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イースター(復活祭)

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onefox / Pixabay

十字架と復活

教会では、四月にイースター(復活祭)を祝います。イースターはクリスマスほどには知られていませんが、キリスト教会にとっては、クリスマスに勝るとも劣らない大きな喜びの日でもあるのです。厳しい冬のさなかにすでに春の花芽が用意されているように、絶望と思われる出来事の中から、大きな希望の光が現された喜びを祝う、それがイースターなのです。

今から約二千年前、イエス・キリストが十字架につけられるという悲しい出来事が起こりました。人々は、この方こそ自分たちを救ってくれる救い主、王となる方と期待していました。ところが、イエスをこころよく思わないユダヤ人指導者たちによって捕らえられ、その夜のうちに裁判にかけられ死刑の判決を受けたのです。裁判官であったピラトはイエスに何の罪も見いだせず、何とか釈放しようとしましたが、「十字架につけろ!」と叫ぶ群衆の声を恐れて、無罪と知りながらついに十字架刑を宣告したのでした。

それは、釘で十字架に打ちつけられた手足に全体重がかかり、苦しみながら次第に衰弱し死んでいくという非常にむごい刑であった故に、当時でさえよほどの極悪人でなければ十字架刑にかけられることはなかったというほどの刑罰でした。キリストが十字架にかけられている間、突然太陽が真っ暗になり、神殿の幕が真っ二つに裂けた、と記されています。

キリストの体は十字架からとり下ろされて墓に葬られ、墓の入り口には大きな石が立てかけられました。ところが、3日目の朝女たちが墓に行ってみると、すでに石は動かされて墓は空っぽになっていたこと、悲しみ嘆く彼女たちの前に天使が現れ「キリストはよみがえった」と告げたこと、さらに多くの人々の前に復活したキリストが現れたこと、などが聖書に記されています。

死者が復活するとは、一番信じ難いことです。しかし、キリストが殺されて恐れ隠れていた弟子たちが、わずか数十日のうちに全く変えられ、「キリストはよみがえった!」と殉教をも恐れず大胆に人々に語るようになったこと、さらにそれが今に至るまで全世界に述べ伝えられ、多くの人がこのキリストを信じ、自らの生活の中にその力を体験しているということは事実です。それどころか、もし復活がなかったとしたら、現在キリスト教は存在し得ないのです。イースターとは、決して起こり得ない最も大きな絶望が打ち破られた喜びの時、そして、その力は今もキリストを信じる者のうちに働いて、私達が日毎に直面する問題や困難を乗り越えさせて下さることを、この朝ぜひ知って頂きたいのです。

復活の力

「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなた(神)のおきてを学びました。」(詩篇119:71)

私達は、日々の生活の中で様々な苦しみや葛藤を経験します。そんな時、どうしてこんなことが自分に起こるのかと自暴自棄になったり、あるいはただその苦しみを堪え忍び、嵐が過ぎ去るのを待つだけだとしたら、そこには何の希望もなく、ただ暗闇の中に埋もれてしまうばかりです。しかし、もし私達がそのような状況の中に希望を見いだし、正しく対処するすべを学ぶなら、その苦しみを通して様々な教訓、大切な真理を学び、それが私達に本当の幸せをもたらす、と聖書は語っています。

ある女性が、請われて結婚しました。ご主人は優しく、何でも受け入れてくれました。彼女の方はそんなご主人についつい甘えてだんだんワガママになり、ご主人にひどいことを言ったり、何でもしてくれて当然というようになってしまいました。そんなある日、このご主人を受け止めてくれる女性が現れました。今までずっと奥さんを愛し忍耐してきたご主人も、ついこの女性に心が惹かれ、いつしか入り浸るようになってしまったのです。それを知った奥さんは半狂乱になってご主人を責め、また相手の女性を殺さんばかりの状態になりました。絶対許せない!・・事態はこじれていくばかりです。そんな絶望的な状況の中で、ある時聖書の言葉がこの女性の目に留まりました。

「あなたの行く所どこにおいても、主(神)を認めよ。そうすれば、主(神)はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:16)

死者をよみがえらせる方、不可能を可能にすることができる方、この神をあなたの人生の中で認めるなら、神ご自身があなたの道をまっすぐにして下さるというのです。

彼女の心に希望の灯がともり、この聖書の言葉を受け入れました。するとやがて彼女の内で、今まで自分がどんなことをしてきたかに思いが至るようになりました。自分は夫の優しさを当たり前と思い、自分が愛されることばかり願って、愛することについては何も考えなかった・・・。その時から、多くの葛藤の中で、彼女は「そのままの夫を愛せるように」という祈りに導かれていったのです。こうして奥さんが変えられていった時、ご主人もまた奥さんの元に帰ってきました。二人は今2度目のハネムーンをしているようだと話しておられます。

裏切り合った夫婦、いわば結婚の死というべき状況の中に神の命が入り込んで来たとき、新しい愛が生まれてきたのです。たとえ表面はどのように変えることができたとしても、自分の心を変えることがどんなに難しいか、もしあなたが本気で試してみたことがあるならきっとおわかりのことでしょう。嫌な人を嫌と思わない心になること、許せない人を本心から許すことは、私達の力ではできません。しかし、二千年前に起きた復活の力は、今も私達の心にこのような奇跡を起こすことができるのです。

ではなぜ私達は普段そのような神様の力を頂くことができないのでしょうか。それは、私達の内にこの神の力を阻むところの罪が有るからだ、と聖書は語っています。しかし、私達のいっさいの罪をきよめ赦すために、キリストが身代わりとなって十字架にかかり解決してくださった、この事を本当に受け取るならば、あなたの内にも神の力が豊かにやどると聖書は約束しているのです。

「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。」(ローマ10:9)

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