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ゆううつ症
ある人が言いました。「私達の墓碑にもし本当の死因を書くとすれば、多くの場合『ゆううつ症の故に召された』と書かねばならない。」と。高血圧・胃潰瘍等々…様々な病気がありますが、そのもとをたどれば、ゆううつ症(いろいろ思い悩み続けること)によって病を引き起こしていることが多いのではないでしょうか。ある精神科医が、患者に、「もしあなたが、どうやったら他の人を喜ばすことができるかを毎日考えて過ごすならば、あなたのゆううつ症は2週間で全快します。」と語ったそうです。これはいったいどういう意味なのでしょうか。
ゆううつ症になる原因
「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。」(ピリピ2:3〜4)
聖書はこのように語っています。逆に言えば、私達はほおっておけば自己中心と虚栄によって歩んでいくことになる、ということです。私達は確かにその通り、自己中心だと思わないでしょうか。他の人のことを気遣っているように見えても、本音では、結局自分がよい思いをするためにそうしていることが多いと言えないでしょうか。
人は皆、自分に目を向けて欲しい、自分を気遣って欲しいと思っています。そして、それが満たされないとブツブツつぶやき始め、それがゆううつ症の原因となっていくのです。ところが残念なことに、私達は皆自己中心ですから、だれも本当に私のことを考えてくれる人などいません。その結果むなしくなり、生きる価値すら見えなくなってしまうのです。それでは、どうしたら良いのでしょうか。聖書は『自分のことだけでなく、他の人のことも顧みなさい。』と語っています。自分の思いを逆転させる必要があるのです。
ゆううつ症から解放されるために
ニューヨークに1人の女性がいました。結婚5年目にご主人を失い、どうにも癒されない悲しみの中にいたある年のクリスマス、ふとしたきっかけで、両親を亡くした幼い子供たちと出会いました。この子たちのために何かしたい、だれもいないこの子たちとクリスマスの喜びを分かちたいと、プレゼントを買い、一緒におしゃべりしているうちに、それまで自分の内にあったどうしようもないむなしさが、消えていったことに気づいたのです。
彼女はこう語っています。「幸福は、与えることによって受けることができる。人を助け愛を分け与えることは、自分の悩み・悲しみ・自己憐欄を克服させることにつながり、それによって、新しい人生に生まれかわることができる。しかもそれは、その場限りのものではなく、生涯を通して変わることのないものとなる。」「自分が幼い時は両親に暖かく包まれて育てられた、そのことに思いが至った時、今ある苦しみに目を向けるのではなく、与えられてきた恵みを神様に感謝することができるようになった。」と。彼女はやがて悲しみから立ち直って、自ら秘書養成学校を経営するまでになりました。
私達は皆自己中心ですから、得ることばかりを考えています。人から注目を得たい、なぐさめを得たい、励ましを得たい…。ああして欲しい、こうして欲しいと要求するばかり―それを得られれば幸せになれると考えます。しかし、聖書はそう言っていません。私達が他の人に目をむけて与え始める時にこそ、人生が変わり始めるのです。『くれない族』という言葉があります。
家庭の中にあっても、「夫がああしてくれない」「こうしてくれない」と不満がつのりますが、一歩立場をかえて夫の立場に立ってみれば、やはり妻に対して「こうしてくれない」と思うのではないでしょうか。だとすれば、全部とは言わないまでも、そのごく一部、何か一つでもしてあげれば相手は喜び、自分もこんなことで喜ばれるならもっとしてあげたい、と思うようになるでしょう。本来私達は、自分がやってもらいたいと考えるのです。これはごく普通のことです。しかし、もしそれを続けるなら、私達もまたゆううつ症の患者となっていくのです。そこから立ち上がりたいなら、『くれない族』を卒業し、自分が何をしてあげられるかを考える人になっていくことが必要です。
祈ること
しかし、良いとわかっていても長続きしません。三日坊主とはよく言ったものです。四日目になると決心したこともできなくなってしまいます。ここで必要なのは祈りです。
「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:6〜7)
「このことを続けさせて下さい。」と神様に素直に求めていって下さい。人は何か新しいことを始める時、それを無理なくできるようになるのに3週間、更にそれを習慣としてできるようになるには、あと3週間かかるといわれます。はじめはできるところから、1日1回この人は何をしたら喜ぶだろうと考えていって下さい。続けていくうちに、2回、3回と自然に増えていくことでしょう。その時、皆さんの生活の中の非能率的な時間(すなわち、思い煩い・ゆううつでいる時間)がぐんと減っていることに気付かれることでしょう。もしそれができないと思う時は、「神様、どうかそうさせて下さい。」とぜひ祈って下さい。その時、それができるようになるばかりでなく、皆さんの心が不思議に平安になることを体験されることでしょう。自分のことを思い煩うひまもないほどに、他の人のことを気づかい、多くの人に喜びを与えることのできる一人一人となっていけたら幸いです。