自己中心
「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。」(ピリピ2:3〜4)
人間誰もが“自己中心性”を持っており、それが人間関係に難しい問題を引き起こしていることに、あなたは気付いておられるでしょうか。自らの自己中心の故に、互いにストレスを与えあっているというのが、私達の正直な姿です。いや、私にはそんなストレスはない、と言う人がいるとすれば、その人はもしかして、周りの人にしっかりストレスを与えているほうなのかもしれません。今日は、私達がどのようにストレスを与えているのかを、まず考えてみたいと思います。
仮に、あなたに10才位の子供がいたとします。その子が、「○○ちゃんが私をいじめるの。○○ちゃんなんか大嫌い。」と言って来たら、あるいは「どうしてボクばかりしなきゃいけないの。不公平だよ。」と言って来たとしたら、あなたは何と答えるでしょうか。こんな時の私達の対応は、だいたい次のパターンに当てはめることができます。
(1)命令と指示−「人のことはいいから、あなたは自分のことをちゃんとしなさい!」
(2)注意・忠告・説教−「あなたの方が、先に何か悪いことをしたんじゃないの?」「自分の方から、もっと積極的に入っていけばいいのよ!」
(3)批判−「あなたがいつもウジウジしてるからよ!」「あなたはいつも、そうやって逃げようとするんだから!」
(4)一般化−「誰だってそんな経験はあるのよ。みんな我慢してるんだから、あなたも我慢しなさい!」
(5)他の人との比較・興味本位の質問−「△△ちゃんはこうよ!」「その子ってお金持ちなの?かわいいの?」
(6)無視する
私達はついこんな対応をしてしまいがちです。でも、もし皆さんが10才位の子供で、そんな対応をされたとしたら、どうでしょうか。「あなたの方が悪いんじゃないの」などと言われたら、もうそれ以上悩みを打ち明けたいという気持ちにはならないでしょう。「自分の方から、積極的に入りなさい」と言われても、心の中で「そんなことできないよ」と叫ぶだけではないでしょうか。「あなたがいつもウジウジしてるから」などと言われたら、踏んだり蹴ったりです。…私達は、自分では平気でこんな対応をしているくせに、自分が同じことをされると、ショックを受けて傷ついてしまうのです。
ほかの人にも
「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。」(マタイ7:12)
「自分にしてもらいたいこと」とは、どんなことでしょうか。「気持ちを理解してほしい」「優しくしてほしい」「愛を持って受け入れてほしい」「責めないでほしい」−夫に、子供に、と具体的に考えていくならば、どんどんでてくるでしょう。ここまでは簡単です。でも、問題はこのあとです。聖書は、『自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。』と、語っています。ここが難しいのです。
たとえば、ご主人が夜疲れて帰って来ます。聞いて欲しいことが一杯あって待っていたのですが、それをおいてまず、「今日はどうだった?」「大変だった?」と、自分が言って欲しいことを、先にご主人に言ってあげられるでしょうか。…いや、やっぱり私の話の方をきいてもらいたい−実は、これが私達の本当の姿なのだということを知ることが、聖書理解の第1歩なのです。すなわち、聖書の言葉は、私達には守れない、行うには難しすぎる、ということなのです。それでは、私達は一体どうしたらよいのでしょうか。
求めなさい
「求めなさい。そうすれば与えられます。」(マタイ7:7)
この有名な聖句の本当の意味は、ただ何事かを一心に追求すれば得られるとか、誰かに一生懸命求めればいい、という意味ではありません。正しくは、この天地を創られた神様に求めなさい、という意味で語られているのです。良いことだと分かっていてもできないのが現実の私達―本気になって相手のために良いことをしようとすればするほど、ついには疲れ果て、自分がおかしくなってしまいます。その時、もう自分はダメだとあきらめ、もうどうでもいいとふてくされるか、あるいは、『私に求めなさい』と言ってくださる方(神様)に、「できるようにして下さい」と祈り求めていくか、2つの道があるのです。『求めなさい』の原語には、『求め続けなさい』の意味があります。1,2回求めて、すぐにあきらめてしまうのではなく、あくまでも求め続けていくなら、神様は必ず皆さんの求めに答えて、力を与えてくださることでしょう。
相手の立場に立つ
「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」(ローマ12:15)
私達は皆、自分の“ものさし”を持ち、それが絶対だと思っています。これが、自己中心ということです。このために、相手を正しく見ることができず、人間関係が難しくなってしまいます。そうならないためには、自分の“ものさし”を捨てて、相手が何を言おうとしているかを理解しようと努めていく姿勢が大切です。どんなに口先で良いことを言ったとしても、心の中で「自業自得だ」などと思っていたのでは、どうにもなりません。相手の立場にたって、その気持ちを理解していこうとする時はじめて、共に喜び、共に泣くという、豊かな人間関係を築いてゆくことができるのです。