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主婦の憂鬱

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yunjeong / Pixabay

「どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。」(ローマ15:13)

主婦の憂鬱

私たちが生きていく上で必要な、大切なものの一つが「希望(望み)」です。しかし、日々の生活の中で、私たちは生きる希望を失ってしまい、鬱々と過ごしてしまうことがあるのではないでしょうか。

最近、新聞に『専業主婦の憂鬱』という記事が載っていました。表面的には何不自由なく何の問題もないように見えていても、自分の心の中は満たされない。自分は何のために生きるのかという意義を見いだせず、自分の人生がむなしく思われる・・・。会社などでそれなりに認められれば意義を見いだせるかもしれないけれど、家庭の中にいると誰から感謝されるわけでもなく、一生懸命何かをやっても当たり前と思われるだけ・・・。一体自分の人生は何なのか、と思ってしまう方も多いのではないでしょうか。

工事現場で働いていた人に、「あなたは何のために働いているんですか?」と聞いてみました。一人は「家族を養うために決まってるじゃないか。」と答えました。もう一人は、「ほかに行く所がないからここにきているんだ。」と答えました。3人目の人は、「将来ここにはこういう建物ができて、こうなっていくんですよ。」と答えました。この中で一番生き生きと働いていたのは、言うまでもなく3番目の人です。同じ仕事をしていても、自分が何のためにそこにいるのか意義と目的をはっきり自覚しているかどうかによって、その人の生き方は変わります。同じことが私達の毎日の生活にもいえます。ある人は使命を持ち目的を持って生き生きと歩み、ある人は自分が何のためにいるのかわからずむなしく歩む。特に主婦の働きは、人から具体的に評価されることが少ないだけに、その意味を見失いやすい側面があるのです。

生きがい

では、私達が生きていて良かったなと、自分で本当の生きがいを感じるのはどんな時でしょうか。自分のしたいと思うことをやりたい放題にやった時でしょうか。確かにある瞬間はそれを味わうかもしれません。しかし、すぐにその感激は薄れ次は何をしようかとかえって恐れや不安がやって来るのです。なぜなら、それはあなたの本当の願いと言うよりは、周りの人の言葉や意見に振り回され、人に遅れをとらないようにと思ってしたことだからです。私達は、あれもしたいこれもしたいと願っているようでありながら、実は本当に自分が願っているのは何なのか案外わかっていません。自分が願ったはずの物が実際に手に入った時に、こんなはずではなかったと、かえってむなしさを覚えることになるのはそのためなのです。

例えば、「結婚して家庭を守るのが女の幸せだ。」と言われてきたのでそうしたというのなら、ある時本当にこれでいいのかと不安になるでしょう。あるいは、「女も仕事を持って社会の中で責任を果たすべきだ。」と言われ、どちらかと言えばその風潮に乗せられてやってきたとすれば、ある時ふと立ち止まって本当にこれで良かったのかと悩むことでしょう。また、「仕事も家庭も両立すべきよ。」と言われ、がむしゃらにやってきて疲れはてた時、一体私は何をしてきたのだろうと思うでしょう。たとえあなたが仕事を持っていようと、専業主婦であろうと、結局は同じことです。もしあなた自身の本当の目標が見いだせず、自分は何のために生きているのかわからないならば、何をしてもむなしく、本当に満足することはできないのです。

では、どうしたら人に振り回されるのではなく、また背伸びするのでもなく、自分は自分らしく、これで本当に良かったといえる生き方をすることができるのでしょうか。

神様の計画

まず第一に知っていただきたいのは、私達はそれぞれ世界にただ一人しかいないユニークな存在として、神様によって造られこの世に生み出されてきたと言う事実です。しかも、神様は人を他の動物とは違う特別な存在として『神のかたちに創造された』、と聖書に記されています。私達が生きがいを求めて悩むのは、まさにそのためなのです。犬や猿はどんなに賢くてもそんなことで悩んだりはしません。

私達を神に似せて価値あるものとして造り、生かしていてくださる神様は、一人一人のうちに良き物を備え、あなたでなければならない使命を与えていてくださるのです。私達が、その使命に生きるとき初めて、私達は喜びと希望を持って生きることが出来るのです。それなのに、私達は人と比べて、自分にはあれが出来ない・・これが出来ないと自己恋憫に陥るため、他の人が何かすばらしいことをする時、自分も同じように出来ないと不安になるのです。人と比べたり背伸びしたりして生きるのではなく、自分のありのままで、それぞれの内に与えられている素晴らしいものに気付き、それを生かしていくことが出来るなら本当に幸いです。

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ。―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ29:11)

私達を造って下さった神様は、私達一人一人に対して計画を持っておられる、それは本当の意味での平安と希望を与える計画なのだと聖書は語っています。私達は、自分が本当はいったい何を願っているのかさえわからなくなってしまいます。でも、私達に対する最善の道が神様の中に用意されているのだとしたら、私達は神様の許に行き、その計画・使命を教えて下さいと祈ることが必要ではないでしょうか。人は神様によって造られた故に、この神様の許に立ち返って来るまでは本当の意味で満足することがなく、心のむなしさが満たされることはないのです。

私達が神様を信じ、神様に仕えるような姿勢で、それぞれがおかれた場、日々の生活の中で自分が出来ることをして仕えていく時、たとえそのこと自体は小さなつまらないことのように思えたとしても、やがて後の日の素晴らしい使命が明らかにされ、あなたの内に与えられている良き物が発揮されるようになっていくでしょう。それは人にも神にも役に立つものであり、そればかりか、いつの日かあなた自身にも大きな喜びとなってかえって来るのです。

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