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大切にする
「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。」(マタイ5章9節)
様々な方とおつき合いするとき、相手を大切にするならば、相手も又そのように接してくれます。自分を大切にしてくれる人を邪険にする人はいません。ですから、人を大切にすることを学べば、私達の人間関係は幸いなものになるはずです。皆さんが一番大切にしているのは、どなたでしょうか。ご主人?それとも子供、あるいは親ですか。では、その方を本当に大切にしているでしょうか。「大切にしなきゃね」と思ってはいても、中々そのようにできないのが現実です。
なぜそうなってしまうのでしょうか。それは一言で言えば、私達も大切にされてこなかったからなのです。ある実験で、親ザルに育てられた子ザルと、縫いぐるみを親代わりにおかれて育てられた子ザルを比べました。1ケ月もたたないうちに違いがはっきり出てきました。後者はいつもおどおどし、毛のつやもよくありません。やがて大きくなって子ザルを生んだ時、そのサルはどうしてよいかわからず、ポイッと子ザルを捨ててしまったのです。自分が受けなかったことは人に与えることができません。私達もまた、自分が本当の意味で大切にされる体験をもった時に、人を真に大切に扱うことができるようになるのです。
自分の価値
あなたは、ご自分の価値をどのように値づもりされているでしょうか。案外多くの人が、自分にはあまり価値がないと思っており、その結果、自信を持って生きることができないでいます。自分に自信がないので、いつも人からほめられたい、よくやっていると言われたいと気になります。又、一見自信に満ちあふれているように振る舞う人が、本当は臆病の塊であることが少なくありません。本当の自信がないので憶病になり、それを悟られないようにと、強がって生きざるを得ないのです。もしも、こんな自分を本当に大切に思ってくれる人が、世界中にたった一人でもいるなら、それこそが大きな自信につながるのではないでしょうか。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。」(イザヤ43章4節)
天地を造られた神様は、あなたを『高価で尊い』言われます。あなたの身代わりにキリストを十字架にかけるほどに、あなたには価値がある。―あれができたら、これができたらというのではなく、ただあなたの存在そのものが高価で尊いのだと語っておられます。どうかこのことを知って下さい。もし、あなたがこのことを心に受け取るならば、他の人からのどんな中傷にも立っていくことのできる力―本当の自信が湧き出てくるのです。
自分の感情
もし、私達に本当の自信があれば、物事を客観的に見る余裕が出てきます。心に余裕がでて初めて、人の良いところを見て、心から褒めることができるようになります。それは、相手に自信を与えて、生かすことにつながり、それが本当の意味で相手を大切にするということになるのです。けれども、例えば子供に対して私達は、気をつけていなければ褒めるよりも叱ることの方が自然に多くなってしまいます。
特に身近な人に対しては、自分の基準や願いを相手にあてはめて、「もっとこうであってほしい…」「どうしてこの子はダメなんだろう」と否定的な感情を持ってしまうことが多いのです。それが自然に色々な言葉や態度となって現れてきます。たとえ口ではいくら優しい言葉を言ったとしても、本心でなければ見抜かれてしまいます。子供は、親が自分のことを思ってくれているのはわかっても、大切にしてはくれないと感じる、つまり、親の基準に従って、その通りにしていれば色々とやってくれるかもしれないけれど、本当の意味で人間として、自分の人格を大切にしてくれてはいない−まるでおもちゃのように扱うとすら感じてしまいます。親は可愛がっているつもりでも、子供はそうと感じないばかりか、時にはかえって傷ついてしまうこともあるのです。
自分が相手に対してどういう感情を持っているかを、点検してみることが大切です。自分にはこういうところがあると気付くなら、そうならないように心がけることもできます。それが結果として相手を大切に扱うことにつながるのです。
罪責感
「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(第1ヨハネ1章9節)
自分の感情は、中々思い通りにならないものです。しかし、あえて言うならそれを罪と名付けて、「私はこういう者です」「自分ではどうしようもないのです」と告白するなら、神様はその罪を赦し、すべての悪からきよめて下さる、と聖書は語っています。私達が相手に正しい態度がとれなくなる原因には、様々なものがあります。例えば難産であったことで無意識の内に子供を恨んでしまい、優しくできないということさえあるのです。又、自分に対して罪責感を持っている故に、正しく接することができない場合もあります。
例えば、子供に十分な時間をとってあげられなかったという悔いがある時、子供の欲しがるものを何でも与え、甘やかしてしまうことがあります。しかし、甘やかされるなら、結果的にその子自身が人生の中で苦しむことになります。本当に大切にするとは、その子に対して真摯な接し方をし、一つ一つこまめに正しく教えていくことです。又、逆に、自分に罪責感をもっている故に、相手の中に同じ弱さをみる時にカッとなって厳しく責めてしまうこともあります。
私達は自分の感情を点検し、自分の正直な姿を見ていく中で、それらの一つ一つを「神様ごめんなさい」と、祈るとよいのです。責められると思えば緊張します。しかし一言「ごめんなさい」と口に出せば、スーッと楽になっていくのです。どうか自分自身を大切にして下さい。神様はそのままのあなたを大切に扱って下さるのです。あなたがそれを自分のものとして体験される時、他の人をも本当の意味で大切にすることができるものとされていくのです。