神様からのプレゼント
「わたし(イエス・キリスト)は、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光をもつのです。」(ヨハネ8:12)
クリスマスというと、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?サンタクロース、ケーキ、クリスマスツリー、・・・。あるいは、プレゼントと答える方もいらっしゃることでしょう。私達はクリスマスにはプレゼントを贈ったり貰ったりしますが、ではなぜそのような習慣が出来たのでしょうか? その起源は恐らく、クリスマスこそがこの天地を造られた神様が私たちに下さった最大・最上の贈り物(プレゼント)であった、そのことに由来するのではないかと思います。そこで今日は、神様からのプレゼントとしてのクリスマスの意味について、しばらくご一緒に考えてみたいと思います。
さて、私たちが生きるために必要なものが色々ありますが、聖書は、信仰と希望と愛・・それが一番大切だと語っています。確かに私たちは、たとえどんなに多くのものがあったとしても、また衣食住がいかに豊かに備わっていたとしても、愛がなければ生きていくことが難しいのではないでしょうか。
昔ある国の王様が実験のために生まれたばかりの赤ちゃんを集めて育てさせたといいます。“人は誰からも何も教えられない時、一体何語を話すようになるのか”を調べたいと思ったのです。それで養育係に命じたのは、赤ちゃん達に必要な食べ物・着る物は十分に与えるように、ただし決して話しかけてはならないということでした。結果はどうなったでしょうか。実は、その結論が出る前にほとんどの赤ちゃんが死んでしまったというのです。
機械的に物が与えられたとしても、愛が伝えられない環境の中で赤ちゃんは育つことが出来なかった・・・これは人が生きる上で愛がどんなに大切かを示す一例ではないでしょうか。また、愛と同様に希望も私たちが生きていくためになくてはならないものです。何かを成し遂げたいという希望、必ず出来るという希望、それがある時人は何度失敗しても、またどんなに困難な状況にあっても、そこからまた立ち上がって前に進むことができるのです。しかし、もうダメだと希望を失いあきらめてしまうなら、人はわずか30センチの深さしかない水の中でさえも溺れ死ぬことがあるのです。
クリスマス、それは私たちが生きていくのにどうしても必要な愛、希望、そして信仰(神)が与えられた時。神様は私たちへのプレゼントとして、一人子イエス・キリストをこの地上に下し、このキリストによって、私たちの希望を打ち砕くすべての根源を打ち破り、すべての人が希望を持って生きられるようにして下さったのだ、と聖書は語っているのです。
闇の中の光
『わたしは、世の光です。』とキリストは語られました。闇の中の光、それは私達に暖かさ、希望、そして力(エネルギー)を与えます。では、私達の闇、すなわち私達の失望・落胆、苦しみ・悩み、その本当の原因はどこにあるのでしょうか?それは私達の罪から来るのだ、と聖書は語ります。人を恨む心、妬む心、憎む心、これらがもし完全に消えたなら、私達の心はどんなに平安になるでしょうか?『喜ぶ者とともに喜び、泣く者とともに泣く』ことが出来るなら、そこにうるわしい人間関係が実現するのです。
しかし現実には、私達の中にある恨み・妬み・憎しみ、これらの罪が私達の人間関係を破壊し、私達を惨めにしてしまいます。しかも、私達はそれを自分ではどうすることもできないでいるのです。このような私達のために、今から約2000年前キリストが来て下さった、それは私達のすべての罪を負って身代わりに十字架で死んで下さり、罪の問題に完全な解決を与えるためだった・・・それこそが神様からの私達への、最高のプレゼントだというのです。
もう一つ私達がどうしても打ち勝つことの出来ないのもが、死の問題ではないでしょうか。ある青年が、友達を突然の事故で亡くしました。その時から彼は、死とは何か、死んだら人はどうなるのかと探し求めました。しかし誰に聞いても、きちんと答えられる人はいません。結局大人でさえ誰も死の意味など分からないのなら、自分は今好きなことをしてただ楽しく暮らせばいいと、彼は次第に快楽にふけっていくようになり、ついにはシンナーや麻薬にまで手を出すようになったのです。
そんな彼が仲間から盗みへの誘いを受けた時、体がワナワナと震え始め、自分を心配している母親の顔が瞼に浮かんで、どうしてもその誘いに乗ることができなかったといいます。しかし、親に謝ってはみたものの、自分で立ち直る自信もない、・・・・そんな彼を心配した親の勧めで、彼はある日教会に行ってみました。そこで彼が聞いたのは、「神様はあなたを愛し、あなたの罪のために十字架で死んでくださったのですよ。」という言葉でした。それまで人からは「あんな人とは付き合うんじゃないよ。」「あんな風にはなるんじゃないよ。」という言葉しかかけられなかった者に、神様は
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)
といって下さる。もしそうだとしたら、自分はこの神様に何としても報いたい、この方に生涯をかけて従って生きたいと願い、彼は祈りました。「神様、私はあなたを知りませんでした。そのためひどい罪をたくさん犯して来ました。でも、こんな私を愛し、こんな私のためにイエス様が死んで下さったことを知りました。今私はイエス様を救い主として信じます。」そう祈った時から、彼の生涯が変わってしまったといいます。自分がしてきたことのひどさ・醜さが以前に増してはっきり分かってきたと同時に、神様によって自分のその汚れがどんどん洗われ浄められていく姿が分かったのです。また、罪をそのままにするなら地獄の裁きにあわなければなりませんが、キリストによって罪赦され永遠のいのちを頂くことが出来る、天国に行くことが出来る・・・求めていた死への答えも与えられて、彼は自信を持って歩むことが出来るようになったのです。
神様は、どんな人の生涯にも救いと光、希望をもたらすために、クリスマスの日この地上に来て下さいました。あなたは今まで自分はイエス・キリストと無関係だと思っていたかもしれません。でも、キリストはあなたを愛し、あなたのためにご自分の身を献げ、あなたの罪はもう十字架で解決したと語って下さるのです。キリストはあなたの心の扉を叩いておられます。あなたが心を開いてこの方を救い主、人生の主としてお迎えするなら、あなたにも本当の希望の光と祝福に満ちた人生がはじまるのです。このクリスマス、あなたも神様からのこのプレゼントをぜひ受け取って頂きたいのです。