「取り越し苦労に過ぎ越苦労」と言いますが、私たちは、いろいろな問題を処理しきれないで、様々な思い煩いを抱えてしまうことがあります。今日は、その思い煩いから解放されていく秘訣を聖書の御言葉から学ばせて頂きたいと思います。
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。(Ⅰペテロ5:7)
この言葉だけでも、私たちを多くの思い煩いから解放し、生活に役に立つ事と思います。パソコンで「思い煩い」と打ち込んだとき、「重い患い」という言葉が最初に出てきたのを見て、確かに「思い煩い」とは「重い患い」でもあるのだなと思いました。考える事は大切です。
しかしいくら考えてもしょうがない事をずっと考えて、時間と心を無駄にしてしまっている事が何と多い事かと思います。
例えば、雨になるか晴れになるかというような些細な事でも思い煩いの原因になる事があります。思い煩いとは労力の割に何の積極的な効果や恵みもたらさないものなのです。思い煩いは時間の無駄だけではありません。思い煩いに耽っていると、心が段々病んできます。
ある方が、「墓石に死因を書き表すなら、多くの墓石が“思い煩いで召された”と書かなければならないでしょう」と言っています。心臓病、高血圧、胃潰瘍、免疫不全、多くの病気は思い煩いのストレスから来るのです。ですから「思い煩いは自分の性分だから」と考える人も、もう一度自分のあり方、考え方を考える必要があるのではないでしょうか。自分の時間を浪費し、健康も蝕む可能性のある思い煩いからの解放を真剣に考えては如何でしょうか。
本当の神に頼ろう
日本では八百万(やおよろず)の神というものがあります。調べてみると、実際に登録されている宗教法人は20万近くに上ります。人間が作ったもの、あるいは頭で考えて作ったものを何でも神様としてしまいます。たとえば、山に行けば山の神々があり、海に行けば海の神々、大きな岩があれば岩の神というように、何でも神様としてしまうわけです。ですからこういう自然や、作られた物を神様と考えている限り、そんな神には頼ってもしょうがないと考えるのは当然のことです。
しかし聖書では本当の神様は、そのような方ではなく、唯一絶対の方であり、天地万物をお造りになった方であり、なおかつ造られたものの中で私たちを最も愛して下さっている方だと語っているのです。その方だけが本当の神様であって、それ以外のものは神様ではなく偶像だと言っているのです。
聖書に一番最初に出てくる言葉は「はじめに神が天と地を創造された」です。―聖書は実は隠れたベストセラーなのです。日本はキリスト教国ではなく世界で最もクリスチャンの少ない民族の一つですが、この日本でも聖書は一年間に600万から700万冊頒布されています。
世界中では一年間に2億5千万から3億冊とも言われています。この聖書が初めに語りかけるのが「はじめに神が天と地を創造された」なのです。― 更に神様は私たち人間を神に似せてお造りになられたと記しています。いざという時に私たちが本当に頼りにできるのは、天地万物をお造りになり、私たちをも造って下さった神様だということは自明の事ではないでしょうか。
私たちは、時計が壊れたら時計屋に行き修理してもらいます。時計がどのように作られ、どのように直すかも知っているからです。
私達も困った時、壊れて修理が必要な時、思い煩いに陥った時には、造って下さった方、神様の所に持って行けば良いのです。マタイ11章28節に「すべての疲れた人、重荷を負っている人は私(イエス・キリスト)のもとに来なさい。私があなたがたを休ませてあげます」と語っておられるのです。
思い煩いからの解放
では具体的にどのようにして、私達は思い煩いから解放されるのでしょうか。それは「いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」(Ⅰペテロ5:7)の言葉に耳を傾けることです。私達は、多くの時間を取り越し苦労、過ぎ越し苦労などで思い煩いに悩まされるのですが、解決の道は「天地を造られ、私達を造られた神様にいっさいを委ねること」なのです。
「神があなたのことを心配してくださるからです」と迄聖書は言って下さっているのですから。
空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか。(マタイ6:26~27)
鳥をお造りになったのは神様です。鳥は種まきもしません。でも実は神様が養っているのだと語っているのです。ところで鳥とあなたとどちらが価値があると思いますか? 鳥すら神様が目を留めて下さるのでれば、あなたにも目を留めないはずがあるでしょうか!
なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。(マタイ6:28~30)
ソロモンとはイスラエルの偉大な王で、知恵があり、彼の使う食器は全て金であったそうです。でも栄華を極めて素晴らしいと言われていたソロモン王でさえも、「野の花の一つほどにも装っていませんでした」と言います。野の花を見たことがありますか? 小さい草花です。でもよく見ると、見事なデザインです。あのままドレスにしたら素晴らしいドレスになると思います。
雑草と言われ、どんなに貧弱と見えても素晴らしいデザインでできています。神様が野の花の一つにも目を留めておられるからです。ならば神様がご自身のかたちに似せて造られた私たちに目を留めないことがあるでしょうか? 聖書には「神は愛なり」神様が愛だと書いてあります。本当に愛なのか半信半疑だと感じている方が多いと思いますが、信じ始め、任せる時、不思議に大丈夫と思えるようになるのです。
ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。
(マタイ6:31~32)
知っておられるということは、ちゃんと備えて下さる、導いて守って下さるということです。今ここにいる皆さんも、今までいろいろ辛い事もあったと思います。でもどんな厳しい事があっても生きて来られたということは、支えられてきた、守られてきたと言うことではないでしょうか。
神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。 (ローマ8:28)
あなたを愛し、あなたを心配しておられる神様は、あなたにとって、不幸と思える事すらも良い事の計らいとすることができるのです。悪い事さえ益として下さる事ができる方だったらお任せしてみようかという気になれるのではないでしょうか。ぜひその一歩を困難や試練の中で始めて見て下さったらと思います。「神様、取り越し苦労、過ぎ越し苦労、全部あなたにお任せします」と祈りましょう。
また、もし自分がした悪や罪を思い出したなら、神様の前に「神様、ごめんなさい」と告白しましょう。その時に神様はあなたの祈りを聞いて下さるようになります。そして、悪い事さえも良い事の計らいとして下さるのです。もし皆さんがこの事を実体験し始める時、この神様に頼って本当に良かった、この方にお任せして良かった、と言えるようになります。この恵みを皆さんもぜひ受け取り始めて下さったらと願っています。