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心の傷

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心の傷

私たちは知らず知らずのうちに、心に様々な傷を受けてきています。例えば、子供の時自分の父親から受けとめられた経験がない、いつも非難されるばかりで、これでいいんだという安心感を持ったことがない−その結果その人はいつでも自分が非難されているように感じてしまい、大人になっても、何かがあると過剰に反応してカーンと怒ってしまったり、あるいはひどく落ち込んでしまったりするようになります。しかも、どうして自分がそんな風になるのかも自分でもわからないのです。

しかし、実はそれは心の奥底にできた傷がそのままになっているためなのです。私達は、辛かったそのことを思い出したくないために心の底におし隠しているのですが、決して忘れてしまったわけではなく、そのことが無意識のうちに私達の生活に様々な問題をひきおこしているのです。では、私達はどんな時に傷を受けたのでしょうか。

心が傷を受けるとき

1.自分の期待・信頼を裏切られた時この人ならと思っていた人から裏切られた経験は深い傷となり、それ故後に同じような場面に出会った時に、相手を信頼することが出来なくなります。

2.親からの過剰な期待を受けて、背伸びさせられてきた時自分でも気づかないうちにそれが強い圧迫となり本来の自分が出せなくなります。いつも「〜しなければならない」という強迫観念があって、そうでなくては自分はダメだと思ってしまうのです。このような人は、自分の人生ではなく、親(あるいは人)に受け入れられるため、気に入られるための人生を生きるようになってしまいます。本来の自分を生きられないことは、心の大きな傷となるのでず。

3.長期間、非常に大きな不安や恐れの中にあった時長時間一人で放っておかれたり、はぐれてしまったという経験がある時、不安と恐れで心に傷ができます。なぜ私はいつもこんなに不安なのか、恐れるのかわからないという時、実はそれがこのような幼い時の体験に関係ある場合も多いのです。

4.自分が受入れられない(拒否される)体験例えば子供が外でいやなことがあって親のもとにやってきても、親の心に余裕がなくて「うるさいわね」と拒否してしまう時、子供の心は更に深く傷つきます。

5.自分が不要な人間であると言われてきた時自分は生まれて来ない方がよかったのだという確信を持つようになり、積極的に生きられなくなってしまいます。

6.ありのままの自分を、ダメだと言われ続けてきた時「これではダメだ」と言う思いにとらわれ、どこに行っても本当の自分を出せなくなります。

7.親におまえのせいで不幸になったと言われた時たとえ親が一時の感情で言ったことだとしても、その言葉は子供の心を深く傷つけ、自分が不幸を運んできた、不幸の原因だと思ってしまうのです。

傷のいやし

完全な親はどこにもいません。だからほとんどの子供は傷ついているのです。私連が本当に知るべきことは、自分も傷ついてきたのだということ、そして、その傷はいやされなければならないということです。

「まことに、彼(キリスト)は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。・・・(中略)・・・しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ53:4〜5)

自分で自分のしたことを許せない時、どうか覚えて下さい。その自分のかわりに罰を受けた方がいるということを。この方(キリスト)が私たちの傷を負い、いやして下さると聖書は語っているのです。どうかこのことを受け止めて、小さい時から自分が傷ついたと思うことを一つ一つ神様の前に出し、この傷をいやして下さいと祈ってみて下さい。その時、やがて心が解放されるという体験が始まっていくのです。

「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、・・・(中略)・・・あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8:31)

私たちは自分を不自由だなどとは思っていないかもしれません。しかし解放されてみて初めて、自分がいかにこ不自由であったか、こんな自由な楽な生き方があったのかを知るのです。

私たちに必要なのは、まず第一に自分の傷、弱基さに直面する勇気とそれを認める謙虚さです。そして次にそれをいやして下さいと祈ることです。どんなに過去のことがつらかったとしても、神様は私たちの深い心の傷を癒すことができるのです。聖書はあなたの傷のために十字架があったのだと語っています。たとえそのことがまだ十分に信じられないとしても、もしそれが本当ならいやして下さいと祈るとき、やがて、あなたは自由にされた新しい自分を発見していかれることでしょう。

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られたものです。」(IIコリント5:17)

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