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クリスマスとは

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Gellinger / Pixabay

「『光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。』」(ヨハネ1:5、9)

すべての人のために

ちょうど今から2000年前に、ユダヤの田舎のベツレヘムで1人の赤ちゃんが生まれました。・・・それも馬小屋で。そんな小さな出来事が、なぜ今全世界で祝われるようになったのでしょうか? 「クリスマス」、それはキリスト(=救い主)の誕生を祝う「降誕祭」。アジアの西の端の片隅で起こった小さく思える出来事が、実はとても大きな出来事だったのです。なぜならそのお方は、世の救い主、全世界の救い主だったからです。聖書はこのことを、『すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。』と表しています。   クリスマス、それはヨーロッパだけのものではなく、「すべての人」−全世界の人々に関わりのあることなのです。そして確かに、今や日本ばかりでなく、全く縁もゆかりもないと思われるような国々でさえもクリスマスが祝われています。しかし、その本当の意味をどれだけ知っているといえるでしょうか? 私達とは無関係と思える1人の人の誕生を、なぜ全世界で祝う必要があるのか、今日はそのクリスマスの意味を、もう一度ご一緒に考えてみたいと思います。

闇の中の光

私達は皆自分の心の中に、誰にも言えない闇を持っているのではないでしょうか? 自分ではどうしようもないと思えるその闇に光を輝かせるためにキリストが来られた、と聖書は語ります。 ホロコーストという言葉をご存じでしょうか? あのナチスが600万人といわれるユダヤ人を虐殺したのですが、その中で生き残った人々がありました、そのひとりフランクルは、著書の中で次のように書いています。『収容所という極限状況にあって一切のものが奪われようとも、何人も奪うことの出来ないものを持っている少数の人々がいた。彼らは自分自身に関しては何も求めないにも関わらず、収容所のバラックを通り過ぎながら、あちらでは優しい言葉、こちらでは自分の最後の一片のパンを与える人々である。』 それはまさに“闇の中に輝く光”を持った人々・・・彼らが、極限状態の中でさえも、人間としての尊厳を尊ぶ生き方が可能だったのはなぜでしょうか?   「親分はイエス様」という映画がありますが、これは実話に基づいた話です。極道の限りをつくしてきたヤクザ達が改心してクリスチャンとなり、イエス・キリストによって新しくされた人生を、「こんな俺たちが生まれ変わった。アンタだって出来る。」と、背中の入れ墨をあえて人々にさらしながら伝えているのです。あなたの中にも、誰にも言えないで隠し続けてきた闇があるでしょうか? しかし、その中に輝く光があることをぜひ知って頂きたいのです。人にはどうすることも出来ないと思えるほどに深い闇であったとしても、そこに光を輝かせることができるお方=“まことの光”としてキリストが来られた、それがクリスマスです。そして、『やみはこれに打ち勝たなかった』と聖書は私達に語っているのです。

共におられる神

さて、このイエス・キリストについて、聖書は『その名はインマヌエルと呼ばれる。(マタイ1:23)』とも記しています。『インマヌエル』とは「神は私たちとともにおられる」という意味の言葉です。神様とは「たとえ、おられたとしても自分とは縁遠い方、あるいは遠くでじっと見ている方」という印象を持っておられる方が多いのではないでしょうか? しかし、聖書が私達に語るのは、「神様は私達とともにいてくださる方」であり、その印がイエス・キリストの誕生である、ということなのです。

新約聖書の第1ページにはイエス・キリストの系図が書かれています。ユダヤの国では、本来系図には男性の名前だけが記されるにもかかわらず、ここには4人の女性の名前が記されており、しかもそのいずれもが恥ずべき過去を持つ女性達でした。聖書は、何故敢えてこのような女性達の名前を残したのでしょうか? 実は、ここにも大切な真理が隠されているのです。すなわち、キリストはそのような汚れと闇のただ中に来てくださった方。私達1人1人をその闇から救い出すために、この世にお生まれになった方、ーそれがイエス・キリストなのです。

あなたの心の中にも、誰にも言えないでずっと隠し続け、自分でも忘れようとしてきた闇はないでしょうか? 自分の惨めさや悲しみ・淋しさ、誰もわかってくれないという絶望的な思い−そんな私達のすぐそばにキリストは来てくださったのです。そして私達の心の戸の外に立って、「私をその闇の中に迎え入れなさい。」とノックしておられます。

夜の暗闇に人工的に明々とライトをつけたとしても、それは朝日が昇って来たときに照らされる明るさとは、全く違うものです。太陽の光が闇を追い出すように、私達が自分で何とかしようとして作り出した明るさとは全く別の光を、キリストはあなたの心に昇らせ、今まで知らなかった命にみなぎらせてくださるのです。しかし、たとえ朝日が昇っていたとしても、もしあなたが部屋のカーテンを閉めたままだったなら、そこは依然として暗いままです。でも、あなたがカーテンを開けるなら光は一瞬にして部屋の中に入り、闇は消えて行きます。そのように、今あなたに必要なのは、あなたの心を開いて、「どうぞ私の中に光をともして下さい。」と祈ることではないでしょうか。その時、あなたの内にも新しい光・新しい命が宿ることに気付かれることでしょう。どうにもならない過去を引きずったヤクザ達でさえもが新しい人生に変えられていった、その大きな恵みに、あなたも預かることができるに違いありません。

神様の祝福が豊に溢れるクリスマスでありますように!!

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