不安
「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。」(詩篇55:22)
私達は今、恐れや不安がいっぱいの世の中に生きているといえます。最近も乳製品による食中毒が起こりました。暑くなれば、O157の問題も気がかりです。しかし、いつもその事ばかりを恐れているなら、食事を作ることもおっくうになってしまいます。また、もうすぐ夏休みです。「山に行こうか。」「でも、もし遭難したら、莫大な捜索費用を負担しなければならないから、やはり止めておこう。」「じゃあ、海は?」「海もいいけど、もし溺れたら・・・」これでは、結局どこにも行けません。
その他にも、健康のこと、老後のこと、子供の将来、自分の親のこと、・・・・考えてみれば、私達は不安の種をたくさん持っています。でも、もし私達がその事に四六時中頭を使っているとしたら、おかしくなってしまいます。私達の神経には限界があるのです。もし自分の頭の中に絶えず一つのことが巡っていることに気付いたら、それは危険状態であるということをぜひ知ってください。その時は、無理にでも気分転換をすべきです。外に出て散歩をしたり、何か自分の好きなことをしてみたり、・・そのうちにまた気持ちが回復してきて、その困難や苦しみに正しく立ち向かうことが出来るでしょう。そうでないと私達は冷静さを失い、後で考えると“何故あんなことを?”と思うようなところにまで悪い方へ考えが進んでしまいます。そうなると、何をしていても上の空、どこに行ってもそこでまた悩む、まさに発狂したくなるような状態にまで陥ってしまいます。そうなってしまわないためにも、まず初めに、なぜ私達は不安になったり、臆病になったり、恐れたりするのかということを、考えてみたいと思います。
不安になる理由
私達が何かしようとする時、慣れていることや自信があることなら怖いとは思いません。しかし、自分にとって未知の世界のことであったり、自分の手には負えないと感じる場合には、不安や恐れが生じてきます。しかし、それはさらに言えば、私達がその問題や困難をゆだねるべき処にゆだねていない、おまかせすべき処におまかせしていないから、ということでもあるのです。
例えば、お金を郵便で送る時、書留にすれば万一何かあっても郵便局が弁償してくれますから、後は自分が心配する必要はありません。でも500円を惜しんで普通郵便で送るなら、ちゃんと着くかどうかずっと不安です。任せるべき処に任せないで、本来郵便局が心配すべきことを自分で心配しているので、不安がつきまとうのです。
聖書は、『あなたの重荷を主(神様)にゆだねよ。』と語っています。自分ではどうしようもない重荷を自分1人で背負う必要はない、あなたが安心して頼ることの出来る方がいる。この神様をこそ恐れ、この方と良い関係を持って歩むなら、私達は安心して歩むことができるというのです。しかし、私達はしばしば神を恐れないで、恐れる必要のない“人間”ばかりを恐れ、その人との関係を良くしようと相手の言いなりになって、結果的にはますますひどい状態になってしまいます。
「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀は1アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなた方の父(神)のお許しなしには地に落ちることはありません。・・・だから恐れることはありません。あなた方は、たくさんの雀よりも優れた者です。」(マタイ10:28〜31)
不安からの解放
小さな男の子が、夜、田んぼのあぜ道をお父さんと2人で歩いていました。都会育ちの子供にとってあちこちから聞こえてくるゲロゲロという音は不気味で、怖くてたまりません。「あれはカエルだよ。小さい生き物で、ちっとも怖くなんかないんだよ。」とお父さんが教えてくれたので、少し安心しましたが、しばらくするとまた怖くて動けなくなってしまいました。「お父さんがいるから大丈夫だよ。」と、お父さん。このとき男の子ははっと気付きました、“何かあってもお父さんがやっつけてくれるから大丈夫なんだ”と。それからは安心して、元気にその道を帰って行くことができたのです。
この少年は、ずっと前からお父さんがいっしょにいたにもかかわらず怖かったのです。それは守ってくれる人がそばにいるということを忘れていたからでした。でもそれに気付いて思い出したとき、やっと安心することができたのです。
「わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。」(詩篇42:5)
この詩の作者は神様を知っていました。しかし、知っているだけでは本当の力にはなりません。この方に本当に頼るまでは、不安がやってくるのです。しかし、神様におまかせしようと決断したその時から、初めて私達のうちの不安が去り、本当の平安がやってきます。
あなたは多くの問題を自分で背負い、苦しくなってはいないでしょうか。自分には重すぎると思う問題、その重荷を私ににゆだねなさい、と神様は語っておられます。「もう、どうしようもない」と絶望する心が、もしあなたの中にあるのなら、『なぜ、おまえは絶望しているのか。御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。』という神の御声を心に受け止め、「私にも、平安を下さい。」と祈ってみてください。その時、色々な問題があったとしてもなお、「神様、あなたにおまかせしますから」と出ていく力が与えられるのです。
神様はあなたの重荷をになって下さる方です。この方を知り、この方におまかせする歩みにあなたもぜひ踏み出していただきたいと、心から願います。