、その人に対して利害関係ぬきに、素直な同情心、誠実な関心をよせる、ということです。人は自分に関心を持ってくれる人に心を開きます。その人の関心を自分に引き寄せようとするのではなく、まず自分が相手に関心を持っていくことが必要です。

その2 私達の心には、面倒なことには関わりたくないという気持ちがあります。特に利害関係がある時には、なおさらです。だから、益もなく損もないという浅い所での友人しかできないのです。もし、私達が本当の友を持ちたいなら、そこでもう一歩踏み込んでいくことが必要です。多くの人を浅く知るよりも、一人の人を深く知ることの方が幸いではないでしょうか。人生は出会いで決まる、と言われます。それは、私たちがどれだけ「かかわり」を大切にしてきたかによっているのです。

その3 私達か本当の友人となるためには、犠牲も伴うことを知るべきです。このサマリヤ人は、全く縁もゆかりもない人のために、必要な費用を払いました。必要ならば、その人の尻拭いまでもする覚悟で関係を築く時、深い心からの交わりができるのです。

真の友なるキリスト

本当の友だちは欲しいけれども、一方でそれはしんどいと思うことはないでしょうか。正直に自分をかえりみる時、何と自分勝手かと気付かされます。私たちの内には、真の友となるためのエネルギーも愛もないのです。ですから、私たちが、一歩踏み出して真の友を作っていくためには、まず私たちを真に愛してくれる本当の友なるキリストと出会い、そこから力を与えられる必要があるのです。

「人がその友のだめにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛ぱだれも持っていません。・・(中略)・・わたし(イエス・キリスト)はあなたがたを友とよびました。」(ヨハネ15:13〜15)

キリストは、あなたを友と呼んで下さいます。それだけでなく、あなたのために十字架で死んで下さいました。友とよばれる人はたくさんいるかもしれません。しかし、あなたのために命まで捨ててくれる友がいるでしょうか。キリストはあなたがどんな状態にあっても決してあなたを離れず見捨てません。この方にまさる友がいるでしょうか。このキリストを受け入れる時、私達に平安とカが与えられるのです。まず、この方に「あなたが私の友となって下さい。」と祈ってみて下さい。その時から、不思議に、心を通わす本当の友が増えはじめて来、やがてこの人生は更に意味深いものへとかえられていくのです。