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ゆるぎない平安

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幸せの基盤

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。・・主(神様)の御告げ。・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ29:11)

毎年お正月になると、分厚い新聞が届きます。その紙面を飾る表現がだんだんと変わって来ていることに気付いておられるでしょうか?今から20年程前は、“輝かしい未来が待っている”“社会は進歩している”といったタイトルが躍っていました。ところが10年位前からは、公害など様々な問題が広がり“日本も考えるべき時が来た”、と少しずつ変化して来ました。更に最近になると、もう未来にはあまり希望がもてないと思えるような紙面がたくさん見受けられます。

確かに今は、潰れるはずがないと思っていた大会社さえもが潰れる時代です。当てにしている年金はどうなるのか?子供達が大きくなった時、日本は、世界はどうなっているのか?こんな不確実で不安定な時代の中で、私達が心穏やかに平安に過ごすにはどうしたらいいのでしょうか。聖書は語ります、『神様が私達のために用意されている計画は、私達に平安と将来と希望を与えるためのものだ。』と。そんなこと言っても単なる気休めだ、と思われる方もあるかもしれません。でも、これはあなたがどこに幸せの基盤を置いておられるか、と言うことに深く関わっているのです。

例えば、お金が十分あれば幸せだ、という方もいます。確かにそれは一面の真理です。しかし同時に、お金がある故に不幸になる人も多いのです。あるおばあちゃんが私にしみじみと言われました。「金さえなければ、この家も幸せだったのに」と。土地がどんどん値上がりし、土地を少し売ればすぐに大金が転がり込む時代でした。まじめに働く意欲がなくなり、それが家庭に悲劇を生んでいったのです。あるいは、物が豊かになれば幸せでしょうか?確かに何もないという辛さを経験した人にとっては、物が豊かにあるのは感謝なことです。しかし、生まれた時から何でもあるという状態の人にとっては、“あって当たり前”“もっともっと欲しい”、それだけのことなのです。

人が自分を良く評価してくれることに生き甲斐を持つなら、いつかそれが出来なくなった時には惨めさだけが残ります。あなたの幸せは、何に拠っているでしょうか?私達の人生は、私達が何に幸せの基盤を置いているか、何を頼りに生きているかによって決まります。では、どんな状況にあっても、私達がゆるぎない平安を持ってしっかりと生きていくことはできるのでしょうか。そのためには、どうしたら良いのでしょうか。

状況に左右されない力

ある、らい病の患者さんが語られたことです。「多くの誤解と偏見のために言葉にならない苦しみを経験し、何度も自殺したいと思ったが、家族への迷惑を思うと実行出来なかった。当時は良い薬がなく、ついに失明までしてしまった時には、ますます死にたいと願った。ところが、次に結核を患い死が現実に自分に迫って来た時になって初めて、自分が死んだらどこへ行くのか分からない、自分には本当には死への解決がないことに気付いた。しかし、聖書の言葉「わたし(キリスト)は、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。(ヨハネ11:23)」に出会い、この神様を信じた時から、本当に生きていく力を持つことが出来るようになった。」

先日は、キリストの復活を祝うイースター(復活祭)でした。自分ではどうにもならない罪と死への解決、これこそキリストの十字架上での死と、死からの復活(よみがえり)が私達に与えてくれるものであり、それによって私達は絶望的な状況の中にあっても、力強く生きていく力、ゆるぎない平安を得ることが出来るのだと、聖書は語っています。一体それはどういうことなのでしょうか。

神と共に

「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」(イザヤ41:10)

神様はこの天地万物を造られた方であり、それ故に私達のことを何でもご存知であり、又何でも出来る方である、と聖書は語っています。その神様が、いつも私達と共にいて助けて下さると聖書は言うのです。本来ならば、これほど心強いことはないはずです。しかし、私達の心は素直にそれを喜べません。なぜなら、神様に何もかも見通されては都合の悪いものが自分の内にあることに、本当は誰もが気付いているからなのです。相手が人間であってさえ、自分の心にやましいことがあるならまともに顔を合わせられません。ましてや聖なる正しい神様に対してはなおさらのことです。

しかし、キリストが私達のすべての罪のために身代わりとなって十字架の上で罰を受け、私達の罪を赦して下さった。そして、それを保証するために死から甦った(復活した)と、聖書は語ります。もしあなたが「わたしはこのような者です。許して下さい。」と祈るなら、どんな罪であっても、たとえ口が裂けても誰にも言えないと思う罪であってさえも赦され、この神様があなたの神となって下さるのです。あなたがどんなに弱く汚れていたとしても、このキリストの故に、あなたはありのままの姿で神様のもとへ行き、助けて頂くことができるのです。

・・・お金があなたに平安を与えてくれるでしょうか?いえ、これだけあれば十分とためていたお金が、一夜にして紙屑同然になるという時代を日本も実際に体験して来たのです。では、人間はどうでしょう?夫は?子供は?だれもがいつ病気や事故に巻き込まれるか分からないのがこの世界の現実なのです。

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(Iペテロ5:8)

神様は、あなたが心配するよりもはるかに良い解決をなさることが出来る方です。この方に信頼し、すべてをおゆだねする時、どんな中にあっても揺るがない平安が、あなたの内に広がることをきっと体験なさることでしょう。

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