キリストにある希望
私達の人生には、色々なことがあります。苦しみや、悲しみに出会うこともあるでしょう。しかし、その困難がただ苦しみ・悲しみだけで終わるのではなく、私達の人生に大きな益をもたらすものに変えられるのだと、聖書は約束しています。もし、その困難の中にキリストにある希望を見いだすことができるなら、暗闇の向こうに、なお光と道があるということに、あなたもきっと気付かれることでしょう。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(第IIコリント5:17)
苦しみを乗り越えていくことができる、そして、それがかえって益(良いこと)―私達の豊かな肥やし・人生の味わい―に変わる。もし皆さんが、自分の出会う困難のなかでなお、この希望を持ち、またそのように歩んで行くことができるなら、これこそが本当の人生の勝利といえるのではないでしょうか。今日のコンサートでソプラノを歌って下さった海野さんもまた、ご主人を二度も亡くすという大きな苦しみを通られた中で、キリストの愛によって支えられ、キリストにある希望を見いだしてこられました。苦しみを乗り越えられた今、コンサート活動を通して、ご自分を支えて下さったキリストの愛を、各地で伝えておられます。海野さんが歌って下さったなかに、水野源三さん作詞の歌が何曲かありました。次の詩は、その中の1つ「悲しみよ」です。
悲しみよ悲しみよ悲しみよ本当にありがとうお前が来なかったらつよくなかったなら私は今どうなったか悲しみよ悲しみよお前が私をこの世にはない大きな喜びがかわらない平安がある主イエス様のみもとにつれて来てくれたのだ水野源三さんはまた、次のような詩を書いておられます。
「苦しまなかったら」
もしも私が苦しまなかったら
神様の愛を知らなかった
もしもおおくの兄弟姉妹が苦しまなかったら
神様の愛は伝えられなかった
もしも主なるイエス様が苦しまなかったら
神様の愛はあらわれなかった
水野源三さんは、子供の時患った赤痢の後遺症のため、重度の脳性マヒになり、体を動かすことも口をきくこともできなくなってしまいました。しかし、寝たきりの床の中でイエス・キリストに出会い、このキリストの神に愛されている喜びを、お母さんの指す五十音表に瞬きで合図を送りながら、多くの詩に表しました。このような状況のなかで、喜ぶことができる…人は、キリストにあって本当に変わることができるのです。
苦しみから逃げずに
あなたも、あなたの人生が今どんな状態であっても、希望を見いだすことができ、そこから喜びをもって歩み出すことができるのです。まだ神様がよく分からない方でも、「もし神様がいるなら、私にも現れて下さい。教えて下さい。」と、祈ってみて下さい。私達が苦しみに出会う時、そこから逃げようとするだけなら、結局何も変わりません。
しかし、それは自分がもっと素晴らしく変えられるための試練の時と受けとめ、そこで神様は私に何を教えて下さろうとしているのかと考えることができるなら、私達が変えられていく大きな一歩となるのです。今までと同じ私でありながら、変わることができる、新しくなることができる。そのような力を持つ神様が本当におられ、あなたを変えようとしていて下さる、あなたを愛して導こうとしていて下さることを、ぜひ今覚えていただきたいのです。