イエス・キリストの誕生
「しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。・・・やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。・・・ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。」(イザヤ9:1〜2、6)
なぜ毎年クリスマスには、「おめでとう!」とお祝いするのでしょうか。それは、イエス・キリストがお生まれになったことが、単に2000年前に起こった出来事というだけにとどまらず、今生きている私たちにとっても重大な意味を持つ事だからなのです。ご存じのように歴史は、紀元前B.C.(BeforeChrist=キリスト以前)と紀元後A.D.(AnnoDomini=主なるキリストの年)に分かれます。すなわちキリスト誕生の時を境に、歴史が闇の時代から光の時代に大きく変化した、というのです。人間にはどうにもならないと思われた暗闇に光がともり、その光を受けた人々の心に喜びと感謝があふれ、新しい命がわき出てくる・・・願わくは私たちにとってこのクリスマスが、そのような光を体験する時でありたいと心から願います。
心の闇
では、私たちがこの大きな光を見る幸いを味わうためには、何が必要でしょうか。実はまず第一に、私たちの中にもやみがあるという事を認める事から始める必要があるのです。もし私たちが言い訳や弁解をやめて、心に手を置き自分の生涯・歩みを見るならば、確かに自分の心にも闇があるという事に気付かされるのではないでしょうか。
あなたの心にはどうしても許せない人がいないでしょうか。押さえきれないいらだちがあなたの心を支配し、その結果言ってはならない事を言ってしまう事はないでしょうか。誰かに対する恨み・ねたみ・嫉妬心が、どんなにごまかし隠そうとしていても歴然とあなたの心を支配しているということはないでしょうか。
誰にも言えない痛み・悲しみ・・・そんな暗闇を私たちは心のどこかに持っているのです。そして、神様はそのような私たちの心の闇に光をともすために、また私たちをその闇から救い出し、永遠の輝きの中に生かすために来て下さった。・・・クリスマスは、その神様の御わざが具体的に現された時だったのです。
神の一人子がこの世にお生まれになる・・
「その名はインマヌエルと呼ばれる。(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)」(マタイ1:23)
すなわち、神様は私たちから縁遠い存在ではない、私たちのただ中に来て下さって、私たちを慰め、励まし、力づけて下さる方であると、聖書は教えています。しかし神様は、私たちを本当に大切にして下さいますから、私たちに無理矢理押し入り何かを強制するようなことはなさいません。ただそばに立って、心の戸をノックされるだけです。もし私たちがそのノックを聞いて心を開くなら、すなわち自分の心にも闇があることを正直に認めて「私にはあなたが必要です。私にもあなたの光を下さい。」と祈るなら、神様はあなたの心に来て下さり、闇の中に光をともして下さるのです。
クリスマスの意味
クリスマス・・・神の一人子イエス・キリストがこの地上に来て下さったとは、何を意味しているでしょうか。それは、神様はあなたと無関係ではない、あなたなどどうなってもいいとは思っておられない、それどころか神様があなたを愛しておられるからこそ来られたのだ、ということなのです。もしあなたに嫌いな人があったとしたら、その人のそばには行きたくはないでしょう。しかし愛する人のためなら、障害や困難があったとしてもそばに行って必要な助けをしたいと思われるのではありませんか。まさにそれ以上に神様はあなたを愛し、あなたに豊かな命を与えたいと願ってこの地に来られたのです。
キリストは地上での33年の生涯のあと、十字架の苦しみを受けて死なれました。それは、本来ならば私たちが受けなければならない罰、―私たちの罪や醜い汚れ、悪い思いに対する罰のすべてを、身代わりとなって受けて下さり、それによって私たちを赦すためであったというのです。しかもそれだけでなく、キリストは死んでから三日の後によみがえりました。このキリストの復活という出来事は、キリストが死に打ち勝たれたこと、そしてすべての罪を打ち破り、もはや罪に支配されることがない真の勝利を私たちに備えて下さったことを意味するのだと、聖書は語っています。
真っ暗な夜、この暗闇を吹き飛ばすにはどうしたらよいでしょうか。どんなに強力な風を送っても、暗闇を吹き消す事は出来ません。しかし、そこにたった一本のロウソクの光を持ってくるなら、その瞬間に闇は消え始め、更にその火が一つ一つ増すごとに、暗闇は消え去って行くのです。
では、あなたの心の中の闇はどうでしょうか。不安でしょうがない心、イライラが治まらない心、憎しみ、恨み、嫉妬―自分で何とかしよう、忘れようとして他の事に熱中してみても、結局どれもこれも役に立たない事を知るばかりではないでしょうか。しかし、世の光として来られたこのキリストをあなたの救い主としてお迎えするならば、あなたの心に今まで知らなかった光がともり、闇が消え始めるのです。クリスチャンとは、このキリストを心に迎えた者、―救い主として信じ、生涯をこの方と共に歩んで行こうと決断した人のことです。
2000年前に起こったキリストの誕生、しかしそれは今を生きるあなたと無関係なことでは決してありません。このクリスマス、あなたもこのキリストを心に迎え、豊かな命にあふれる光を体験なさいますように。