新しい自分
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(IIコリント5:17)
自分の性格がイヤだ、できるものなら生まれ変わりたいと思っている方がおられるでしょうか。私自身もかつては、小さなことにクヨクヨする優柔不断な自分の性格がイヤで、もっと男らしいリーダーシップのある人間になりたいと思っていました。それなりに努力したり訓練したこともありました。でも、何かあるとすぐに戻ってしまう、その繰り返しでした。しかし、ある時キリストに出会ってから、そんな自分が根本的に変えられるという体験をしました。
自分が完全な人間になったという意味ではありません。しかし、以前は自分がイヤでならなかった私が、今自分を好きだと思えるように変えられたことは大きな感謝です。“だれでも”・・これには例外がありません。あなたがどんな背景を持ち、どういう苦しみを通り、どういう育ち方をし、今どんな環境にあったとしても、“キリストのうちにあるなら”・・すなわち、キリストのもとに来るなら、あなたは新しく造り変えられるのだ、と聖書は語ります。あなたが今どうだからといって希望を失うことはありません。神様の手にかかる時、私たちは本当に新しくされるのです。
神様は、私達を造られた方、天地の造り主であると聖書は語ります。造り主ならば、私達を造り変えることも可能です。ちょうど何かの機械を買った時を考えてみて下さい。もし私達が説明書も読まずに自分勝手に使うなら、すぐに壊してしまいます。更にそれを自分で何とかしようとするなら、かえって故障を複雑にしてしまうでしょう。私達も自分の性格を何とか直そうと、自分をいじめ抜いて、かえってもうどうにもならないとあきらめてしまう、そんな状態に陥ってはいないでしょうか?しかし、もし壊れた機械を、それを造ったメーカーに持って行くなら、新しい部品と取り替え正しく修理してくれるのではないでしょうか。
そのように、私達も、私達の造り主である神様のところに行く時、新しく造り変えて頂くことができるのです。では、神様に造り変えられた人は、みんな同じような個性のない人間になってしまうのでしょうか?以前の私は、クリスチャンになると自分が自分でなくなるのではないかと心配していました。でもそうではなかったのです。神様は、それぞれの素材を生かして下さる方です。ちょうど、真っ黒なススが特別の状況におかれて、神様の御手の中で、輝くダイヤモンドに変わるように、神様は私達一人一人の素材を生かして、それをすばらしいものに造り変えて下さるのです。
キリストのもとに
では、“キリストのうちにあるなら”とは、具体的にどういうことでしょうか。イエス・キリストは
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)
と語られました。ですから、あなたもキリストのところにいき、「私は自分のここがイヤでたまりません。私を変えて頂きたいのです。」と素直に申し上げて下さい。これが祈りです。
私はかつて父親を憎んでいました。決してそんな自分で良いと思っていたわけではありません。でも父の顔を見るとイヤだという感情がこみあげ、そういう態度になってしまうのです。ある時、「もし私を造り変えるという神様が本当におられるなら、このところに来て下さい。」と祈ってみました。その時確かに、私の内にあった氷のように冷たい心が溶かされていくのを感じました。それから私の内に変化が起こり始めたのです。このことを体験したのち、私は更に少しずつ、自分の生活の中のその他の大きなこと、小さなことをも、「神様どうぞここに来て下さい」と祈るようになりました。やがて、この方になら私の人生をすべてお任せしても大丈夫と思えた時、この方に生涯従って行こうという決断ができたのです。その時本当の意味で内側に大きな変化が訪れ、確かに造り変えられた新しい人生が始まったことを知りました。
もしあなたも造り変えられたいと思うなら、キリストのもとに行ってあなたの願いを素直に申し上げて下さい。私達の心を開くかどうかは、自分自身がそうしようと決めるほかありません。ほかの誰も、あなたの心を強制して開かせることはできないのです。でも、もしあなたが心を開いてキリストをそこにお迎えするなら、この方があなたの心に来て親しい交わりをもって下さるのだと、聖書は約束しています。これは、他の人の目から隠れたところでの、あなたと神様との個人的な関わりです。そしてこれからは、キリストがあなたを内側から造り変えて下さるのです。
「見よ。わたし(キリスト)は、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示3:20)
本当の自分
「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8:31〜32)
もしあなたがキリストを心にお迎えしたなら、次にして頂きたいことは、“(キリストの)ことばにとどまる”・・すなわち、聖書のことばを信じ受け止めるということです。多くの方が、クリスチャンになったら縛られて窮屈になると勘違いしておられます。でも実際は反対なのです。ふだん私達は案外、不安や恐れ、人の目など多くのことに縛られて、本当の自分らしさを出せないでいることの方が多いのです。しかし、聖書の言葉を真実に受け止めて行くとき、私達は自分を縛っているものから自由にされ、自分が本当に願っていることができるように、神様によって内側から造り変えられていくのです。