聞き上手
人間とは“人の間”と書きます。私達がこの世にあってしっかりと生きるとは、まさにこの“人の間”でどのように歩んでいったら良いのかを知っていくことだとも言えるのではないでしょうか。小さい頃は、誰とでもすぐに友達になり、皆の人気者になれる人がうらやましいと思っていました。しかし、大人になってみると、そういう人が必ずしもずっと同じような立場にあるとは限らないということもわかって来ました。時には「あいつは出しゃばりだ。」などど言われてしまうことさえあるのです。
私達が、いつでも、またどんな立場にあったとしても、良い人間関係を生み出していくためには、何が必要なのでしょうか。実は、その答えはとても単純なことなのです。それは、色々な方に良い意味での関心を持ち続けるということなのです。ある所に“あの人は話し上手で、人間関係の達人だ。”と言われている人がありました。しかし実際には、彼は話が上手な訳でも何でもなく、ただ相手の話に心から関心を持って一生懸命聞いていたにすぎないのです。興味を持って聞きますから、時に質問もはさみます。彼が一生懸命聞いてくれますから、相手もこんなうれしいことはなく、気持ちよくしゃべることが出来るのです。
「求めなさい。そうすれば与えられます。・・・(中略)・・・あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。」(マタイ7:7〜12)
私達は誰でも自分の話を聞いて欲しいと願っていますが、残念ながらそれに心から関心を寄せて聞いてくれる人は、とても少ないのが現実です。聖書は
『何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。』
と語っています。これはイエス・キリストが聖書全体の教えを一言でまとめた、聖書の“黄金律”ともいわれている言葉であり、私達の人生が良きものとなるための秘訣です。ですから、もし私達がまず相手の話に心から関心を持ち聞くことが出来るなら、良い人間関係の基盤を得ることが出来ますし、それだけに留まらず、多くの人の人生から自分の人生の何倍ものことを学び取ることができるのです。
相手を理解する心
さて、私達が相手の話を聞くときにもう一つ大切なのは、相手が何を言おうとしているかを正しく理解しようとする心です。誰かと話しているうちに、相手が自分の意図していることとは全く違う風に解釈しており、それを前提として話がどんどん進んで、困惑してしまったという経験はないでしょうか。そうなると、もうこの人には何も話せなくなってしまいます。あるいは、自分が一生懸命話してる途中で、相手が話を持っていってしまい、結局自分の言いたかったことは言わずじまいになってしまったという経験はないでしょうか。
私達は自分の持っている考えや経験に基づいて、相手の言葉を受け取り、それを評価したり裁いたりしがちです。しかし、人の背景は様々に違います。言っている内容も、考えていることも、自分とは全く違う可能性が多いのです。だからこそ、わかった振りをしたり、こうだと思いこんだりする代わりに、「それはどういう意味ですか?」と確かめながら、相手の言いたいことを正しく理解しようとする姿勢が大切となります。
私達は皆、自分のことをわかって欲しい、聞いて欲しいと願っています。そして、聖書は『何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。』と語っているのです。しかし、ここで問題となるのが、私達はなかなかそんな気になれない、「相手を理解するよりは自分を理解して欲しい」・・・これが私達の正直な思いだ、ということなのです。それでは、いったいどうしたら良いのでしょうか。そのヒントは、上記の言葉のすぐ前に続く聖書の言葉の中にあります。
求めなさい。そうすれば与えられます。(マタイ七章七節)
『求めよ。さらば与えられん。』とは、聖書を読んだことのない方でも、一度は聞いたことのある言葉ではないでしょうか。不完全な人間の親でさえ自分の子供に良い物を与えることを願っているとすれば、なおのこと、この天地万物を造り、私達を愛しておられる天の父なる神様が、求める者に良い物を下さらないわけがないでしょう、と語っているのです。
教会にある十字架は、神様が本当に私達を愛しておられることの象徴です。私達の罪を赦すためにキリストが十字架にかかって死んで下さった。命までも犠牲にするほどに私達を愛して下さった方が、私達が良いことをしたいと求める時に、その力を下さらないはずがない・・、だから、『神様に求めなさい』というのです。聖書は、私達に決して無理なことを要求しません。良いことをしたいと思っていても、実際にはそれが出来ないで疲れ弱ってしまう私達です。そんな私達を神様は恋れんでくださり、だからこそ、私の所に来なさい、私に求めなさいと言っておられるのです。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)
私達に必要なのは、「もうできない。」「疲れてしまった。」と思った時、そのままあきらめてしまうのでなく、もう一歩進んで、そういう自分の弱さをありのままにイエス・キリストのもとへ持って行くことです。「神様、私にはできません。助けて下さい。」と正直に祈るとき、すこしずつ心が穏やかにされ、やがて自分の内側に「してあげたい」という思いがおこってくることでしょう。そしてさらにもう一歩「その力を与えて下さい。」と祈っていくなら、いつか出来なかったはずのことが出来るようになっている自分に気付くのです。
あなたは、良い人間関係を持ちたいと願っておられるでしょうか。それならば、神様から力を頂いて、まず自分が相手に心から関心を持ち、その人を理解しようとする心で聞くところから始めてみようではありませんか。